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いつのまにかあたりまえ

先日以下のようななぞなぞに出会いました

いつも三つ編みのミサキちゃんは、
毎日一人で幼稚園に通っているのに
誰からも褒められることはない
いったいなぜ?

ちょっと違和感を覚える問題文ではありますが、
この記事を読んでいるあなたも挑戦してみてください



「三つ編み」って情報はなんだ?!
この情報必要??



もし小学生前の子どもが幼稚園に一人に通っていたとしたら、確かにそれはすごいことだから褒められるだろうな



ーーー答えーーー
答えは、「ミサキちゃんは幼稚園の職員だから」

解説?
本当は大人の「ミサキちゃん」
「三つ編み」や「ミサキちゃん」という表現で子どもを連想させ、子どもが幼稚園に一人で通うのってすごいのにどうしてほめられないのだろうというような思考にもっていかせたかった


このなぞなぞを解いたとき、なぞなぞ事態にも違和感を感じたが、それ以上にまる。の頭を埋め尽くした感情があった

それは
子どもなら褒められて当たり前のことが、大人だとほめられなくてあたりまえなんだ
ってこと

おそらくまる。がなぞなぞに対して抱いた違和感もこの問いから来ている気がします


もしミサキちゃんが子どもなら
みんながほめてくれるのがあたりまえ

でもミサキちゃんが大人なら
みんながほめてくれないのがあたりまえ

そんなメッセージを含むこのなぞなぞに、改めて考えさせられました


子どもと大人の当たり前

子どものころは、なにかができるようになるとなんでもほめてもらえる
それは大人の子どもに対すす”今なにかができること”に対する期待が高くないから

だから、なにかができる子どもはそれだけで大人の期待を上回ってほめられる

・一人ではいはいができた
・一人で立つことができた
・「お母さん」「音尾さん」としゃべることができるようになった
・一人でお使いができた
・一人でお片付けができた

なんでもかんでも期待以上だからすごい

「できない」が当たり前だから、「できる」ことがすごい


でも大人は違う
「できる」ことが当たり前だから、「できる」ことはすごくない

一人で立って歩けたって
一人で買い物に行けたって

もちろんだれもすごいとは思わない

だってそれがあたりまえなんだから

みんながやっているようなことが「できる」だけでは何もすごくない


別にこれが悪いと言っているわけではないし、むしろそれが普通だと思う

だって仮に大人が立って歩いていたらそれだけですごいと褒められる世の中だったとしたら、それはそれで面倒だしね


なにがいいたいのか

大人って褒められる機会が本当に少なくなったよね

家事がいい例だと思う

・お皿を洗った
・洗濯物をした
・部屋を掃除した

なんでもいいけど
みんながやっていることをしただけではほめられない、認めてもらえない
当人は頑張ってやっているのにね

そうやって大人の努力は誰にも見てもらえず埋没していってしまっているような気がする

子どもみたいに常に大人が見てくれているみたいなことはないとは思うけど
誰かがずっとみてくれていて、それを無条件にほめてくれるみたいなことはないとは思うけど

それでも頑張ったのに誰もなんも言ってくれないってのはなんかさみしいような


一人暮らしならまだしも
家族として一緒に暮らしている人がいるなら

人と一緒に生活することができることってなんかわからないけどとてもすごいことな気がするし
お互いにもっと褒め合ってもいいのではないかな~って

ほめるというのは少し違う気もする
感謝かな

お互いに生活を支えてくれているということをしっかりと認め合って
常に感謝を忘れないようにしないとな~


というまる。の反省


いつも母に料理洗濯してもらって当たり前になってしまっている気がするし
しっかり感謝を伝えよう

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