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昔の私はは可愛いかった(と思う)

昨夜は熟睡出来なかった。
疲れてるはずなのに、
眠りが浅かった。
5時に一度起きて、
蒟蒻を茹でて、

蒟蒻は茹でて、
ビニール袋に入れ、
タオルで包んで、
腎兪の辺りへのせました。


背中(多分腎兪のあたり)に、
コンニャク湿布をしました。
背中にのせて、
6時までうつらうつらにしました。

少し背中が楽になったので、
二週間ぶりのときのこやへ、
野菜を買いに行きました。

午後はほぼ、倒れてました。
YouTube聴いたり、
本を読んだり、
トロトロ居眠りしたり。 
やだなぁ、
年寄りみたい!
(紛れもなくとしよりですが)

しかしながら、
昔、私は若かったのです。
(証拠が無いのが無念ですが)
多分、可愛かった。
(かもしれない)
過去の思い出を浮かべたら、
そうだったのじゃないか?と、
思われる節があるのです。

昨日、
この本を読みました。

60年くらい前、
私はサガンの「悲しみよこんにちわ」を読んでました。

私には美男子のジゴロも居なければ、
(可能性はあったかもしれないけど)
お金持ちのパトロンとも無縁でしたが、
サガンの寂しさは分かった。
(そのつもりでした)
それと、
言葉に出来ない
(掴みきれない)
孤独を感じていました。
全紙を貼った画板を入れた袋に、
ボンジュールトリステ
(悲しみよこんにちわ)と、
書いてました。
(もう、フランス語で書けない)
多くの取り巻きに囲まれていたサガンの、
どうにも出来ない孤独感に、
私が共鳴したのだと思います。

多分、若かった私は、
未熟で、
独りよがりで、
少しは可愛いかったでしょう。
全く理不尽なことばかりしてた、
愚かだったと思います。

だから、
「ブラームスはお好き?」を読んで、
未だにサガンに共鳴する自分に気がつきます。

さて、息を吹き返して、
夕飯。

最後の水村の油揚げに、
大根おろし。
ヒエの夏サラダ。
朝入れた糠漬け。
コーンごはんとジャガイモの味噌汁。

味付けご飯なら、
おかず要らないと思ってのコーンご飯でした。

昔、可愛かったとしても、
今の私にとって、
それが何になるのだろう?
歳をとる(重ねると言いたい)と、
外見より、失われていく能力が問題。
こればっかりは、
そうなって初めて感じることでした。
でも、サガンと響き合えるって、
なかなかの高齢者じゃないかな?

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