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最初で最後の「サラリーマン」生活とその顛末

何度も書いているが(しつこい(笑))正規雇用の仕事に就くことなく一生を終わりそうだ。ところで、正規雇用であれ非正規雇用であれ「サラリーマン」という「職業」がある。もっとも、最近はあまり聞かなくなりつつある言葉だ(と思う)。わたしくらいの年代だと、植木等の「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ♪」というフレーズを思い出す。
 
サラリーマンを「職業」と書いたが、本来給料をもらって働いている(雇用されている)者を指すはずで、簡単にいってしまえば、自営業者以外はみんなサラリーマンになるだろう。勤め人(会社員)という言い方もある。もちろん「サラリーマン」は和製英語であって、英語的には「オフィスワーカー」になるのかもしれない。調べればすぐわかることだが、「サラリー」の語源は「塩」だそうで、人間は塩がなくては生きていけないし、勤め人は給与がなくては生きていけないからだろうか。語源を調べるのはおもしろいが、意味付けはたいてい後付けだし(わたしの解釈も)、どうとでも言えそうな気もする。
 
サラリーマンの意味に近い言葉として「ホワイトカラー」という言葉もある。白いワイシャツにネクタイをしめてスーツを着た事務系会社員を指すのだろう。ふつうは男性を指している。その対義語として「ブルーカラー」という言葉もある。これは非事務系(一般的には技術系)会社員を指している。
 
どうでもいいことをグダグダと書いてきたが、ここでは「サラリーマン」を男女問わず事務系会社員と捉え、わたしの最初で最後のサラリーマン生活について書いてみたい。いや、書き残しておきたい。いずれボケたときに、こんなこともあったという思い出を残すために。
 
2度目の大学に入る前の学習塾講師からはじまって、今日に至るまで、わたしがやってきた仕事(アルバイト)は、ほとんど何らかの意味で「教える仕事」と関連していた。その中で唯一「サラリーマン」と言えそうな仕事に就いたことがある。実はもう一つ「教える仕事」と関連しているとは思えない仕事に就いたことがあるが、これは「サラリーマン」のカテゴリーとはまた別だと思うので、「サラリーマン」には含めないでおく(いずれ機会があれば、その仕事についても書くかもしれない)。
 
ある知人の紹介でその仕事に就いた。その会社(組織)はふつうの会社とは少しちがう種類だが、わたしの仕事は事務系会社員のそれとほぼ同じであったと思う。他に「教える仕事」もしていたので、この仕事の勤務日は週2日ほど。勤務時間は午前9時から午後4時までの7時間(昼食休憩1時間を含んでいるので実質6時間勤務)。勤務日は会社側の都合と合わせて決まるが、ほぼこちらの都合(希望)で決まった。給与は(基本的にアルバイトなので)時給の合算で支払われるが、はっきり言って、一般的な事務系のアルバイトに比べると時給は格段に良かった。
 
会社の勤務地はいくつかに分散していて、わたしが通勤していた勤務地は比較的大きなビルの1フロアにあった。そのビルまでは、某ターミナル駅から徒歩で十数分(余裕を見れば20分くらいか)。その駅までは、当時住んでいたところから電車で通勤。途中1回乗り換えで片道1時間弱。合わせて1時間半ほど。ということは、アパートを遅くとも7時半(余裕を見れば7時、いや7時前)には出なくてはいけない。ところが、この時間帯は激しい通勤ラッシュの真っ只中! 心機能障害を抱えたわたしにはとても耐えられないことは明白。
 
では、どうしたか。始発電車に乗ってそのターミナル駅には6時半頃に到着し、駅ナカの喫茶店で朝食(モーニングサービス)を食べて出勤した。都会の通勤ラッシュは早くからはじまる。始発電車でも席取りに油断は禁物。とくに途中の乗り換え駅では、すでにホームに乗客が列を成しているので、その人数から推測して席が取れそうになければ、電車を1本2本見送ることもよくあった。こういった感覚は、田舎でしか生活したことのない人たち(そして、すぐに「異次元」を口にしたがる「異次元」に住んでいる為政者たち)には、たぶん理解できないだろうと思う。もちろん、こういった生活が常態化してる都会が異常なのである。
 
結果的に駅ナカ喫茶店には1時間半ほどいた。モーニングサービスを食べるには長すぎる時間なので、残りは読書の時間に充てていた。似たような客はけっこう多い。しかし、だんだん混んできて、入りたい人が入れないように見えたら、レジを済ませて、近くの駅ナカ書店でヒマをつぶしていた。ちなみに帰路は、都会でも夕方の通勤ラッシュは分散していることもあって、あまり心配しなかった。むしろ、体力や気力に余裕があれば、どこか行きたいところへ寄ってから帰ることもあった。
 
この会社は、いわゆるホワイトカラーの人もいるが、基本的に服装は自由で、かなりラフな服装の人もいた。ホワイトカラーの人はたいてい営業関係か、外回りの予定がある人だったように思う。服装が自由というのは本当にありがたいことだ。この関連でいつも思うことだが、ほとんどの大手学習塾はなぜ講師にホワイトカラーを強要するのだろうか。不思議でしょうがない。大手学習塾にも勤めた経験があるが、真夏でもスーツにネクタイを強要されて閉口した。それだけが理由ではないものの、数ヶ月間の勤務でこちらから退職を申し出た。
 
その会社の昼食時間は正午から午後1時までと決まっていたので、これには従わざるを得ない。昼食は外へ食べに出る人が多かったが、弁当持参の人もいたし、前もって予約しておけば出前も取れたようだ。わたしの場合、たまたま誘われれば外へ行くこともあったが、昼食代だけで千円ほどになることもあるので、正直なところあまり行きたくなかった。たいていは菓子パン1、2個と缶コーヒーで済ませていた。節約の意味もあるが、それで十分お腹がふくれた。天気が良ければ、近くの公園で食べた。とても眺めの良い場所で、景色を眺めているだけで気分爽快になれた。
 
仕事は基本的にデスクワーク。ごく希に、研修会などに参加させられたり、他の勤務地に同僚とともに所用で行かされたりしたこともあった。1人1台のパソコンがデスク上に設置されており、ほぼパソコンに向かって仕事をしている感じ。仕事内容は、データ入力、紙のファイルと付き合わせてのチェック、簡単な書類の作成などなど。使うソフトもほぼワードとエクセルだけだったので、それほど心配はなかった。もちろん仕事上で不明な点も出てくるが、同僚などに聞けば教えてくれるので、これもほとんど心配なかった。
 
最も注意するように言われていたのが、セキュリティソフトなどの更新とUSBの取り扱い。これはどこの会社でも同様だろう。情報の漏洩につながる恐れがあるからだが、細心の注意を払うのは当然のこと。万一、個人の怠慢によって情報漏洩などが発生した場合、会社は損害を被るだけでなく、会社の管理態勢が問われるので、とても神経質になっているように見えた。情報化社会の必然的な「エアポケット」のようなものかもしれない。
 
隣のデスクにすわっていたのは若い女性社員で、同僚によると何でも派遣社員とのこと。無愛想というか、声をかけにくい雰囲気を醸し出している人で、結局一度も話したことはなかった。この女性社員の仕事ぶりにはけっこう驚かされた。正午ちょうどに昼食休憩のチャイムが鳴り、1時ちょうどに仕事再開のチャイムが鳴るのだが、チャイムが鳴っても5分や10分ほど仕事を続けている社員も多い。仕事再開のときも数分遅れて席に着く人もけっこういたように思う。若干遅れたからといって、上司に監視されたり叱責されたりしているようには見えなかった。
 
ところが、この女性はチャイムと同時にパッと仕事をやめ、チャイムと同時にパッと仕事をはじめるのである。仕事をやめるのは正午のチャイムから30秒も遅れていないように見えたし、再開するのはチャイムと本当に同時に見えた。パソコンの打ち方もとても速いように見えた。何というか、決められた仕事時間中はきっちり仕事をこなし、休憩時間になると1分でも仕事に使わないように決めているかのようだった。派遣社員を描いた有名なドラマがあったが、あれを彷彿とさせるところがあった。
 
派遣社員はみんな、この女性のような仕事ぶりなのかどうか、わたしは知らない。派遣社員も基本的に非正規雇用のはずである。この女性社員の仕事ぶりを見ていると、非正規雇用社員の悲壮感のようなものを感じてしまう。彼女は自分の能力を時給で売り渡しているのだから、時給が発生しない休憩時間中は、たとえ1分でも売り渡さない。彼女から見れば、正規雇用の社員が休憩時間になっても仕事をしていたり、遅れて来て席に着いたりすることは、とても許せることではない。彼女のこころの内は知るよしもないが、そのように思っていたのかもしれない。正規雇用社員のこの“緩い”仕事ぶりを喜劇的に拡大して見せると「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」になるのではないだろうか。
 
非正規雇用社員の悲壮感も正規雇用社員の“緩さ”も、これまでの日本社会(あるいは日本型会社組織)の歪みを反映しているように思える。もっと視野を拡大すれば、いわゆる「資本主義」そのものの行き詰まりを示しているように思う。だから「資本主義」ではなく「社会主義」がいいと言うのではない。わたし自身、印象だけで書いているので説得力に欠けるが、もし本当に「資本主義」そのものが行き詰まっているのならば、「資本主義」をどれだけバージョンアップして「新しい資本主義」にしたところで、根本的な解決には向かわないように思えるのだが、どうだろうか。
 
あまりにも風呂敷を広げすぎたので、最後は身近な話で締めくくろうと思う。非正規雇用社員の不安の源は、その身分の不安定さにある。いつクビが切られるかわからないということである。わたしの「サラリーマン」生活は半年ごとの契約更新で、当初2年くらい続けられるという話だった。2年の継続については書面で規約を交わした話ではなかったが、会社を信じてそのつもりでいた。ところが、わずか半年で契約が打ち切られた。つまり一度も契約更新されなかったということだ。理由はわかるようなわからないような話で、どちらにしても会社の都合であることは明白だった。
 
週に2日ほどの勤務の「アルバイト」だったので、厚生年金もなく、もちろん失業手当もなかった。契約更新の打ち切りを告げられたとき、あーやっぱりなぁー、というのが正直な気持ちだった。落ち込むというよりは、やはり「諦め」だった。あの女性の契約社員のような仕事ぶりではなかったが、自分に与えられた仕事に関して落ち度はなかったと信じている。
 
自分の心機能障害については、会社に伝えていなっかたように思うが、そもそも障害によってできないような仕事はなかったはずだ。これまでの「教える仕事」でも、前もって障害について伝えたことはほとんどなかった。仕事の内容が身体に差し障りがあるようには思えなかったし、前もって心臓が悪いなどと伝えると、その時点で雇ってもらえる可能性が減じたり、なくなったりするからである。外からは障害が目に見えない「内部障害者」のつらいところである。
 
勤務の最終日、会社の周囲を散歩した。ときどき昼食を食べたあの公園にも行ってみた。最初の勤務日は晴天に恵まれた。新たな仕事に対する不安と期待で、周囲の風景は目に入らなかったが、日射しがまぶしかったのは覚えている。そして最終日もまた、頭上には清々しい青い空が広がっていた。世の中は不公平に充ち満ちている。しかしそれでも、こうやって青い空を生きて眺められる幸せを感じた。わたしの最初にして最後の「サラリーマン」生活はわずか半年であっけなく幕を閉じた。それでも、新たな経験は自分にとって何らかの糧になったと信じている。自分の人生という書物に、これまでにないページを加えてくれたことに感謝しつつ、深く青い空に向かって不思議な開放感が広がっていったのを覚えている。

(画像はその当時、某公園でイルミネーションと宵の明星を眺める人たち)
 
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