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『もう一度旅に出る前に』36 『2266』 文・写真 仁科勝介(かつお)

およそ北海道3周分。と考えても、多いのか少ないのか、判然とはしないものの、忘れないように、頭の中で復唱した。

あらためて、ぼくが巡りたいと思っているのは、「平成の大合併前の旧市町村」と、「政令指定都市の区」のふたつだ。あまり、ルールを決めたとて、わかりにくいということはわかっているが、ルールを定めないと進めないので、基準をつくって、実際に巡るまちの数をかぞえた。

平成の大合併は、国が市町村合併に関する法律を改正して、1999年4月1日にはじまった。ぼくは当時2歳である。この合併がはじまる前、日本には3232の市町村があった。合併の第一号は兵庫県旧篠山市で、ややこしいのだが、現在は名前だけ変わって、丹波篠山市である。旧篠山市は、法改正の初日である1999年4月1日に、4つの町が合併して生まれた。つまり厳密には、3232という市町村数は、1999年3月31日まで当てはまる。それから、現在の市町村数は1718なので、平成の大合併を経て、1400ほどの市町村が減ったわけだ。

ちなみに、ぼくは以前巡った市町村の数を1718ではなく、1741と言っているのだが、差し引いた数は23で、すなわち東京23区の数を含めている。また総務省のページでは、1718の市町村数に、北方領土の6村を含めて、1724という記載もある。もう、みなさんにとっては、その数の違いで何が変わろうかと思うだろうが、ぼくもあまり変わらないとは思う。しかし、この数ほどの市町村があるということは事実で、ひとつひとつのまちに庁舎があって、暮らす人々がいて、誰かが生まれて、誰かが死んでいるのだから、くらくらする数である。

そして今回、旧市町村3232のすべてを巡ることはしない。なぜなら、平成の大合併以降、合併していない市町村もあるからだ。合併していないとはいっても、それ以前の時代には、旧市町村が存在していたと言える。明治まで遡れば、当時は全国に7万ほどのまちや村々があったし、戦後も1万ほどの市町村があった。ただ、そこまでカバーするのは、無理である。柳田國男さんや宮本常一さんをはじめとする、民俗学者やフィールドワーカーの文献資料を辿る方が正確で、面白いだろう。ひとりのちいさな人間として、ぼくができる範疇は、がんばっても、平成の大合併がはじまる1999年からである。だから、そこを基準にすると、「なぜうちのまちには来ないのか」や、「なぜこの地名でまちを捉えるのか」などと言われることもあるだろう。どうか、ご容赦願いたい。

そういうわけで、47都道府県の、平成の大合併以降に合併した旧市町村を、順番にひとつひとつ数えると、合わせて「2091」になった。ちなみに、ぼくの故郷は岡山県倉敷市で、平成の大合併以降、「倉敷市」「旧船穂町」「旧真備町」の3つの地域が合併した。そして、巡り方の例として、倉敷市もあわせて3つ巡る。倉敷市という名前は変わらないが、前回の旅で、違う場所を訪れている可能性もあるから。また、特徴として、都道府県によって巡る旧市町村の数はかなり差がある。東京都は、西東京市の「旧田無市」と「旧保谷市」のふたつしか、平成の大合併以降に合併していない。だから、原則はこのふたつのみである。一方で、新潟県は平成の大合併がはじまるとき、112の市町村があった。そのうち合併せずに今にいたる市町村の数は12で、つまり112から12を差し引いて、100の旧市町村を巡る。都道府県によって差はあるけれど、この基準で巡っていく。主には、公益財団法人国土地理協会さんのWebサイトにある、『全国市町村マップ』を参考にしている。このマップは丁寧で、平成の大合併以降に合併した旧市町村も、地図としてまとめられている。今回の旅にあたって、マップを活用する許可もいただいている。

さらに、もうひとつのテーマである政令指定都市は、北の札幌市から南の熊本市まで、日本に20ある。どの市も区が設置されていて、それらをひとつひとつ巡る。やはり同じ市でも区ごとによって、生活や景色に違いがあるはずだ、ということは、東京23区を歩いて感じたことでもある。そして、20の政令指定都市の区をすべて足すと、「175」になった。つまり、今の日本には東京23区を除いて、175の区があるということである。そこにたくさんの人々が暮らしているのだと想像すると、またくらくらする。

よって、今回訪れる旧市町村の数「2091」と、政令指定都市の区の数「175」を合わせると、「2266」となる。この2266という数が、間違っている可能性もあるが、新しい旅で巡る数字だ。前回巡ったのは1741という市町村数で、それよりも525多い。今、北海道の市町村の数は179なので、数としてはおよそ、北海道を追加で3周分になる。具体的な数が想像できるようになったならば、あとはできる限りの準備をしたい。


また、準備として、スーパーカブが直った。もう少し調整をしたい箇所もあるけれど、何より、ひと通りメンテナンスをしていただいて、走れるようになった。タイヤも前輪と後輪ともに変えていただいた。だからこの前、3年ぶりにエンジンをかけた。聞き慣れた音が車体を揺らしたとき、感情が高まった。ハンドルをひねると加速し、左足で2速、3速、4速とギアを入れた。ガチャッ、ガチャッ、とまた懐かしい振動が体に伝わった。

そして、旅に持っていくカメラバッグをどうするべきか、いろいろと悩んでいた。その結果、前回の旅で最初から最後まで一緒だったカバンが良いのでは、という結論になった。しかし、このカバンは今も使っているのだが、底が大きく破れていて、大きく補修をしてもらっており、肩にかけるストラップも長くほつれていて、それも長く縫ってもらっていた。愛着もあるが、次の長い時間を耐えるには、流石に無理があるのではないか。そのときふと、「同じカメラバッグがないだろうか」と調べてみたら、生産が終了していた。しかし、ネットで展示品だけが唯一販売されていて、セールと重なって、価格も安く同じカバンを買うことができた。届いたら展示品とはいえ、ほとんど新品だった。さらに、何より驚いたのが、前回のカバンと今回買ったカバンが、同じ種類なのに、まるで違っていたことだ。別物に見えた。前回のカバンは、破れ、ほつれ、色褪せて、シミができている。だが、新しいカバンと一緒に並ぶと、底知れぬ何かを発していた。同じカバンを買ったから気づくことができた。興奮して隣人にも見てもらった。隣人は古い方がカッコいいね、と言った。モノは不思議だ。部屋に戻って、自分なりに引き継ぎ式を行った。


仁科勝介(かつお)
1996年生まれ、岡山県倉敷市出身。広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。

HP|https://katsusukenishina.com
Twitter/Instagram @katsuo247

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