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易経の原理/繋辞下伝:六章

その名を称すること雑なれども越えず。於(ああ)その類を稽(かんが)うるに、それ衰世(すいせ)の意か。[繋辞下伝:六章]
易経はさまざまな事象を表し、雑多な言葉で表現されているが、原理原則の筋道を越えることはない。
そこに禍(わざわい)を憂い、警戒する教えが多いのは、栄えたものは必ず衰え、乱れるという栄枯盛衰の原理を自らの身をもって経験した人が記しているからである。

「易経」一日一言/1223

孔子は次のように言っている。
「乾と坤の卦は易の基本原理を示すものであろう」。
「乾はエネルギー(氣)を発する主体である陽氣を具象化したものであり、坤はエネルギー(氣)を受けて萬物を生み出す主体である陰氣を具象化したものである」。
「陽氣と陰氣が相交わって、剛柔合わせ持った性質を有する形のある物が生み出される。それを易の書では、八卦・六十四卦・三百八十四爻として表現しているのだ」。
「これらによって、天地のあらゆる事象が姿を現わし、生生化成して滞ることがない。八卦や六十四卦に付けられた名称は、一見、雑然としており整合性のないように見えるが、天の理を逸脱していない。あぁ六十四卦として示された物語(例え話)は、この世のあらゆる事象は栄枯盛衰を繰り返すことを示しているのであろうか」。

白倉信司

子日。乾坤其易之門邪。乾陽物也。坤陰物也。陰陽合德而剛柔有體。以體天地之撰。以通神明之徳。其稱名也雑而不越。於稽其類。其衰世之意邪。
子曰く、乾坤は其れ易の門か。乾は陽物なり。坤は陰物なり。陰陽徳を合わせて剛柔体あり。似て天地の撰を体し、以て神明の徳に通ず。其の名を称するや雑にして越えず。於に其の類を稽(かんが)うるに、其れ衰世の意か
撰は作る、作ったもの。於は爰と同じく、ここに。ああと感嘆詞に読む説もある(『集解』)。
孔子がいう、乾坤の二卦は、易六十四卦の出て来る門のようなものであろう。乾は純粋に陽なるもの、坤は純粋に陰なるもの。乾の腸と坤の陰が交わってその徳を合わせ、ここに他の六十二卦の剛柔入りまじった形体が出て来る。その意味で乾坤を門という。
かように乾坤がさまざまの卦に変化することで、天地の作りなしたものを具象化し、造化の奥にあるあらたかな神の徳と通じあう。剛柔入りまじった卦によって、さまざまの事物が表現されるので、それらの卦は、泥を背負った豚(38火澤睽上九)とか乾肉をかむ(21火雷噬嗑六五)などこまごました物の名を名乗る(『正義』)。
その物の名は雑多であるが、天地の作りなしたものを越えることはない。ここでこの雑多な卦爻に示される事類を考えて見ると、どうやら股末周初といった、衰世の気分を物語るものであろう。
太古淳朴の世では物事すべて真っ直ぐで、順調なので、あまりに複雑な人事の葛藤などは思い付かない。例えば明夷の卦の文句など、世の艱難を経験した人でなければ、説き得ないであろう(『語類』七六)。

本田濟:易~p.594


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