6.13 読者を想定する?

ふと、知り合いがやっている演劇のサークルのようなものの日記が更新されていたので読んでみる。かったりい、な。と思った。あの形の日記が間違っているとは全く思っていない、あの雰囲気を求める人もいるのだろうけど、多分あの日記は誰かに見られることを想定して書いているんだろうな、と思う。推測の域を出ないが、誰々さん読んでくれるかなと顔を思い浮かべながら書いているのではあるまいか。そう言う日記の形があることは知っているし、それが本来の日記の姿であるかもしれないことはわかってはいるのだけど、日記というものに読者を想定してはつまらないんじゃないかって僕は思うわけである。実際、僕もこの日記のことは友達に言ってはいるが、書いている時は自分と向き合っているのみで、いいねなどは妖精が窓の側に置いていってくれたどんぐりみたいなモノだと思っている。

話変わって、体調が悪い話をさせてもらうのだけど、それは厄年のせいだと思っている。ちょっと前までは厄年って概念に、「運の悪い年だけ伝えてくるなよ、運のいい年も同様に伝えてもらわないと不公平だろ、お話にならない」と思っていたのだけど、こう言うちょっとした悪いことが起こった時に、厄年のせいにすることができるのか。便利だな。早く体調治ってくれ。

さっき熱測ったら37.5あった。最悪だ、厄年ファックだぜ。

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