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「なんかいろいろ大変です」に足が止まった週末

先週末、久しぶりに街へ出かける用事があった。

なるべく早く用事を終わらせ、帰路に向かうべく利用する駅の通路で思わず足が止まった。

「なんかいろいろ大変です」

そう書かれた紙を自分の前に立て掛けて、若い男性が柱にもたれかかっていた。

ぱっと見たところ、20代から30代にみえた。

覇気の全く感じられない表情。力が抜けて疲労困憊な様子が見て取れる。

彼の前には小さな箱が置かれていた。

咄嗟に「いま財布に500円玉があれば、あげよう!」と思い財布を開けた。

半ば、祈るように。

財布には500円玉が1枚あった。

その小さな箱には小銭なんてなく、おまけの玩具のようなものが入っているだけだった。

そっと、硬貨を箱に置いた。

彼はただ座っていた。

その情景が昔の記憶と重なった。

20年程前、私は南米に留学していた。

バスや地下鉄などの乗り物、駅の構内、路上様々な場所に物乞いがいた。

生活が困窮しているからそうせざるを得ない人もいるが、中には「プロ」として物乞いをしている者もいた。

毎日乗るバスにいた彼はそうだった。

目の不自由な彼に、私を含めみんな小銭をあげていた。

しかしある日その人が普通に歩いているのを見かけ、大層ショックだったのと同時に腹が立った。

人を騙すなんてひどい、と友人に話しをするとこんな回答が返ってきた。

「僕はとりあえず困っている人をみたら、小銭をあげることにしている。

それに対して見返りや期待は求めていない。

自分がやりたいからそうしているだけ。」

はっとした。

楽してお金を儲けようなんてずるい!って考えが自分にあったから

施したお金が急に惜しくなってしまったのだ。

それからはシンプルに困っている人を見かけたら、手を差し伸べてみることにした。

そう、ずるいとかずるくないとか考えず。


コロナ渦に飲まれ、若者でも仕事がなくなりどうしようもなくなり

住む場所までも失われていること。

そういったニュースが頭をちらついた。

困っている人がいたら、取り合えず手を差し伸べてみる。

見返りとか余計なこと、考えないで条件反射的に。

とてもシンプルな行為だけど、以外に勇気が出なくて

なかなかできないことなのかもしれない。

果たしてお金をあげることが正解だったのかはわからない。

もしかしたらコンビニで温かい飲み物とおにぎりをお渡ししたほうがよかったのかもしれない。

週末の夕方、足早に過ぎていく人たちはそんな男性の様子や

私のことすら見えていないようだった。



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