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軍人イエスの前世:ヨシュアが陥落したエリコは無人の廃墟だった/エリコの戦い神話


エリコの戦い

エリコの戦いは、イスラエルの指導者ヨシュアが最初に行った戦闘であり、ヨシュア記6:1-27に記録されています。
イスラエルの神である主は、約束の地をイスラエルの民に与えるとヨシュアに告げ、彼を励ましました。ヨシュアは斥候を送り込み、エリコの町で遊女ラハブの家に潜伏させました。ラハブはイスラエルの勝利を予見し、自身と家族の命を助けるよう懇願し、認められました。
エリコに近づいたヨシュアの前に、主の軍の将が現れ、神聖な場所に立っていることを告げました。エリコの城塞都市は防備を固めましたが、ヨシュアは主の指示通り、イスラエルの民とともに契約の箱を担ぎ、祭司たちが角笛を吹きながら町の周囲を6日間にわたって一周し、7日目には7周しました。そして、民が声を上げ、角笛を鳴らすと城壁が崩れ落ち、エリコは征服されました。ラハブとその家族は救われましたが、町は聖絶されました。
最後に、ヨシュアはエリコを再建しようとする者には呪いがかかると宣言し、その名声は広まりました。

さてエリコは、イスラエルの人々のゆえに、かたく閉ざして、出入りするものがなかった。
2 主はヨシュアに言われた、「見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている。
3 あなたがた、いくさびとはみな、町を巡って、町の周囲を一度回らなければならない。六日の間そのようにしなければならない。
4 七人の祭司たちは、おのおの雄羊の角のラッパを携えて、箱に先立たなければならない。そして七日目には七度町を巡り、祭司たちはラッパを吹き鳴らさなければならない。
5 そして祭司たちが雄羊の角を長く吹き鳴らし、そのラッパの音が、あなたがたに聞える時、民はみな大声に呼ばわり、叫ばなければならない。そうすれば、町の周囲の石がきは、くずれ落ち、民はみなただちに進んで、攻め上ることができる」。
6 ヌンの子ヨシュアは祭司たちを召して言った、「あなたがたは契約の箱をかき、七人の祭司たちは雄羊の角のラッパ七本を携えて、主の箱に先立たなければならない」。
7 そして民に言った、「あなたがたは進んで行って町を巡りなさい。武装した者は主の箱に先立って進まなければならない」。
8 ヨシュアが民に命じたように、七人の祭司たちは、雄羊の角のラッパ七本を携えて、主に先立って進み、ラッパを吹き鳴らした。主の契約の箱はそのあとに従った。
9 武装した者はラッパを吹き鳴らす祭司たちに先立って行き、しんがりは箱に従った。ラッパは絶え間なく鳴り響いた。
10 しかし、ヨシュアは民に命じて言った、「あなたがたは呼ばわってはならない。あなたがたの声を聞えさせてはならない。また口から言葉を出してはならない。ただ、わたしが呼ばわれと命じる日に、あなたがたは呼ばわらなければならない」。
11 こうして主の箱を持って、町を巡らせ、その周囲を一度回らせた。人々は宿営に帰り、夜を宿営で過ごした。
12 翌朝ヨシュアは早く起き、祭司たちは主の箱をかき、
13 七人の祭司たちは、雄羊の角のラッパ七本を携えて、主の箱に先立ち、絶えず、ラッパを吹き鳴らして進み、武装した者はこれに先立って行き、しんがりは主の箱に従った。ラッパは絶え間なく鳴り響いた。
14 その次の日にも、町の周囲を一度巡って宿営に帰った。六日の間そのようにした。
15 七日目には、夜明けに、早く起き、同じようにして、町を七度めぐった。町を七度めぐったのはこの日だけであった。
16 七度目に、祭司たちがラッパを吹いた時、ヨシュアは民に言った、「呼ばわりなさい。主はこの町をあなたがたに賜わった。
17 この町と、その中のすべてのものは、主への奉納物として滅ぼされなければならない。ただし遊女ラハブと、その家に共におる者はみな生かしておかなければならない。われわれが送った使者たちをかくまったからである。
18 また、あなたがたは、奉納物に手を触れてはならない。奉納に当り、その奉納物をみずから取って、イスラエルの宿営を、滅ぼさるべきものとし、それを悩ますことのないためである。
19 ただし、銀と金、青銅と鉄の器は、みな主に聖なる物であるから、主の倉に携え入れなければならない」。
20 そこで民は呼ばわり、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。民はラッパの音を聞くと同時に、みな大声をあげて呼ばわったので、石がきはくずれ落ちた。そこで民はみな、すぐに上って町にはいり、町を攻め取った。
21 そして町にあるものは、男も、女も、若い者も、老いた者も、また牛、羊、ろばをも、ことごとくつるぎにかけて滅ぼした。
22 その時ヨシュアは、この地を探ったふたりの人に言った、「あの遊女の家にはいって、その女と彼女に属するすべてのものを連れ出し、彼女に誓ったようにしなさい」。
23 斥候となったその若い人たちははいって、ラハブとその父母、兄弟、そのほか彼女に属するすべてのものを連れ出し、その親族をみな連れ出して、イスラエルの宿営の外に置いた。
24 そして火で町とその中のすべてのものを焼いた。ただ、銀と金、青銅と鉄の器は、主の家の倉に納めた。
25 しかし、遊女ラハブとその父の家の一族と彼女に属するすべてのものとは、ヨシュアが生かしておいたので、ラハブは今日までイスラエルのうちに住んでいる。これはヨシュアがエリコを探らせるためにつかわした使者たちをかくまったためである。
26 ヨシュアは、その時、人々に誓いを立てて言った、「おおよそ立って、このエリコの町を再建する人は、主の前にのろわれるであろう。その礎をすえる人は長子を失い、/その門を建てる人は末の子を失うであろう」。
27 主はヨシュアと共におられ、ヨシュアの名声は、あまねくその地に広がった。

ヨシュア記6:1-27

考古学的考察

ヨシュアが率いるイスラエル人たちがヨルダン川を越えてエリコに入ったという聖書の物語は、考古学的には少々異なる光景を描いています。
実際、発掘調査によれば、エリコはその時代、すでに無人の廃墟となっていたようです。エリコでの壮絶な戦いの痕跡は見つかっておらず、戦闘の証拠が確認されたのは、ネゲブに位置するラキンとデビルだけです。
イスラエル人が戦略的に選んだのは、人口が希薄で防備が手薄なヨルダン川両岸の高地でした。彼らは強固な城壁都市に攻撃を仕掛けることはせず、比較的弱い地域を支配下に置く戦術を採ったと考えられます。
エジプトの碑文には、紀元前1229年にイスラエル人の名が初めて登場します。これにより、イスラエル人がこの地に定住し、影響力を広げていたことは確かです。しかし、カナンの地全体を統一するには、ダビデ王とその息子ソロモン王の時代まで待たねばなりません。
それまでの間、イスラエルの氏族間では内部抗争が繰り広げられ、さらに周辺民族やペリシテ人との熾烈な戦闘も頻繁に発生しました。カナンの地は、安定するにはまだ遠い道のりがあったのです。
この歴史は、聖書の物語を背景にしながらも、複雑な政治的・軍事的状況を反映しています。イスラエル人は、強力な敵に対して直接対決を避け、着実に自分たちの足場を固めていったと考えられるでしょう。そして、最終的にこの地を統一するのは、ダビデとソロモンの知恵と力によるものでした。

イエス大師として生まれ変わったヨシュア

イエス大師は、さまざまなキリスト教会を通して流れ出るエネルギーの焦点であり、現在はシリア人としての肉体を持って聖地のある場所[ローマ郊外ー1998年現在]に住んでいらっしゃる。
イエス大師ご自身は一般の人々の既成概念とは違ってむしろ厳格な軍人タイプで、鉄のような規律と意志の持ち主である。背丈は高く、やせ型、細面で黒髪、色白で射通すような青い眼をしていらっしゃる。イエス大師は聖書の物語の中でよく知られているが、最初はナンの息子ヨシュアとして現われ、次にエズラの時代にイエシュアとして登場し、このとき第三イニシエーションを受けている。

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イエス大師:軍人としての生き様とカルマの清算

軍人イエス

1998年のローマ郊外に、一人のシリア人として生を受けたイエス大師がいた。彼はただのシリア人ではない。聖書の物語に登場するイエシュアや、ヨシュア、エズラの時代のイエスとして転生を繰り返した存在だ。歴史の中で彼の名前がどのように変化し、解釈されてきたかに関わらず、今回の転生での彼の目的は明確だった。それは、前世で積んだカルマを清算することだった。
彼は決して『新約聖書』に描かれたような柔和な救世主ではない。むしろ、厳格で冷徹な軍人のような性格を持っていた。生まれながらにして、その鋭い眼差しと揺るぎない意志は、彼がただの宗教的な象徴以上の存在であることを示していた。彼にとって十字架は、人類の罪を背負うためのものではなく、あくまで彼自身の過去の行いの結果であり、カルマを解消するための不可避な運命だった。
このイエス大師は、従来のイエス像とは大きく異なる。一般的なキリスト教の信仰においては、イエスは人類の救済者であり、彼の死は全ての人々の罪を清めるための犠牲とされている。しかし、この設定ではイエスはあくまで一個人としてのカルマを清算するために磔刑に処された。彼は救世主としての役割を放棄し、軍人のように自己の運命を受け入れ、それに従ったのだ。
ローマ郊外での生活は、彼にとって一種の静寂の中での戦いであったのだろう。過去のカルマを背負い、再び人として生まれ変わった彼は、古代の戦士たちのように、自分自身との戦いに挑んでいた。これは彼にとって、肉体的な苦しみを超えた精神的な闘いであり、最終的には彼自身の魂の解放に繋がるものだったのかもしれない。
彼の存在は、宗教や歴史に新たな問いを投げかける。イエスとは何者だったのか、彼の転生は何を意味するのか、そしてカルマとは何か。このイエス大師の物語は、私たちに新たな視点からこれらの問いを考える機会を与えてくれる。

参考:ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)さんの反論


エリコの戦い ― 神話か事実か
考古学者たちはこれまで何十年もの間,ヨシュアの指揮したエリコの戦いに関する聖書の記述を疑ってきました。聖書によると,ヨシュアの率いるイスラエルの軍隊が七日間エリコの周りを行進した後,神はその都市の強固な城壁を倒壊させました。それでイスラエル人は市内に入って『その都市とその中にあったすべての物を火で焼く』ことができました。―ヨシュア 6:1-24
しかし,1950年代に定評のあったキャスリーン・ケニヨンの著書に影響されていた考古学者たちは,イスラエルが侵攻した時代にはエリコは存在してさえいなかったと思い込んでいました。その時代にはすでに滅びて100年以上経過していた,と考えていたのです。そのため,ヨシュアとイスラエル人に関する聖書の記述は多くの人から退けられていました。ところが近年,カナダのトロント大学の考古学者ブライアント・G・ウッド博士は,エリコから出土した証拠物件を新たな視点から調べてきました。ニューヨーク・タイムズ紙によると,ウッド博士は,ケニヨン博士が「発掘していた陶器は種類が違い,調査していた場所も見当違い」で,証拠物件は実際に聖書と「驚くほど一致」している,という結論を下しています。
ウッド博士は,厚さ1㍍ほどの灰の層について述べています。灰の中には陶器の破片や崩れ落ちた城壁の一部とみられるレンガの断片,木材などがうずもれており,それらは皆まるで全市が火事に見舞われたかのように黒くこげていたのです。陶器の断片は,正確とは言えないまでも利用可能な測定法で西暦前1410年かその前後40年以内のものとされていますから,聖書から算定できるエリコでの戦いがあった年,すなわち西暦前1473年とほぼ一致します。
発掘者たちが発見したところによると,古代エリコの民家には穀物がたくさん蓄え置かれていました。これは興味深い点です。なぜなら聖書には,エリコが春の収穫期のすぐ後に,また兵糧攻めにされることもなく倒壊したことが示唆されているからです。(ヨシュア 3:14-16)この二つの点はどちらも,エリコが滅ぼされたとき市内の民家に穀物が豊富に貯蔵されていたわけをよく説明するものとなっています。
聖書の正確さを認める段になると,科学者たちはかなり消極的態度を示します。この点ニューヨーク・タイムズ紙には,ある著名な学者がウッド氏の発見のことで,「聖書に収められている沢山の情報の中にわずかながら真実が含まれていることは確かだ」と述べた言葉が引用されています。しかし,現代科学や考古学によって数々の発見がなされ,それによって裏づけられる聖書の記述は増える一方なのですから,偏見を抱かずに考えれば,聖書が多くのうその中にたまにわずかな真理が含まれているような書物でないことは明らかです。聖書そのものにも,「すべての人が偽り者であったとしても,神は真実であることが知られるように」と述べられています。―ローマ 3:4
エリコにおける考古学上の発掘に関して現在認められている解釈は興味深いものですが,真のクリスチャンは『見えるところによってではなく信仰によって歩みます』。(コリント第二 5:7)真のクリスチャンの信仰は考古学に依存しているわけではありません。考古学上の証拠があろうとなかろうと,聖書は過去・現在・未来についての信頼できる情報源であることが繰り返し証明されているのです。―詩編 119:105。ペテロ第二 1:19-21

https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j-rb/1990522

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