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「駅立ちの神様」と会って

はじめに記しておくが、私は立憲民主党員ではありません。
立憲民主党を特別支持しているというわけでもありません。

日本には、駅立ちの神様と呼ばれている国会議員がいます。
第95代内閣総理大臣・野田佳彦先生。
一国の長を務めるまで、また退いた後も、38年間駅に立ち続けている孤高の政治家です。

私が高校2・3年生だった頃の「野田総理」は、30歳の私が生まれる前から今に至るまで、駅立ちをされています。

そのことを知ったのは去年のこと。私が政治家を志す前のことでした。
私は今年の初めから、毎朝毎晩100回以上駅に立たせていただき、772票の御信託を得て扶桑町議にならせていただきました。
町議となった今では少しスタイルを変えて、ただ立って挨拶をするだけでなく、毎月手作りの活動報告を配布するために立つスタイルに変更。
野田先生と異なり選挙区が広くないため回数自体は減りますが、野田先生と同じように「かわら版」を配るイメージで駅立ちをしております。

雨の日も、雪の日も、氷点下の寒い日も、猛暑日の暑い日も。
正直に言うと、立ちたくない日も途中で帰りたくなる時もありました。
そんな時は、首相経験者でも駅に立っているのにこんなことでやめるわけにはいかない、きっと今も野田先生は駅にいらっしゃるはずだ、そう思って耐えました。

2024年8月2日金曜日、千葉県船橋市のJR下総中山駅。
野田先生は、いつものように駅に立たれていらっしゃいました。
ちょうどこの日、視察のため千葉市に宿泊していた私は、せっかくの機会にお邪魔することにしました。

次期衆院選より、船橋市は千葉4区と千葉14区に分かれます。野田先生は14区から立候補を予定されており、下総中山駅のある千葉4区は水沼ひでゆきさんが「挑戦者」として活動されております。この日は野田先生が水沼さんのビラを配るという状況でした。

7時30分。私と現地合流した選対本部長の2人は、意を決して野田先生に声を掛けました。
「愛知県の扶桑町というところで町会議員をしております、山田あつきと申します。何かお手伝いさせていただけることはありませんか?」
野田先生はすぐに、スタッフの方に伝えてくださり、8時30分までの1時間、野田先生とスタッフの皆様と一緒に水沼さんのビラを配らせていただきました。

おはようございます。
お気をつけて行ってらっしゃいませ。
良い1日になりますように。
ありがとうございます。

汗をかき、声を枯らして繰り返す。
政治家歴37年の総理大臣経験者と、町議になって3ヶ月足らずの私が同じ場所で、同じ空気の中で。
野田先生よりも当然深く、深々と頭を下げる。
自分の活動報告ならまだしも、はじめましての方の心のこもったビラを配布させていただいている。
野田先生や水沼さんに迷惑をかけないように、千葉県民の方に悪い印象を持たれないように、精一杯の笑顔で。

途中でスタッフの方より水分補給の時間をいただいたり、野田先生より「山田さん、熱中症になるといけないから上着は脱ぎなさい(失礼の無いようにスーツで正装でした)」と、優しく気遣うお声掛けをいただいたり、たった1時間だけでもチームの一員として受け入れていただき感謝しかありません。

8時30分、野田先生から名刺をいただき記念撮影。

ビラ配り後、野田佳彦元総理と私。
家宝となるであろう、いただいた名刺。

いつも画面の中にいらっしゃる方を目の前に話させていただく、感極まるものがありました。大変貴重な時間を過ごさせていただきました。
扶桑町は旧愛知10区にあり、藤川政人参議院議員、江崎鉄磨衆議院議員の地盤です。選挙区なので、両先生方を見かけることが多々あります(新愛知16区となる次期衆院選候補者の方のほうがよく見かけますが)。
しかし、首相経験者とお会いさせていただく、お話しさせていただく、一緒にビラ配りをさせていただく機会など、滅多にあるものではありません。しかも成り立ての、同じ政党に属しているわけでもない無所属無会派の30歳のたった1人の町議が、です。

駅立ちの神様こと、野田先生。
先生の背中を追い、100回を超える駅立ちをすることができました。
心折れることなく、こうして町議になることができました。
精一杯の感謝の気持ちを、ビラに込めさせていただきました。
ご一緒させていただき、本当にありがとうございました。

最後になりましたが、特別な経験をさせていただいた野田佳彦先生、水沼秀幸様、スタッフの皆様、「僕も配るよ」と仕事終わりに愛知県から夜行バスで駆けつけてくれた選対本部長へ深い深い感謝を申し上げます。
必ずやこの経験を政治家人生に活かし、扶桑町のより良い未来の為に力の限りを尽くさせていただくことを改めて心に刻ませていただきます。

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