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クレール・ドゥニ『美しき仕事』を見て

映画の話をする前に自分の話になるのだが、私は現在週3日だけ都内の図書館で働いている。わりと大きな図書館でスタッフの人数も多いのだが、長く勤めているベテラン層(40~50代女性)と勤続5年以内の若手層に偏っていて、中間層がほとんどいない。新人が入ってもすぐに辞めてしまう職場なのだ。思う以上に体力が必要であるということや、給料の安さがその理由としてあると思うけれど、もう一つの理由としては、ベテラン層の結束みたいなものが強くて、そこへうまく馴染めるかそうではないかというのがあるように思う。もちろん、ベテラン層にいる一人一人は必ずしも悪い人たちではなくごく普通の人々に思えるのだが、その一人一人も結束すれば別の脅威に感じられてしまうということはあるだろう。

職場には9畳分ほどのスタッフルームがあって、休憩時間はほとんどの人がここに集まって休憩をとる。もちろん外に出ることもできるのだが、図書館の周りには休めるような店がなく、飲食店がある駅前に行くには15分ほど歩く必要があるし、制服を着替えなければならない。だからほとんどの人は出かけずにスタッフルームで過ごすのだ。
私は以前まで図書館の近くにあった小さなハワイアンカフェに行っていたのだが、そのカフェが閉店してからはスタッフルームで過ごすようになった。
数脚用意された白い丸テーブルにはコロナ禍のなごりでビニールのつい立てがまだついたままになっている。そんなつい立ても気にせず、ベテラン層はベテラン層同士集まって座り、ひそひそと噂話に興じるか、持ち寄ったお菓子を交換したりしている。
一方、若手層はベテラン層と同じテーブルにつかないように細心の注意をはらって座り、皆一様に押し黙っている。話してはいけないなどという決まりはないはずだが、なぜか皆黙っているのだ。
私は何となく居心地の悪さを感じた。
「今日はいい天気ですね」とか、「あなたの食べてるそれは何ですか?」なんて話でもすればいいのだ。でもその先をスムーズに続けられる自信がなくてやめておこうと思う。
ましてや「あなたはどうしてここにいるんですか?」なんて踏み込んだことは絶対に聞けなかった。でも、私が続けられる話といえば、本当はこういう話なのだ。けれど、この場所においてはきっと相手の琴線に触れて混乱させてしまうだろうから、私はそっと蓋をした。
そんなこんなで、私たち若手層は休憩時間を黙り通して過ごした。
目の前に座っている人が読書や自分の趣味に没頭してくれているならまだよかったが、虚ろな目をしてコンビニのパンをかじられたりすると、何となく魂を抜かれている人のように見えて恐ろしかった。
私は逃げ出したかった。

先月、渋谷のBunkamuraル・シネマでクレール・ドゥニの『美しき仕事』を見てきた。ハーマン・メルヴィルの小説『ビリー・バッド』を下敷きに1990年に作られた作品のレストア版だ。
どうしてこの映画を見ようと思ったかというと、予告を見た時から気になっていたドニ・ラヴァンのダンスシーンが見たかったのだ。『汚れた血』ではボウイの"Modern Love"に合わせて街を駆けぬけ、『ホーリー・モーターズ』ではその身体能力を活かしながら何人もの人物を演じ分けた。そんなドニ・ラヴァンに私は魅了されてきた。

『美しき仕事』のあらすじになるが、ドニ・ラヴァン演じる主人公のガルーはアフリカのジブチに駐留している外国人部隊の上級曹長。身体はよく鍛えられており、毎朝鏡の前で丁寧に髭を剃り、シャツのアイロンがけは怠らず、ベッドにしわ一つ残さない。潔癖でまじめな性格が漂っている。
ある日、部隊にサンタンという若い新兵がやってくる。サンタンは背が高く、若いけれどどこか胆がすわっているような独特な雰囲気がある。その上、仲間が窮地に陥ればわが身を顧みず助けに行くという正義感を持ち合わせている。そんなサンタンに対してガルーは次第に嫉妬のような羨望のような複雑な感情を募らせ、彼を疎ましく思うようになる。
最終的にガルーはある事件をチャンスのごとくとらえ自分の上級曹長としての権力を行使することでサンタンを部隊から追放することに成功する。
しかし、結局はそのことが引き金となって問題が露呈し、ガルーは除隊処分となって帰国する。

物語はガルーの綴る独白と同時に進んでいくので、彼がサンタンに感情を募らせていく様子は比較的わかりやすい。一方サンタンは終盤までセリフ数が少なく、表情の変化もあまりないので感情が読み取りにくい。しかしガルーによって部隊から追放され、塩湖で倒れる場面でつぶやく「負けた」というその一言で、サンタンもまたガルーに対して何らかの意識を向けていたということが明白になる。
私は初めて知ったのだが、外国人部隊というのはフランスの部隊ではあるが外国人でも入隊できる場所で、訳ありな過去をもっている人にも開かれている場所なのだという。若いサンタンも人生をやり直すために入隊してきたのかもしれない、ということは容易に想像できる。それが意図せず部隊から追放され、その後は塩湖で通りすがりの現地人によって拾われ、見知らぬどこかへ連れて行かれるというのは何というか、憐れにも思われるのだが、きっと彼は一所に留まることのない、トリックスターというかアウトサイダー的存在の象徴なのだろう。

ガルーは除隊処分となり、自室でピストルを手に持ちベッドに寝そべっている。彼の上腕がクローズアップされ、血管は脈打っている。
一瞬不穏な気分にさせられるのだが、突然転調したかんじになって、ディスコミュージック [Corona"the rythm of the night"] が始まり、何かがふっきれたように踊り出す。
部隊に従事するためにだけ鍛えられていた彼の身体が、感情の放出によって芸術的なダンスへ昇華されていくラストに私はとても勇気づけられたのだ。

先日の休憩時間、何か飲み物を買おうと思って自販機の前にいた。
いつもはめったに選ばない炭酸がその日は飲みたくなって、ウィルキンソンソーダのボタンを押した。以前ベテラン層が集まって「無糖の炭酸は飲み物じゃない」という話をしていたことを何となく思い出していた。

スタッフルームに入ると、いつものようにベテラン同士のひそひそ話が交わされていた。若手層は相変わらず黙っている。
私はちょうど空いていた中央の丸テーブルに座るとボトルのキャップを力を込めてひねった。鋭い音がスタッフルームに響いて、一瞬あたりがしんと静かになった。
私はソーダを一口飲んだ。炭酸の刺激が舌から喉へ伝わり、体をかけめぐった。ボトルをテーブルに置くと、上へ向かって勢いよく泳ぎはじけていく無数の泡を見つめていた。


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