強迫性障害の始まり


中学1年生

初めは何の感情なのか
本当によく分からなかったです。

ただ、家に入るまでに
何歩で最後は右足で
玄関の扉の前に辿りつく。

それが出来なかったら
凄く嫌な感情に襲われる。

ちゃんと出来たとしても 何かよく分からない
感情に襲われてました。

さっきまでおこなっていた
なんともない行動を気になるところから
思い出して 1からやり直すことも
よくしていて ちゃんと思い出せなくなったり
うまく出来なくて 癇癪を起こしていました。

その他にも何個か症状はありました。

ノートに書く字が気に入らなくて 何回も書き直す、何回も書き直すと紙が汚くなり、ノートを破って書く。

それを何回も繰り返したり、

数年過ぎてからの症状ですが、
一時期だけ携帯の文字が気になりすぎて字が読めなくなったり。

字は読めるけど、ガラケーの1文字1文字のドットが気になりすぎて読み進めるのが辛いので、読めないって表現のが分かりやすいでしょうか。
その症状はすぐ治りましたが
他にも何個かあったと思います。

年齢とともに変わったり 
増えたりし続けていました。

私が精神的な病気だと知ったのは
確か20代前半の頃です。
当時はまだガラケーで パカパカ携帯でした。よく、浮気されたり喧嘩したら折られた携帯も多かった時代です(笑)

その時にnet検索で出会った病名が
「洗熊症候群」という病名でした。

その病名があったことに
救われた気持ちは今でも忘れません。

それまで 私は頭が狂ってしまった
異常な人間だと思っていたので、
他人に話すことなんて出来なかったです。
親にも。

今でも片手におさまる位の人しか
私が 強迫性障害の病気を持っていることは
知りません。

親も知りませんし、
今から話そうとも思いません。

話したところで
理解出来ないと思います。

鬱さえも理解することが
難しいと過去に言っていました。

もう父は70超えてますし、
母ももうすぐ70代です。

そんな母も鬱状態になってた時期は
あるんですけどね。私のせいで。。

理解してもらえないのは
時代の影響や色んな要素もあるので、
仕方ないなと思っています。

病気を知っている夫でさえ、
全てを理解するのは
やはり難しいことだと思っています。

寄り添い合うこと 助け合うことが
出来ることを私は学びましたが

寄り添い合うこと 助け合うことでも
全て 解決しないことも
やはり ありますので

自分自身が

自分の味方になってあげることは
とても とても
大切なことだと思います。