エリコの戦い
エリコの戦いは、イスラエルの指導者ヨシュアが最初に行った戦闘であり、ヨシュア記6:1-27に記録されています。
イスラエルの神である主は、約束の地をイスラエルの民に与えるとヨシュアに告げ、彼を励ましました。ヨシュアは斥候を送り込み、エリコの町で遊女ラハブの家に潜伏させました。ラハブはイスラエルの勝利を予見し、自身と家族の命を助けるよう懇願し、認められました。
エリコに近づいたヨシュアの前に、主の軍の将が現れ、神聖な場所に立っていることを告げました。エリコの城塞都市は防備を固めましたが、ヨシュアは主の指示通り、イスラエルの民とともに契約の箱を担ぎ、祭司たちが角笛を吹きながら町の周囲を6日間にわたって一周し、7日目には7周しました。そして、民が声を上げ、角笛を鳴らすと城壁が崩れ落ち、エリコは征服されました。ラハブとその家族は救われましたが、町は聖絶されました。
最後に、ヨシュアはエリコを再建しようとする者には呪いがかかると宣言し、その名声は広まりました。
考古学的考察
ヨシュアが率いるイスラエル人たちがヨルダン川を越えてエリコに入ったという聖書の物語は、考古学的には少々異なる光景を描いています。
実際、発掘調査によれば、エリコはその時代、すでに無人の廃墟となっていたようです。エリコでの壮絶な戦いの痕跡は見つかっておらず、戦闘の証拠が確認されたのは、ネゲブに位置するラキンとデビルだけです。
イスラエル人が戦略的に選んだのは、人口が希薄で防備が手薄なヨルダン川両岸の高地でした。彼らは強固な城壁都市に攻撃を仕掛けることはせず、比較的弱い地域を支配下に置く戦術を採ったと考えられます。
エジプトの碑文には、紀元前1229年にイスラエル人の名が初めて登場します。これにより、イスラエル人がこの地に定住し、影響力を広げていたことは確かです。しかし、カナンの地全体を統一するには、ダビデ王とその息子ソロモン王の時代まで待たねばなりません。
それまでの間、イスラエルの氏族間では内部抗争が繰り広げられ、さらに周辺民族やペリシテ人との熾烈な戦闘も頻繁に発生しました。カナンの地は、安定するにはまだ遠い道のりがあったのです。
この歴史は、聖書の物語を背景にしながらも、複雑な政治的・軍事的状況を反映しています。イスラエル人は、強力な敵に対して直接対決を避け、着実に自分たちの足場を固めていったと考えられるでしょう。そして、最終的にこの地を統一するのは、ダビデとソロモンの知恵と力によるものでした。
イエス大師として生まれ変わったヨシュア
イエス大師:軍人としての生き様とカルマの清算
1998年のローマ郊外に、一人のシリア人として生を受けたイエス大師がいた。彼はただのシリア人ではない。聖書の物語に登場するイエシュアや、ヨシュア、エズラの時代のイエスとして転生を繰り返した存在だ。歴史の中で彼の名前がどのように変化し、解釈されてきたかに関わらず、今回の転生での彼の目的は明確だった。それは、前世で積んだカルマを清算することだった。
彼は決して『新約聖書』に描かれたような柔和な救世主ではない。むしろ、厳格で冷徹な軍人のような性格を持っていた。生まれながらにして、その鋭い眼差しと揺るぎない意志は、彼がただの宗教的な象徴以上の存在であることを示していた。彼にとって十字架は、人類の罪を背負うためのものではなく、あくまで彼自身の過去の行いの結果であり、カルマを解消するための不可避な運命だった。
このイエス大師は、従来のイエス像とは大きく異なる。一般的なキリスト教の信仰においては、イエスは人類の救済者であり、彼の死は全ての人々の罪を清めるための犠牲とされている。しかし、この設定ではイエスはあくまで一個人としてのカルマを清算するために磔刑に処された。彼は救世主としての役割を放棄し、軍人のように自己の運命を受け入れ、それに従ったのだ。
ローマ郊外での生活は、彼にとって一種の静寂の中での戦いであったのだろう。過去のカルマを背負い、再び人として生まれ変わった彼は、古代の戦士たちのように、自分自身との戦いに挑んでいた。これは彼にとって、肉体的な苦しみを超えた精神的な闘いであり、最終的には彼自身の魂の解放に繋がるものだったのかもしれない。
彼の存在は、宗教や歴史に新たな問いを投げかける。イエスとは何者だったのか、彼の転生は何を意味するのか、そしてカルマとは何か。このイエス大師の物語は、私たちに新たな視点からこれらの問いを考える機会を与えてくれる。
参考:ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)さんの反論
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