見出し画像

相互参照するメディアと人体


はじめに

この記事を書き始めたのは2024年の4月7日なのですが、そのとき僕のYoutube上では星街すいせいさんの「ビビデバ」という曲に関する動画がアホほどレコメンドされていました。

もともとVtuberが好きでずっと雑談配信を見ていたので、Youtubeからしてみればレコメンドするにはいいカモなのかもしれません。友人に教えてもらったこのMVを見て、いい曲だな〜と思いつつ何回か再生していたら、関連動画やリミックスした動画でYoutubeショートが埋め尽くされる勢いになっています。本家のMVは4/7の段階で1000万再生を記録するなど、実際すごくトレンドな曲なのでしょう。近所のスーパーでも流れていたし。
歌がいいだけでなくトラックもオシャレだ!と聴いているのですが、よく聞くとビートのパターンが4-5曲分のパターンを詰め込んだように目まぐるしく変化しています。なぜでしょう?

「ビビデバ」は3分に満たない短い曲ですが、YoutubeショートやTikTok的な時間感覚からするとこれは相当な長尺です。動画1本がだいたい15秒として、3分あれば動画10本以上を視聴できる計算になります。それだけの長い時間リスナーをひとつのコンテンツに留まらせる工夫として、ビートのバリエーションが意図されているのではないでしょうか。曲としての一貫性を保ちつつ、過剰とも思える盛りだくさんな展開でリスナーを飽きさせない。作曲がうますぎる……


1. 加速するコンピュータ、奉仕する人間

2015年に発売された「融けるデザイン」という本に、現代に近づくほどに1つのコンテンツが短くなってきているというトピックがあります。たとえば、オペラ鑑賞は1日かかり、映画は2時間、TV番組は30分、Youtubeは10分……というように。24年現在、1つのコンテンツを視聴する時間が10秒を下回るTikTokやYouTubeショートは、この変化の最前線と言えるでしょう。

ときに1秒以下の短い時間で次々と動画をスワイプしていくのは、1988年生まれの自分としてはあまり人間的ではない時間の使い方だと感じます。動画プラットフォームがユーザーにより多くのコンテンツを見せるために最適化された世界観で、人間は次々と情報を摂取させされ、まるでより多くのインプレッションを得たいアルゴリズムに奉仕しているようです。
デザインの分野では、人間の知覚や体を第一に考える「人間中心設計」という考え方が未だ主流ですが、実際のところ人間中心ではなく、メディア中心/コンピュータ中心ととらえた方が、現代のメディアやプロダクトを読み解くのは簡単なような気がします。


2. フレームに規定される身体

昨年から柄にもなくヒップホップダンスの教室に通い始め、ゆっくりとですがいろんなステップに触れて感じたことがあります。それは「左右の動きが大きい」ということ。例えば「スライド」というステップは、その名の通り1m以上体を左右に移動させる動きです。
いまダンスといえば、スマホの縦長画面で見るものという人が多そうです。TikTokで見かけるダンスは左右のステップが大きくなく、縦長画面の中に収まり続けるキャッチーな動きが主体となっています。そのため、クラシックなヒップホップダンスに触れて「横にめっちゃ動くやんけ」と感じたのはあながち間違いではないでしょう。 エンターテインメントに関わる人には当たり前かもしれませんが、動画や音楽だけでなく、体を動かして表現するダンスの分野すらスマートフォンの画面の形に影響されて形を変えているのです。

ザッピングの超高速化、縦画面動画の普及など、これらのトレンドはスマートフォンの性能が向上し、PCの代わりに機能するようになった近年のものだと感じます。(TikTokのサービス開始は2017年、日本で本格的に受け入れられたのはその翌年、2018年だったようです。けっこう昔だ)それに追随するInstagramのリール動画(2020年〜)やYouTubeショート(2021年〜)なども、各プラットフォーム上では比較的新しい形式だと言えるでしょう。 例えばレコードがCDに取って代わられるまでの時間と比べると、最近のメディアのトレンドの移り変わりは躁的に速いです。このスピード感も、なにかヒューマンスケールを越えた、非人間的な速さを持っているような気がしてきます。 しかし、本当にヒューマンスケールは失われてしまったのでしょうか。


3. スマホが長くなった理由

スマートフォンの画面の大型化が始まって何年かが経ちますが、より大きな画面サイズ、より高解像度な液晶、より広い表示領域、というトレンドは収束の兆しが見えません。初代iPhoneと比べると、24年現在のスマートフォン
は驚くほど大きくなりました。

Aljazeela.comより引用

ここで注目したいのは、スマホの画面は単に大きくなるのではなく、細長くなっているということです。自分のスマホでスクリーンショットを撮った際に、スマホ画面を画像として見て「こんなに縦長だったの?!」と驚いたことはないでしょうか。 代表的な画像の縦横比といえば4:3と16:9ですが、23年に発売されたiPhone15の縦横比は19.5:9で、16:9よりもさらに細長くなっています。18:9=2:1なので、今やスマホの長辺は短辺の長さの2倍以上あるのですね。ソニーのXperiaはワイド画面を売りにしているようで、なんと21:9の細長さです。(ちなみに初代iPhoneの縦横比は3:2)

orefolder.jpより引用

10年前は冗談として語られましたが、「スマートフォンはどんどん縦長になっていき、いずれ定規のようなバランスになる」というパロディ動画は、現代において笑えないような現実味を帯びてきています。

スマートフォンが縦に伸びているのは、人間の手の大きさがスマホの横幅を制限しており、かつ大画面化の需要があるからです。「手で持ちながら視聴する」というスマートフォンの特徴があるかぎり、横幅がどんどん長くなり、スマホがiPadと同じくらい大きくなることは想像しにくいでしょう。
メディアの形式がどれだけ速く進化しても、人間の体はそれほど速く変化できるものではありません。一見非人間的な速さで変化するメディアやエンターテインメントの形は、実は人間の体のサイズや可動域の限界を反映しており、だからこそ「変な」仕様になっている。そもそも、横長の映像が主流だったのは、人間の眼が横に並んでいるからですし。

Archdiaryより引用

4. 参照しあうメディアと人体

プロダクトデザインを仕事にしている自分にとって、この仮説はとても魅力的です。メディアの進化がコンピューターの発展のすさまじいスピードに追随しているように見えても、最終的にそれを使用するのはいまのところ人間であり、その形式のどこかにはヒューマンスケールが紛れ込んでくる。 新しい形式を規定するのは新しいテクノロジー、新しい欲望、そして古くから変わらない人間の身体。
TikTokがダンスを変えたように、新しいメディア形式が人間の形を変える。手のひらのサイズがスマホの縦横比を制限するように、人間の形が新しいメディア形式のサンプルとなる。メディアと人体はお互いに参照しあっており、まるでウロボロスの蛇のようです。

そうした世界観において新しいサービスやメディア、プロダクトを考える上で重要になってくるのは、ただ単に人間中心主義的な考えでデザインするのではなく、メディアやプラットフォームがどうなりたいかというコンピューター中心主義的な考え方を取り入れ、人間―コンピュータが相互に参照しあうことを意識することです。
これからも新しいメディアの形式やそれに伴ったプロダクトが生まれてくると思いますが、それらは恐らく「コンピュータの成長と人間の限界の妥協点」とでも言うべき、ちょっと変で面白いものになるのではないでしょうか。

願わくば、そういった新しい形式のデザインに関わる仕事をしてみたいものです。

Adobe Fireflyによる「コンピュータの成長と人間の限界の妥協点」。なんで浮世絵風?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?