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『草枕』を読み「センス・オブ・ワンダー」を想う

山路は登れないので、家に籠もって、夏目漱石が『草枕』の冒頭で書いた有名な一節を読みながら、こう考えた。
 
まず、漱石曰く、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう」(青空文庫版『草枕』より引用。以下同じ)
 
この漱石の言葉を、どのように解釈するかは人それぞれだと思う。わたしは何か行き詰まったり、こころが塞いだりしたとき、よくこの言葉を思い出す。何であれ自分ひとりにできることは限られているし、見聞きするニュースは、気がかりなことや腹の立つこと、悲しい事件ばかりが目立つ。それでも、そんなニュースの主はどんなに「人でなし」に見えても、やはり「人」であることに変わりないだろう。漱石も書いているように、だからといって人が作った世からどこか他の「国」へ越すことなどできない。もしできたとしても、そこはきっと人でなしの国にちがいない。
 
自分は無力な人間で、世の中を変えることなどほとんどできないが、それでも一つだけできることはあると思っている。いま世の中で起きているさまざまな物事を知り、できれば勉強もし、他の人たちと語り合い、そして次の世代の方々に語り継いでいくことだ。それで世の中が変ることもあるかもしれない。もちろんそんなにうまくは行かないかもしれない。むしろその方が多いだろう。しかし、それでもいいではないか。
 
漱石はさらに続けて曰く、「越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい」
 
これは芸術賛歌である。では、芸術とは何か。芸術とは感動であり、一種の驚きの感覚を指してるのではないか。だから、わたしの解釈では、この一節は漱石なりの「センス・オブ・ワンダー」のすすめでもある。自分なりに詩や文章を書き、絵を描いたり写真を撮ったりして「センス・オブ・ワンダー」を世に住む人たちと共有することで、束の間でも世の中が住みやすくなり、人の心が豊かになるかもしれない。
 
誰もが、それぞれ不都合や不自由を抱え、喜怒哀楽にまみれて生きている。そのことを受け入れた上で、自分の手足がとどく場所で、ささやかな一歩を踏み出すことこそ価値があると思いたい。雨垂れが石を穿つこともあるのだから。
 
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