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「聴く」とは、こういうことだ!!

先日、ドッグサロンなる場所へ、行ってみた!
今まで行ったことはなく、ほんとうに人生初めての経験だった!

そこはもう癒しの世界が広がっており、いままで来なかったことが、とてももったいないと感じるほどだった!!




癒しのわんちゃんたち

彼ら彼女らを抱きかかえ、至極のひと時を過ごした


頭をなでたり、背中をなでたり、ぎゅっとつつみこんだり

ほんとうに癒し以外のなにものでもなかった



そんな癒しの最中
いとおしいと思うほどにかわいいわんちゃんに囲まれて

一つのことに気が付いた


自分が、必死にわんちゃんたちの気持ちを理解しようとしていることに


もちろん、わんちゃんは人間が扱うような言葉を発しない

だからこそ、だ


わんちゃんが自分の手を必死になめはじめた
いま、どういう気持ちなのかな
抱かれているわんちゃんのことがうらやましいのかな


別のわんちゃんはとんだり跳ねたりしている
いま、どういう気持ちなのかな
なにかあたらしい遊びをみつけてたのしんでいるのかな


わんちゃんが足をばたばたさせている
いま、どういう気持ちなのかな
なにか不快に感じることがあったのかな



言葉がないからこそ、精神を研ぎ澄まし、相手のことを理解しようとする
相手の一挙手一党即までも、その行動の意味を汲み取ろうとする


よく、買主は犬の気持ちがわかるというが、いままさにその言葉の意味が分かった気がした

お互いに大切にしたいと思いあっていれば、相手のことを知りたいと思いあっていれば、言葉のような最短距離ではないにせよ、お互いのことがわかるようになるはずだ、と



そして、また新たな思いに包まれる

人は、言葉を絶対視しすぎてはいないだろうか


言葉があれば、なんでも伝えられる
なにかを伝えたい場合は、言葉にしないと伝わらない(=「言わないとわからないよ」というのが、典型例だろう)

こんな感じで、人は、便利な言葉にすべてを頼りすぎているのかもしれない


言葉は、聞き手でなくて話してがその空間を支配する

聞き手は、たいていの場合は、相手から降ってくる言葉を、ただ能動的に受け取っていればいい

そんな状態が続けば、自ら積極的に聴くという力は失われるだろう
相手が言ってくれたことしか、受け取ることはできないだろう


対して、言葉によらないコミュニケーションは違う

言葉によらないコミュニケーション、いわゆるノンバーバルコミュニケーションは、話し手もそうだが、聞き手も頑張らないといけない

聞き手も、相手がなにを伝えようとしているのか、どういう気持ちなのかを、積極的に拾いに行かないといけない

このようなコミュニケーションが続けば、言葉以上に、相手を思いやれる人になれるはずだ
相手が苦しいときに、言葉にできない思いを抱えている時に、気づいてあげる力がつくだろう


そう、聴くとは、こういうことではないだろうか

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