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祝福二世:信仰を捨てた元統一教会信者の告白/宮坂日出美(2024/02/29)【読書ノート】

「離教した祝福二世」という、統一教会の歴史が生み出した特異な立場を生きている宮坂さん。数奇な運命を与えた教会を一方的に責めることなく、読者を妙に意識することなく、自らが見たことを語り続ける。いま本当に必要なのは、本書のような、冷徹なまでに朴訥な証言だ。
----仲正昌樹(金沢大学教授)
両親が統一教会の合同結婚式を通じて「祝福」を受けた家庭に生まれた子どもを「祝福二世」という。中学一年で韓国留学。大学時代の「二世献身プロジェクト」。マネーロンダリングの現場を目撃。自分で考えることができない日々……。そして信仰を離れることに。 統一教会でも特別な意味を持つ「祝福二世」は、どのように育っていったのか。その実態を当事者が克明に語る。


はじめに

私は「統一教会二世」であり、元信者でもある。統一教会は、正式名称としては「世界基督教統一神霊協会」であり、二〇一五年には「世界平和統一家庭連合」への改称を文化庁に承認されているのだが、本書では原則として、「統一教会」の呼称を採用するものとする。そして統一教会二世といえば、二〇二二年七月八日に起きた安倍晋三元首相銃撃事件以来の一連の報道で一躍、注目を集めることになった存在だ。この文章を執筆している時点で裁判が開始されていないため、真相は明らかになっていないことも多い。そのような中、実行犯の男性が犯行に及んだきっかけは、信者であった母親が統一教会へ多額の献金をしたことを恨みに思ったからだと報じられている。ただ、私の場合、両親ともに統一教会の信者であった点、また私自身も信者としてある時期までは信仰生活に熱心に入れ込んでいた点が、彼とは異なっている。
私は「祝福二世」に当たる。細かい説明はここでは省くが、両親が統一教会の合同結婚式を通じて「祝福」を受けた家庭に生まれた子のことだ。祝福二世は、統一教会内の教義では「原罪のない子」とされ、いわば生え抜きの位置づけにある。その結果、私は、同世代の普通の日本人家庭の子とはだいぶ違った生い立ちを辿ることになった。
小学校卒業後、「予備生」として韓国に渡り、そのまま韓国の中学・高校に進んで、一〇代の日々の大半を韓国の寄宿舎で過ごしたことや、進学した大学も、統一教会が韓国に設立したS大学であったことは、特異と言わざるをえないだろう。しかしそれはあくまで、「一般の日本人家庭の子と比べれば特異」ということでしかない。私のまわりには同じ境遇の祝福二世がたくさんいたので、私が経験したことも、「まわりのほとんどの人が経験している、ありきたりのこと」という思いが強く、わざわざ文章に起こすに足るほどのユニークさはないと思っていた。それが必ずしも見立て通りではないのかもしれないと気づいたのは、信者としての経験をTwitterで綴りはじめてからのことだ。
安倍元首相銃撃事件を皮切りに、Twitter(現在のX)では「宗教二世界隈」とでも呼ぶべき言論空間が形成されていた。統一教会に限らず、さまざまな新宗教の二世や「元一世」、そうした問題に強い関心を抱く一般の人々などがしきりと発言し、ヒートアップしていた。事件からはすでに数カ月が経過していた二〇二二年一〇月頃、ご多分に漏れず私もTwitterのアカウントを開設し、中途参入のかたちでそのやりとりの中に身を投じていった。
さしあたって、私自身と同じ属性であるはずの、統一教会の「元信者」を中心にフォローしていくことからはじめたものの、どういうわけか、彼らとはそれほど意見が合うわけでもないことに戸惑っていた。
それに私は当初から、Twitterで自らが呟く内容が、「不幸自慢」のようなものになってしまうことに対する違和感があった。世の中の人の多くは、「元信者」に対して「不幸なエピソード」を期待しているような雰囲気があり、私自身もそれに呑まれそうになっていたのだ。
人々もちろん私も、信者であった時代に、後から思えばどうしてあんな過酷な毎日に甘んじていられたのかと不思議に思うような経験もしている。信仰を捨ててから一般社会に馴染んでいくまでの間にも、数々の苦労があった。
ただ、信者として経験したことのすべてが不幸だったとは今でも思わないし、今なお統一教会への信仰心を持つ人々を否定する気持ちもない。Twitterで自らの信者としての経験を吐露しはじめてから、統一教会に対する私の心持ちは、今もってむしろ「真面目な現役信者」により近いところにあるのではないかとさえ感じるようになった
そうは言っても、信仰を捨てた「元信者」にはちがいない私は、現役信者の人たちからはやはり一定の警戒を示されてしまう。だが、そんな中からも、私のツイートに対する共感を表明してくれる現役信者が少しずつ増えていった。

母がアメリカの留置場に
一方で、「元信者」ではあっても、統一教会に対してさほど恨みがあるわけでもないという文字通りの「反対派」とは距離を置く人々とも、私は次第に繋がっていった。
その中で、私自身はどんな「立ち位置」にいるのか。私が積んできた経験の中には、同じ「元信者」の間でも容易には見出せないような際立った特徴が、実は思いのほか豊富に含まれているのではないかそんな自覚を持つようになったのは、「母がアメリカで留置所に入れられたことがある」という内容のツイートが、思いがけず強い反応を引き起こしたときのことだ。
私の親の世代の信者の間では、「学生時代に左翼と闘争した」とか、「寄付集めや強引な伝道(布教)で警察の厄介になった」といった逸話は、わりとざらに耳にするものだった。
無知な私なりに注釈させてもらうと、統一教会は、関連団体として立ち上げた国際勝共連合での活動を通じて、左翼思想やそれに牽引された学生たちの運動に対抗する急先鋒として狼煙を上げていた時期もある。
統一教会は、宗教を否定する共産主義思想に対し、「宗教と科学は両立し得る」との立場で、強烈な批判を繰り広げていた。そうした「左翼に対するカウンター」としての側面が当時の保守層には重宝がられ、共闘することができていたようである。
団塊世代の一世信者には、統一教会の反共活動にそうした剣呑な側面があることは当然視されていたが、そういう「激しい」時代のことは、一般には意外と知られていないのではないか。だからこそ、「母が留置所に入れられた」程度のことで、こんなに驚かれているのではないか――
そう考えてみると、両親だけでなく、信者としての私自身が経験したことも、「ありふれている」のひとことでは括れないことなのかもしれないと思いはじめた。
たとえば私は、S大学在学中、「STF(本書では「二世献身プロジェクト」と記載)」と呼ばれる活動に名乗りをあげ、いくつもの外国を巡って寄付集めに勤しむという経験もしている。
教団の活動にそのレベルまで身を捧げた経験を持つ人はそれほど多くないかもしれないし、そこまでどっぷりと信仰に浸っていながら、その後、教団を離脱したという人は、もっと珍しいのかもしれない。
つまり、「統一教会の色眼鏡から解放された視点で、教会内で経験したハードな出来事を語ることができる元二世信者」というのは、私が思っているより少ないのかもしれないということに気づいたのである。
そういう目で振り返れば、私にも語るべきことは山のようにあった。私が経験したことからいくつかの要素を抽出し、掛け算をしていくことで、私にしか書けない体験談のようなものができあがるかもしれない。
Twitterで相互フォロワーとなった元二世信者の方から背中を押されながら、私は自身の経験や、両親から聞かされた一世時代の話などを少しずつ書き綴っていった。
本書は、それらのツイートを投稿サイト「カクヨム」でまとめたものに、さらに大幅な加筆・修正を施して書き上げたノンフィクションである。

本書の構成
本書の構成としては、私が統一教会二世信者として体験したことを、おおむね時系列に沿って再現するかたちを取っている。
家族と離れ、教会の施設である韓国の寄宿舎で暮らした中学・高校時代の思い出からはじまり、統一教会系のS大学に進学して、信仰生活にのめり込んでいったこと、しかしその反作用のようなかたちで、かえって信仰を維持できなくなっていってしまったその経緯……。
すべてのきっかけとなったのは、S大学一年生のときに発表された「二世献身プロジェクト」だった。教祖・文鮮明氏の後継者として有望視されていた三男・文顕進(ムン・ヒョンジン)氏肝煎りのプロジェクトで、S大学在学中の二世信者の中から志望者が駆り集められ、世界各地を回って寄付集めをするというものだった。
統一教会における「献身」とは、従来は「ホーム」と呼ばれる教会施設に寝泊まりして、二四時間を丸々、教会の活動に捧げることを意味していた。この「二世献身プロジェクト」は、献身の場を外国などに移し、各地を転々とするかたちで信仰を成就しようとする新しい献身の試みだった。
二〇〇二年、この活動に志願した私は、S大学を一年間休学して、寄付集めのために世界中を駆け巡った。行き先は、日本、韓国、ロシア、ベラルーシ、ドイツ、スイス、イギリスと多岐にわたっていた。
そうして世界各地を飛び回っていながら、三六五日、二四時間、同行した信者のメンバーと生活・行動をともにし、教会の思想や仕組みの中に首まで浸かることで、私はそれまでのどんなときよりも、かえって「世界から切り離された」境遇に置かれていた。
その間の私は、それまでの人生において最も「信仰的」な、つまり、揺るぎない信仰に身も心も捧げた統一教会信者だった。
にもかかわらず、私の心が離教に傾いたのは、この活動を中断して日本に帰国してからのことだ。世界各地での「献身」中に経験したいくつかの出来事が、そのきっかけとなった。信仰にのめり込んだ挙句、かえって信仰から解放されることになるとは、思えば皮肉な成り行きである。
その献身中に私は、スイスの銀行で、統一教会によるマネーロンダリングの現場と思われるものに立ち会う経験もしている。そのことも、離教に至る経緯に微妙な影を落としているのだが、詳しくは本編に譲ろう。
しかし、結果として信仰心が挫折してしまったとはいっても、この献身の経験は、思わぬ効用をもたらしてくれたともいえる。二世ながら献身したことで、それまではただの思い出話としか思えなかった父母の、一世時代の逸話の数々に、共感をもって耳を傾けることができるようになったのだ。
その中には、耳を疑うような内容のものもあった。日本に帰国後、父から聞いた「世界日報事件の内幕」などはその好例である。
「世界日報事件」とは、一九八三年、統一教会系の日刊新聞「世界日報」を発刊している世界日報社が、同じ統一教会系の組織である国際勝共連合に襲撃された事件だが、実は私の父自身が、その事件に微妙なかたちで関与していたということを、このとき父から聞いた話で私ははじめて知った。
Twitterで「宗教二世界隈」をほんの少しざわつかせる一因となった、「母がアメリカで留置所に収容された話」も、そんな中で聞かされた昔話のひとつだった。本編では、両親から聞いたそうした逸話もいくつか紹介している。
また、私自身が離教に至るまでの道筋、S大学を中退し、日本で派遣社員として働きはじめてからの、教会の外の社会に適応するために経てきた苦労、非信者である男性と出会って結婚にまで至った顛末も綴っている。
自らが統一教会の二世信者であったことを、いつ、どのようなかたちで彼にカミングアウトするかで悩んだことや、娘もまた信者同士で「祝福結婚」するのが当然と考えていた両親に、非信者である彼との結婚について切り出すのに苦慮したこと――。
この体験談は、似たような問題で心を悩ませている二世の元信者の方々には、なんらかの参考になるかもしれないと思っている。
そうしてどうにか非信者としての生活基盤を私は築いた。だが、東日本大震災が起きた二〇一一年は、かなり慌ただしい一年となった。三月に震災が発生し、五月に第一子を出産した後、七月に母が、一一月には父が、相次いで他界したのである。
離教して以降、統一教会とは距離を置いていた私でも、現役信者である父母の葬儀をめぐっては、再び教会と関わらざるをえない立場となった。私自身にはすでに信仰はなくなっていたとはいえ、両親のことは、出身宗教の方式で送り出してあげたかったのだ。
多くの現役信者の助力を仰ぎながら、父と母をともに統一教会式の葬儀で送りおおせたことは、悔いを残さないという意味ではいいことだったと思っている。またそれは、私自身がかつての信仰生活を今一度顧みて、意味づける恰好の機会ともなった。
その二度にわたる葬儀についても、本書ではかなりの紙幅を割いて振り返っている。統一教会ではどのようなかたちで葬儀をおこなっているのか、興味をお持ちの方もいるだろう。
安倍元首相銃撃事件以降、宗教二世、とりわけ統一教会二世はなにかと注目され、当事者による手記や研究書を含めて、関連書籍も多く出版されている。
その中で本書は、やや遅ればせの感も否めないかもしれないが、私なりに精一杯、信者だった頃に、また信者であることをやめた後に経験した出来事や、それをめぐる率直な思いを言葉にしてきたつもりだ。
「宗教二世界隈」をめぐってさまざまな議論や意見が飛び交う中、本書がその一翼を担うことができるなら、著者としては願ってもないことである。
なお、本書では、「所属していた教団を離脱し、信仰を捨てること」を、「離教」という語で表現している。あまり一般的な言葉ではないかもしれないが、私としてはそれが一番しっくりいくので、その点はご了承いただきたい。

《統一教会についての基礎知識》

第1章:韓国で過ごした中学・高校時代

1 教祖の特殊な「嗜好」に言葉を失った中学時代の修練会
2 落ちこぼれ気味だった高校時代
3 母を清平修練会に行かせた私の成功体験とは

第2章:「二世献身プロジェクト」始動

1 教祖の三男の迫力に負けてつい参加を表明してしまう
2 韓国を経てヨーロッパを駆け巡る日々
3 スイスでマネーロンダリングの現場を目撃した衝撃

第3章:献身にのめり込む中で浮上してきた違和感

1 「公式」ではなかったと判明したプロジェクト
2 殉教への憧れとイギリスでの信仰的な体験
3 「祝福二世」としての自分への疑問

第4章:帰国後に父から聞いた昔話

1 「世界日報事件」がきっかけで冷遇された父
2 父の知られざる功績と、「あさま山荘事件」をめぐる意外な真相
3 あまりに無邪気だった母

第5章:離教後の葛藤と苦労

1 「痛み止めの代用品」としての『神との対話』
2 一般社会に馴染んでいく過程で見聞したいろいろ
3 私が統一教会を離教したのはいつだったのか

第6章:統一教会式でおこなった父母の葬儀

1 母の「昇華式」と霊界からの協助
2 統一教会の大物を呼んだ父の「聖和式」
3 統一教会系の霊園と「無宗教」の私


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