炬燵の中から世界へ
・2022年、夏を境にあっという間に終わっていった気がする。
・「これまでとは違う1年にしたい」と、年始に言っていた。これはしっかり覚えている。過ごしていく内にわかったことだけれど、「同じ1年」なんてものは、そもそもなかった。そして、自分がどうしようとも、どうにもならないことはある。自分以外の存在や事象を、支配すること、ましてやコントロールすることなんて、出来やしない。
・故に、自分くらいはしっかりコントロールしようぜ、ということになる。というかコントロール出来るのはそれしかない。言うだけなら簡単だが、そんなにうまくいかないのが現実だ。自分をしっかりコントロール出来ていたなら、あの日寝ずに朝まで過ごさなかったし、あの日ラーメンのあとにパフェは食わなかったし、大晦日にこの日記を書くなんてことはしなかっただろうし。
・なんやかんや、「これまでとは違う1年」というのは、叶ったのだと思う。そしてこの設定は野暮だったとも言える。風はいつだってその時に吹くのだ。
・年始、「自分の四肢が揃って、現在地をちゃんと理解したような気分。やれることしかやれないなら、せめてやれることはやらないと。」とも言っていた。これも覚えているし、実践し続けている。バンド的にはサポートメンバーの交代もあったりしたけれど、これが転機となった部分もあり。行く末は同じとしても、手段や方法について考え直して、変わっていった感じ。その都度、自分の現在地は確認するものだから、変わっていくこともまた必然。
・2022年は、低体温に帰結する1年だった。
・大人になると、「やれること」が増える。そのせいで、「元々の自分はそうでもなかった」みたいなことも、自分の選択肢であると、勘違いしてしまったりする。こうして、本来の自分から少しずつ現在の自分が離れていってしまう。
・「これ以上の俺はないだろう」というくらい、今の自分には嘘はないはずだった。少なくとも、自分の外側に向けた場面ではそうだった。ただ、内面的な部分では全くそんなことはなかった。この1年を経て、そこに純粋になれたこと、素直な自分に気付くことが出来たのは、とても大きい収穫だったと思う。
・2023年は数時間後に訪れるが、そこから始まるあれこれのことは、新年が始まってから、来年の俺が綴ることだろう。とはいえ大きくブレることは無いし、何年経っても自分は自分のまま。その時に思うことや感じることを、素直に出力していければ、それで良いと思っている。
・この言葉はいつまで残り続けるのだろうか。残り少ないけれど、皆さまも良いお年をお過ごしください。2022年もありがとうございました。
fusetatsuaki
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