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17年ぶりの対面チェス

「明日時間あったら対局しないか?」

親友からのラインを、もう一度まじまじと眺める。
明日なら大丈夫だ……!ついに対局できる!返信と同時に、ワクワクが全身を包み込んだ。

最近、何度か誘ってもらっていたが、全て都合があわずに流れていた経緯があった。それだけに喜びもひとしおである。
明日が待ち遠しくてたまらない。
そんな気持ちで眠りについた。

対局当日。対局場所は、親友宅である。
やはり、本番前にはウォーミングアップが必要だ。
いつもの通り、Chess.comにログイン。

ところが、ブリッツであっさり4連敗。駒をただで取られたり、冴えない内容で不安が残った。

親友はチェス歴が私より長く、Chess.comを長年愛用している。
レーティングのMaxは、彼の1500弱に対して私は1366。
それだけに難敵だが、盤を挟める喜びと楽しみが大きかった。

親友の家に到着すると、すでにチェス盤が準備されていた。
「うわあ……すごいなこれ」
思わず声が出た。私はまだ、チェスの盤と駒を持っていない。
それだけに、なおさら盤が輝いて見えた。

さっそく駒を並べる。手になじむ感触が月日を彷彿とさせる。
駒を並べ終えると、かすかな違和感を覚えた。
この感覚は一体……?

「立体的だから違和感があるよな」
親友が先に口を開いて、その謎は解けた。そうなのだ。
普段、Chess.comの画面で見ているチェス盤と駒は、平面なのである。
それだけにリアルで対局できる喜びも実感していたのだが、見慣れるまでにしばらく時間がかかるような気がした。

さらに言えば、駒のききや、ただ取りなど、うっかりミスが出そうで恐ろしい。

「ああ、そういえば持ってきたよ。あれ」
そう言いながら、カバンからおもむろに対局時計を取り出す。
せっかくの機会だからと思い、将棋で使っていたデジタル式の対局時計を準備していたのだ。

チェス盤の横にセットする。しばらく使っていなかったので、設定が懐かしい。対局時計もなんだか喜んでいるような気がする。
最初はお互い30分ずつに設定したのだが、棋譜を取りながら対局することを考慮して倍の60分ずつにすることにした。

先後が決まって、最初は私の黒番となった。
ついに夢にまでみた対面対局である。

「お願いします」
深々とお互い一礼。初手はe4に対して、はやる気持ちを抑えながらc5を選択。


シシリアン・ディフェンスだ。だが、この戦法を知ったのはつい最近である。それまでは、白の初手に関係なくキングズ・インディアン・ディフェンスを用いていた。ところが、キングズ・インディアン・ディフェンスは初手d4に対する作戦のようなのだ。

うろ覚えな部分があるため、慎重に時間を使いながら進める。
駒のききを間違えないように、ただ取りをされないように。

ものすごく狭い一本橋の上を、恐る恐る進むような感覚。緊張感と共に、心の底からワクワクを感じた。そして、しばらく進んで下図の局面を迎えた。

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ルークの侵入に対して、思い切ってルークをぶつけたところである。
どうもチェスを始めた当初から駒をぶつけたくなる傾向があり、この局面でも果敢に交換を挑んだ。
親友、長考。判断に迷っている気配がうかがえる。

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そして、Rb6を選択。その瞬間、何かが閃いた。ここはチャンスだと直感が教えている。確認のためにこちらも長考に突入。本当にこれでいいのだろうか。どこかに落とし穴はないか。読みを進めながら、心臓の鼓動がわずかに早くなるのを感じた。

どれくらい時間が経過しただろうか。ついに決断。Qc7。

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Qe3とルークを守ってきたが、そこでQc2と敵陣の侵入に成功。
こうなると、がぜん光ってくるのがa5とb4のポーンだ。ここで形勢が良くなったことを感じた。

その後は、2枚のポーンのプロモーションが実現して逃げ切ることができた。

対局後に解析してみると、やはりRb6が悪手だったようだ。ここでは、ルークを交換していれば、形勢は互角だった。親友もその手は読んでいたようだが、長考の末に交換を避けたとのことだ。

思わぬ快勝に自然と頬がゆるむ。ただ、この勝利はあることに起因している。「ある駒」が序盤で消えてしまったからだ。

「ナイトがいなくなったからな」

私は、ぽつりとつぶやいた。
「言われてみればそうだね、確かに」
親友の言葉に小さく首を縦に振る。
とにかくナイトの動きに対応できないことが今も続いていて、それが大きな懸念材料だった。しかし、この対局ではナイトが早々と盤上から消えた。

勝てたのは運が良かった。それが率直な感想だった。

感想を終え、先後を入れ替えて再戦である。
今度は待望の白番だ。白番は、黒番に比べて自信があった。
なぜなら得意戦法があるからだ。

再度、時計を設定して一礼。
初手は自信を持って、d4を着手。親友は、どのような対策を準備しているのだろうか。緊張しながら、指し手を待つ。彼はポーンをつまんでd5を着手。

すかさずc4。地道に磨き上げてきたクイーンズ・ギャンビットに連勝を託した。しかし、ここに落とし穴が待っていた。指しなれた戦法という油断もあったかもしれない。中盤、エアポケットに入ってダブルポーンを余儀なくされる展開になってしまった。

そこからは、ひたすら粘りの展開。明日の希望を信じて、忍耐に次ぐ忍耐。
しかし、親友の攻めは正確だった。一向に攻めが緩む気配がない。

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そして、この局面でRxg2とルークとナイトの交換に踏み切ったのが快速手。検索エンジンも絶妙手と評価したこの手で、私の陣地は崩壊した。
Kxg2の一手に、さらにNxf4とナイトが躍動。
この後も粘ったものの、最善の連続で押し切られた。敗戦である。

負けた。急所の局面でミスが出てしまった。悔しい。が、楽しい。
なんという楽しさなのだ、対面チェスは。悔しさと幸福感。相反する感情の同居を楽しみながら、局後の検討に移った。

ふと、時計を見やると16時半。あっという間に5時間以上が経過していることになる。好きなことに没頭すると、時間の経つのがなんと早いことか。
そして、なんと幸せなことか。

名残惜しさを感じながらも、別れの時間が迫ってきた。そして、モードチェンジを心に決める。
「これから、まだ対局があるんだ」

別れ際、車に乗り込む前にそう告げると、親友は怪訝そうにこちらを見た。
顔にまだチェスをやるのか?と書いてある。

「いや、今度は将棋。弟子が待ってる」
「お前、本当に考えるの大好きだな」

苦笑いしつつも、その表情はなんだか楽しそうに見えた。

再戦を約束して、車をゆっくり走らせると、ルームミラーに親友の姿が映った。少しずつ小さくなる彼の姿を見ながら、もっと強くなるぞ!と心に誓ったのであった。

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