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父、2022年を振り返る

2022年、とても充実していた。忘れてしまうのは勿体ないので自分のために時系列でまとめておく。

アメリカから帰国

2度目の米国挑戦も運命に翻弄されて失敗に終わった。詳しいことは下記エントリにまとめたのでここでは触れない。ただ、家族と一緒に居られる喜びより大切なことは我が生涯に存在しないことを改めて思い知った。子供たちが成人するまではこれ以上変な気を起こすことはない。

車を購入

車を買った。これは2022年最良の買い物だった。

SERENA C27

よく「車を買うぐらいなら毎回タクシーに乗ったほうがよい(ドヤァ」という言説を見かけるが、エアプであると言わざるを得ない。両者は比較可能なものではない。それについて1万字ぐらい語りたいが、この余白はそれを書くには狭すぎる。別途記事にしたい。

転職した

Microsoftに転職した。これについてはこれまで何処にも書いて来なかったが、やはり触れておかざるを得ないであろう。

入社時のStarter Kit

旅の終わり」に一部書いたが、米国から日本への帰国は飽くまで前職社内における部署異動のはずだった。新しいチームで開発したプロダクトは文字通り世界中で使われている著名製品群で、その開発に関われたことは我がソフトウェアエンジニア人生でも大変に名誉なことだ。途方も無い大きさのソフトウェアをいかようにして分割統治し、それを世界中で分散開発し、製品としてリリースしていくのかという工程を見られたのは誠に得難い経験となった。また、チームメイトも素晴らしい人達ばかりで彼らと一緒に仕事をできたことには大いに感謝している。しかしながら大変残念なことに

  • 時差

  • マネージャーとの考え方の違い

から我が家の生活は徐々に蝕まれていき、ある『決定的な出来事』があってから転職を決意した。日本に帰らなければならない僕を受け入れてくれたチームから数ヶ月で離脱してしまったことは忸怩たる思いだ。しかし自分の精神と家族の暮らしを守るためにはやむを得なかった。なお、これについて詳細をインターネットに書くことはない。

転職活動

当時は生活が崩壊しかけていたので、転職活動は簡単ではなかった。とにかく睡眠時間を削ってシステムデザインの本を読んだりコーディング対策をした。特に目新しいことをしたわけではなく、下記の本を読んで復習した後はコーディングクイズを解きまくった。参考までに記載する。

会社はたくさん受けたわけではなく、米国企業を2社だけ受けた。結果的に両社とも内定をいただけたが、すったもんだの末にMicrosoftのオファーにサインした。詳しくは次節に書く。

Microsoftという会社

決め手は2点ある。1つ目が仕事内容。もうひとつがマネージャーとの面談。

1つ目を説明する前に、僕がMicrosoftで何をやっているかインターネットに初めて書く。MicrosoftではCommercial Software Engineeringという組織にSr. Software Engineerというタイトルで採用された。この組織は簡単に言うとMicrosoft製品作っているのではなく、Microsoft製品顧客と協業してソフトウェアを開発している。顧客の開発チームとMSの開発チームがタッグを組み、数ヶ月掛けて顧客のためのソフトウェア開発を行う。いわゆるProfessional Serviceとは違い、この際我々は直接この対価を授受しない。顧客はすでにAzureなどのMS製品およびサービスの大口ユーザであるかその見込みがある場合に我々が顧客の製品開発のジャンプスタートを助けるというわけだ。

前職でエンドユーザが直接使用するデバイスやサービスを世界規模で開発できたのは素晴らしいことだったが、規模の大きいプロダクトであればあるほど、ソフトウェアエンジニアは「特殊な形のパズルのピース」であることを求められる。より深い専門性を持ち、製品の非常に限られた部分のプロフェッショナルとしてシステムの歯車を務める必要があるわけだ。以下はMSの面接でも包み隠さず言ったことだが、僕は5年後10年後という将来には起業したいと考えている。それに先立って、

  • 世界中でどんなビジネスが起こっているか

  • どうやってそのようなビジネスのゼロイチ部分の開発を行っているか

といった部分を知ることができるのは、単に大きな仕組みの一部となるよりも魅力的だった。

2つ目は端的にいうと面接の体験が非常によかったことだ。後に僕の直接のマネージャーとなる人物は大変に聡明で、かつ柔軟性があり、ハッカーとしてのエゴイズムよりもビジネスの合理性を優先できるプロフェッショナリズムを備えていることは何度も話しているうちに強く感じた。技術面の面接も誠に体験が良かった。詳しいことを明かすことはできないが、机上のテストに拘泥しがちなBig Techのコーディングテストとは非常に異なった、将来の働き方を想像できるようなインタラクティブでワクワクするものであった。

決定打になったのはマネージャーのマネージャーとの面接だ。これは後に知ったことであるが、Microsoftの面接では最終面接の後に "As-Ap" と呼ばれる追加面接が設定されることがあるらしい。これも詳細はググって欲しいが、ここで後のボスのボスが言ったことは非常に印象的だった。

僕の仕事かい?それはみんなが楽しくやりがいをもって働けることを保証することだよ。みんながいまやってることを楽しめているか、近い将来思い描いているキャリアゴールと仕事内容にズレがないか。
そうそう、つまりさ、もし仮に君が入ってくれたとして、僕は君に長く働いて欲しいわけなんだけど、残念ながら「おや、自分がやりたいことと組織でできることに乖離があるな…」と感じ始めたら、どうか「辞める!」なんて言わないで僕に言って欲しいわけだ。縁のあったメンバーを次の縁につなげるのも僕の大事な役割なんだよ。そうしたら君たちという才能を他社に取られずに済むからね。

これにはシビレてしまった。実は待遇面では大きな差があったのだが、この時点で僕の心は決まった。いまの会社ではお互いがお互いを必要とする限り出来るだけ長く働きたいと考えている。

修士号を取得した

北陸先端科学技術大学院大学の博士前期課程を修了し、修士(情報科学)が授与された。

勢い余って博士課程にも進学してしまった。どうなることやら。詳細は上記エントリを参照して欲しい。

家を買った

最初のマンションを購入したのは結婚した直後で、我々に将来子供が生まれるかどうかなど想像することもできなかった。それでDINKsに便利そうな都心駅チカの2LDKを買ったわけだが、あれよあれよと子供が2人生まれてしまい一瞬で手狭になった。決定打は車の購入で、いまは駐車場費用が月額35000円もかかっており、年間42万をこのためだけに支出するのはまったくバカバカしい。

当初は妻の強い希望でマンション中心で3〜4LDKを探していたのだが、

  • 近隣エリアの新築マンションは坪単価400万に迫る勢い(つまり3LDKで8500万、4LDKなら億超え)

  • 結局それでは駐車場問題が解決しない

ということで、僕の希望をプレゼンして納得してもらい、一軒家を購入した。いまは新生活の立ち上げでてんやわんやである。これについては面白いエピソードが溜まってきたら別途エントリとしたい。

和室に設置したこたつ
書斎にジムを構築中

新年の抱負

というわけで、相変わらず忙しい日々を過ごしている。新年の抱負は無理をせずひとつだけ。「博士課程の1本目の論文に着手する」

実は主指導の先生のご配慮で、都内の某大学の研究室と共同研究させてもらえないかという話が進んでいる。

これは東京サテライトからちまちまと研究をしている僕に対する先生のお心遣いで、このような不出来な弟子にもこれだけ目をかけてくださる先生にまったく感激している。一も二もなく「是非!」とお願いした。博士課程は10月に始まったばかりだが、基本的に単位は取りきったので、この共同研究を副テーマ研究として、かつ博士号への条件である査読論文の1本目としたい。

十分に長くなってしまったのでこの辺で。重ね重ね、旧年中は大変お世話になりました。つくづく僕は周りの皆さんに生かされていると実感する日々です。感謝します。新年も宜しくお願いいたします。

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