負けずぎらいだけが燃えている(日記)

 寝坊はしたがこの時間になったのはほかに忙しかったためである、少しだけ日記を書く。

 まけずぎらいである。
 最近になって「もしかして一定の年齢になった大人が『負けたくない』って他人に対して、あまり感じないものなんだろうか」と思った。私がすぐ対抗心を口にするものだから、たまに周囲から苦笑されるのである。面と向かって、その「負けたくない相手」に唾を吐きかけているのではないから、人間関係への軋轢の問題からなだめられているのではない。相手が途方もない存在すぎるために身の程をわきまえろといさめられている、というわけでもない。
 どうやら(直接ぶつけずとも)対抗心を他人に燃やすこと自体、ちょっとどうなの、と思われるらしいのである。
 驚愕である。

 わからないわけではない。世の中がそんなに対抗心と闘争心にあふれた人間ばかりだったら、穏やかに社会を暮らしていけないだろうということは薄ぼんやり理解できる。
 だけどじゃあ、ライバル心って一般的には「漫画の中に出てくるヒーローの中にだけ生まれ得る都市伝説みたいな感情」だとでもいうんだろうか。
 それとも本当はみんな抱えているくせに、私をなだめる人間たちのほうこそ漫画の中の(多くは)二枚目役のような斜に構えた人生観で「対抗心を抱えていること自体がかっこわるい」とでも思っているんだろうか。別にそれを悪いと言いたいわけではない。

 素敵な作品に触れたときに、面白いと思うのと同時に悔しくて、悔しくて悔しくてできるなら自分がそれを生み出したかったと思って一晩中、枕の綿がぺしゃんこになるまで殴り続けて夜を明かすとか、そういうことってもしかして少ないんだろうか。ほんとうに?
 じゃあもう、そういうことがないやつは私をなだめたりしないでくれよ。
 冷静ぶった友人の顔をして「大人になれ」とか抜かすなんて、なにもわかっていない親切はもうやめてくれ。私も、それを聞いて大人らしく大人しくするのが正解だとは、もう思わないようにする。

 不幸中の幸いなのは、私のライバルはきちんとライバル心の存在する世界戦に生きてくれているらしくて、


すまないがここまで書いたところで地震だ 生きていることは報告しておく

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