ものがなしい記憶
嗅覚と記憶は密接に結びついている。視覚も時に記憶と分かちがたいがんじがらめをつくることがある。
好きだった人が好きな色を無理に好きになろうとして挫折した。その後大いに幻滅する出来事があって、いまだにその色がきらいだ。勢いで買ったあの毒々しい色のつるつるしたシャープペン。
その人の声は、記憶を辿るといまだに微かな懐かしさをおぼえる。声なんて十年以上聞いていないのだけど。可笑しいかな。
こどものころ、悲しいことがあった日に着ていた服が、見るのも辛くてとても袖を通せなくなった。箪笥の中でその模様がちらつくたびに視界が涙で曇り、そんなふうにいちいち悲しがる自分がやるせなかった。
あの時自分が何を着ていたか、は結構覚えているものだ。何しろ選ぶ時にそこそこ考えるので、その思考回路もいっしょに残ってしまう。「気合を入れてきたと思われたくないから、新しい服はやめておこう」とか(そこまで考えたのにいやなことは起きてしまったのだけど)、「今日はいちばんすてきな自分でいたい」とか。その滑稽な健気さまでぜんぶ丸ごと。むしろそういう変なディテールばかり記憶に残って、どんな話をしたとか、どんなふうに会った相手が笑ったとかは全然覚えていない。思い出したくてももう忘れてしまった。
花のむせかえるような香りは、病室へわたしを追いやる。花の香りがするとその奥に線香の香りが浮かんでくる気がして、不安になる。服に染み付いて取れない焼けるような香りも一緒に。
イランイランの香りはどうしようもなく動揺して取り乱した出来事のあと、必死に焚いたものだった。そのあとどうしたってそのことそのものや、濡れた枕のしめっぽさを思い出してしまう。香りは特に気をつけなくちゃいけない。
こういう、とりとめのないちょっとした話を気を許せる友人にするのが好きだった。でも、それを楽しみにするにはあまりにもとらえどころがなく、お酒の力を借りるまでもないし、そもそもなんで人にそんな話をするのか、よくわからない。
わたしたちは永遠に分かり合えないのに、何を話してきたんでしょう。淡い希望はもう持つまい。
ものがなしいではすまされない記憶もあるけれど、あえて乱暴にものがなしい記憶と題した。
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