ノーマークなさまざま

・青森から東京に向かう新幹線の中で、これを書いている。盛岡から乗ってきた4Aに座る男性が挙動が多い人で何かと目を奪われる。逆側4Eに座るのが自分だが、4Cらへんに誰か座ってくれないかな、なんて考えたりしている。平日昼間、そこそこ空いている車内では、まあ叶わないことだと思うけれど。空いていることを優先した東京への戻りの新幹線故に、隣に来る奴に対してのリスクヘッジがおろそかだった。

・12日に誕生日を迎え、34歳になった。お祝いのメッセージをくださった皆さん、どうもありがとう。プレゼント代わりにnoteのサポート機能で投げ銭をして下さった方、これからして下さる方、あらためてどうもありがとう。全部投資信託にぶっ込みます。もしくはハイレバFXの種にするかな。(嘘です。)

・過ごす時間のことは意識し続けているので、誕生日だから、といって特段なにか変わることはなかった。いまは、35歳になりたい。来年には36歳になりたいと思うんだろうな。なにかと年齢によって区切りがちだったけれど、あくまでそれは取り回しの良さだったり、何かしら基準にしやすかったりするからなんだなあと思ったり。年齢がどうこう、だけで語れる時代でもなくなってきたな〜というのが最近の持論。肉体と精神の年齢は必ずしも一致するわけではないし、全てはそのときの自分の適正次第でしかない。やれることとやれないこと、わかろうがわかるまいが、その時の気持ちがなるべく多く向かう方向へ進んでいけたらそれでいい。

・帰省する際、冠婚葬祭とかを除いて、今までは何の目的も持たずに帰っていたのだけれど、今後はなにかしらの予定を入れていこうと思った。今回は、十和田市現代美術館で行なわれている企画展「生成する表皮」が、気になっていたのに、すっかり見に行くのを忘れて、東京への戻り日を迎えてしまった。帰省中は、地元ということもあって、どうも観光とか何かに新たに触れる機会とか、そういうスタンスになりづらい。けれども、今こそ、地元に溢れるアートとか、その土地の歴史であるとか、そういったものに触れてこそ何か得られるものがあると思えた。

・「同郷出身」ということで、最近嬉しいことが相次いであったりした。音楽の繋がりの話。マジかよ…!と恐れ多くなったり、マジかよ!!!!と、過去に感謝したり。十和田の縁が東京の自分に結ばれるというのは、「やってて良かったな」に、尽きる。これからもっと増えてくる気もしている。それが楽しみでもある。

・根幹を見直す、根源を見つめる。そんなことをし続けている。音楽にせよ、日々の暮らしにせよ、満ち足りていては発展はない。足りなくなるところまで削ぎ落とす。疑い続ける。そこまで来て初めて、なにかに出会えると思っている。

・新幹線は仙台から混み始め、4Aに座っていた挙動が多いおっさんは見えなくなった。というか4B〜4Dまで、すべて埋まってしまった。僕の隣では20代と思しき男性が、牛タン弁当を食べようとしている。ただいかんせん、弁当のギミックに気付いていないようだ。「その弁当、下についてる紐を引っ張ると、アツアツになるんすよ…!」の一言を、俺は言うべきなのか。それとも、彼のスタンス的に「冷飯に限るだろ、弁当は。」という思想がなきにしも非ずということで、このまま見守るのが良いのか。

・他人様の物事に口を出すのは無粋だった。半分程食べた後、彼は紐を引いていた。めっちゃいい匂いがする。

fusetatsuaki

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残滓、文化的屍者の記録。

中枢第3区画

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~2023.03.31

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