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#奥山実

近代日本文学と聖書 (下) 太宰治―愛と死の深層/奥山実:1996/6/1【読書ノート】

はじめにいよいよ太宰治について書くことになった。「これは容易なことではない……」という偽らざる気持ちである。そしてどういうわけか四〇〇字詰の原稿用紙に向かいたくなった。 今までは半ペラを使っていたのである。これは個人的特別の事情で、やたら旅行が多く、漱石論も芥川論も、もっぱら列車の中や飛行機の中で書いたのである。資料も持ち歩くわけでカバンやスーツケースは本の山、……その重いこと。このようなとき、半ペラは使いやすい。しかしなぜか太宰には四〇〇字詰がふさわしいように思われた。「

悪霊を追い出せ!―福音派の危機を克服するために(1992/6/1)/奥山実【読書ノート】

はじめに 最近、悪霊の問題について、電話や手紙での問い合わせが実に多い。この文章を書く直前にも、東京から自動車ではるばるやってきた三人の兄弟姉妹たちに対しての奉仕を終えたところである。 この人たちは、クリスチャンのご夫妻とその夫人の妹さんであった。妹さんは宮城県のある福音派のA教会の会員なのであるが、何年にもわたって、日曜日の礼拝に出席するたびに、必ず頭痛がする、また時に吐き気をともなう。何と聖日毎に必ず頭痛がするのである。それも礼拝の最中に。 この場合、月並みな考えで

芥川龍之介_愛と絶望の狭間で_近代日本文学と聖書(中)/奥山実:1995/2/25【読書ノート】

1:最後の作品は「主イエス・キリスト」のこと 2:芥川の低音部 芥川は、夏目漱石の弟子としてその才能を絶賛され、すぐに文壇での成功を収めた。彼の作品は漱石の推薦もあり次々とヒットし、特に『鼻』や『芋粥』は大きな評価を受けた。当時24歳の彼はその才能と運命に恵まれたように思えた。彼の家庭環境も良く、経済的にも恵まれていた。しかし、彼の内面には「生きる喜び」が欠けており、彼の作品には彼の懐疑的な視点や冷たい眼差しがしばしば表れていた。 当時の作家たちは、今日のように経済的

漱石の迷走と救い_近代日本文学と聖書(上)/奥山実:1994/1/15【読書ノート】

■プロローグ 1:文学の世代本を読みあさる/久米正雄と野球部/山本周五郎と奥山家 2:聖書との出会い日本文学の行きづまり/絶対の救い/絶対者と日本文学/キリスト教と聖書 日本のキリスト教 聖書的キリスト教とは 聖書の中に織り込まれた神秘的なメッセージは明確である―神の性質、この世界への視点、そして救済の道。これを心に受け入れ、聖書の教えを体現したキリスト教は、時が経つにつれても、国境を越えても、その精髄は揺るがない。パウロ、オーガスチン、ルーテル、カルビン―彼らが