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柔軟とブレ

こんばんは。伊藤風太です。

“周りが騒がしい中でも自分が信じた事をやるというのは、すごく難しい事ですけど、そういう時に共通した哲学を持った仲間が周りにたくさんいることで、ブレずにいられたというのはすごくあると思います。”

常田大希さんへのインタビューを記事を読んで、“ブレない”ということについて考えさせられた。

僕は柔軟であることは大切だと思っている。
例えば、自分が尊敬している人、信頼している人から、「こういうのやってみたら?」と言われたら素直に一回やってみるようにしている。(サボる時もある)
自分が考えもしなかった提案を一度受けてみると、案外流れが良い方向に転がったり、思ってもみなかったチャンスに巡りあえることがある。

一方で、“周りに流される”ということは、やっていることは似てそうで、そうじゃないと思う。
意外と(僕もそういう時はあるけど)、「自分は柔軟だから」と言ってただ単に周りに流されている場合は多々ある。

周りに流され続け、周りに翻弄され続け、レールに乗ったまま生きていると無味無臭の人間になる。
その人独自のえぐみ・臭みが一切消え、無味無臭の人間になる。
言い換えると、面白味が無い人間になる。

僕は無味無臭の人間になるのは嫌なので、
自分が好きなもの・信じるものの価値観はブレずに、自分は今、“あえてこれをやっている” のか、“ただ流されているだけ” なのか?
これは意識せねばと思った。

「柔軟であること」と、「周りに流されること」とは一緒ではない。
というテーマでした。

それではまた。

伊藤 風太

P.S.
彼女から僕のブログは中二病をまだ引きずっているようで面白いと言われた。(笑われた)

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