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『もう一度旅に出る前に』30 ガラケーとスマホ 文・写真 仁科勝介(かつお)

年末にスマホを解約してガラケーに変えた。ぐんぐん加速する時代から逃げ出して、2000年代前後でコケたまま、ポツンと指をくわえて現代の置いてけぼりになろうではないか。

どうせ世の中の新しいことにはついていけないのだ。なぜ最新は称賛され、古きことは嘲笑されなければならないのか。その最新に、心がこもっているものは一体どれだけあるのか。

と、ガラケーに変えたぐらいだし、それぐらいの啖呵を切りたいものだが、とどのつまり最新や古いことのどちらかに正解を求めていない。自分の選択を正しいと言いたいがためのアレやソレなど窮屈だ。

ぼくはただ、スマホよりも手間は掛かるし、フィルムよりもシャッターの重みはないけれど、集合写真を撮るときに、ガラケーをポケットから取り出して、「ガラケー!?」と人からウケたいだけなのだ。

だ…。だ…。だ…。

まあ、もう少し情けをかけて言ってしまえば、タイミングが良かったのだ。

「旅に出るので、ガラケーにしました」

と今言えば、万事説明がつく。この大義名分を逃せば、ガラケーに変えられる機会は早々あるまい。「旅をするとき、目の前の景色をじっくり見たくて、ガラケーに変えました」いい理由じゃないか。「不便じゃないですか?」と聞かれたら、「昔の人は携帯もなく旅をしてましたし」と虚勢を張ればいい。「スマホで調べものをした方が楽じゃないですか?」と言われたら、「人に聞いても良いと思います」と返せばいい。人に聞くのは苦手だなあ、と思いながら。

「ガラケーが正解」なんてまるで思わない。スマホ警察みたいにもなりたくない。とにかく、理屈はどーでもいい。人と違う選択をして承認欲求を満たす飢えはない。

単純に、今の自分にとっては、自分の時間の使い方がこのままではダメだという気持ちが悶々とあって、ふと延長線上に、「次の旅をするとき、スマホは無い方がいい気がする」と思っただけだ。最初は完全にスマホを断ってしまって、インターネットのブラックホールから投げ出された無重力状態でもいいかなと思ったけれど、ぼくは原稿をプリントアウトしたい派で、毎回コンビニに走ってプリントするので、ファミマかローソン用の「PrintSmash」か、セブン用の「マルチコピー」のアプリが必要だった。それに、パソコンで現像した写真も、スマホの画面で見ると印象が変わる。それができないことも嫌だった。どう思案してもガラケーだと補えないことがある。目的は何だ? とあれこれ考えた挙句、「スマホは解約しよう。ガラケーを契約しよう。でも、解約したスマホは処分せずにいよう」という折衷案に至った。

ぼくは今、この“元スマホ”がアイフォンだったので、“アイパッド ミニミニ”と呼んでいる。電話はできない、電波もない。Wi-Fiがなければおよそ何もできない。だから、その弱点をガラケーで補う。ガラケーは昨年秋に発売された機種だ。話のミソとして、このガラケーはデザリングができる。“かつお”と名付けたガラケーの電波を飛ばせるのだ。「あー、そういうことか」と思われたことだろう。そういうことである。すなわち、元アイフォンはどうしても必要なときにデザリングで蘇る。この距離感が、ぼくの選択だ。あくまで個人の感想だが、ずいぶん楽になった。ずっと首筋に繋がれていたよくわからない糸がバチィと断ち切れて、スパイダーマンのように自分の手から糸を放てる。プシュウッと糸を放ち、シュワッと飛ぶ。

電車に乗っていて、「誰か呟いたかな」「スポーツニュース更新されたかな」と体が無意識に元スマホを取り出す。チッ、電波が飛んでいない。電車のWi-Fiは飛んでいないかもしくは弱い。ガラケーからいちいちデザリングするのは面倒くさい。やがて「痛い痛い!」と、心の中のぼくに往復ビンタされる。「てめえは何のためにガラケーにしたんだ!」

映画館に行くとき道に迷った。でもデザリングして、Googleマップで探すのは面倒で、警備員の人に「映画館どこにありますか?」と聞いたら、ものすごく詳細に教えてくれた。「この方が早いじゃん」って。ホームセンターで探し物をしていて、今までなら一人で館内をずーっと歩き回っていたが、人に聞くことに慣れてきて、店員さんに尋ねてみたら居た場所の反対側にあって、「店員さんすげえ!」 って。というより、困ったときに人に聞くことは、屁理屈を除けば、とても普通のことだ。会話って自分がよっぽど人に迷惑を掛けたいというダークな気持ちじゃなければ、大丈夫かもしれない。半強制的に、半能動的に、知らない人と話すことが増えた。苦手だし、苦手だけど、心はフワッと楽なのだ。

とはいえ、「ガラケーなら、次の旅は紙地図ですか?」と聞かれたら、「いえ、元スマホをデザリングで繋ぎます」と言う。「それって逆につまんなくないですか?」と詰められたら、「いやいや、紙地図は大変じゃないですか。それが旅の目的じゃないんです」と逆のことを言う。スマホだから、ガラケーだから、という答えはキリがない。常に目の前の景色をどう見たいかの逆算に過ぎない。ぼくは箸が右利きでスプーンやフォークや包丁は左利き。納豆を混ぜるときは箸を左に持ち替えて混ぜるし、食べるときは右に戻す。字は左利きで、野球は右投げ右打ち。ダーツは右投げで、ビリヤードは左利き。もう、右手なのか、左手なのかは、理屈じゃない。自分の体に合う型が、深呼吸できて、生きやすい。


仁科勝介(かつお)
1996年生まれ、岡山県倉敷市出身。広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。

HP|https://katsusukenishina.com
Twitter/Instagram @katsuo247

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