1.12 ある種のナルシズムについて

昨日、友人と日記の話をしていて、まだ僕のnoteを知らなかった友人にこの日記を知らせることとなった。

ーーようこそ、あなたが2人目のお客様ですーー

古のネットのページを再現して最大限の歓迎をしておく。

その繋がりで、友人が僕の日記の中で良いと思ったものを教えてくれたのだが、自分で読み直してもとても良かった。これ誰が書いたんだ、って思うくらい。僕なんだけどね。僕。

まず前提として僕は僕のことが好きだ。このナルシズム越しにコミュニケーションを普段とっている。顔がカッコいいとか思ってるわけじゃなくて、人間として、だ。自分のユーモアは面白いと思っているし(まず普通は面白いと思わないと外に出さないと思う)、人の話をよく聞いてあげて優しいと思っている。あと、筋トレしていて偉いし、筋肉があってかっこいい!最高!

ちょっと気持ち悪いか、ごめん。

で、ここでドッペルゲンガーの話をするが、ドッペルゲンガーと会ったら絶対に殺し合いをしてしまう、といった有名な話がある。これは今まで何故そんなことが起こるのかわからなかったが、最近ようやくわかった気がする。自分が自分自身で許せてないこと(ミスとか)を他人だとより許せなくなるのだ。自分だからこそ許せていることが、許せなくなって、不快感が鏡の反射のように強くなっていってしまい、殺す、という最後まで行ってしまうのだろう、と思う。で、僕はどうするかというと、僕も自分が目の前にいたら長い時を超えた末に殺し、一人になってしまうと思う。でもパワーとかも同じなのだとしたら両虎相打つじゃないけど、どっちも死んじゃうのかな。不意打ちだったら死なないか。もしもそのときはそして誰もいなくならないように不意打ちするように心掛けようとおもう。こうして、こうして、こう。シュミレーションは完璧だ。、、でも相手も自分だったらおんなじシュミレーションしているのかな、そしたら、、、なんて考えている。星新一の本にありそうだな。これを書いていて「そして誰もいなくなった」を買ったまま積んでいることを思い出す。しかしまだ読む気はない。まだ寝かせられる。まだ発酵させられる。本棚が少し臭うようになってきたらついにその1ページ目を開こうと思う。


臭い、で思い出したのだけど小学生の頃トイレの小便器に書いてある、臭いを抑制するため自動で水が流れることがあります、って表示の、臭い、っていう部分を、におい、じゃなくてずっと、くさい、って読んでいた。いや、これは書くにはあまりにもどうでも良すぎる思い出か。そんなどうでもいい思い出なんだけど、僕は今だにトイレに行くたびにそのことを刹那思い出している。そのことに関して最近気付いたのだが、女性用トイレにはこの表示がないんだよな。そしたら、このあるあるが共感される可能性は1/2ってことか。自分で書いていてあまりにもくだらなくなってきた。こういうところも自分で自分を殺す原因の一つになるんだろうな、と思う。たまたまだけど自分なりにまとまりが良くなってきた、と思うので今日はここら辺でお暇を頂こうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?