見出し画像

砂になれと言われた春

当時はひどいと感じていたことでも、今振り返るとその真意に震える言葉があります。

東京藝大の入学式というのは独特で、美校は みんな長い受験生活の満身創痍 からの怒涛の合格発表、オリエン、入学式とヘロヘロのままスーツに身を包んでお琴の生演奏『春の海』に迎えられる訳です。
この時点で溌剌とした晴れがましさあんまない。隣に座る初めましてのクラスメートと目があって「お互い大変だったね」と心の中で会話するような。
 
そんな緊張と期待の中 その忘れられない祝辞を聞くことになるのです。

「大学に入って君たちは学友と切磋琢磨できると思っている。高めあうことができると。
だが実際はそうではない、今ここに集まった新入生の中で1人、良くて2人しか芸術家として成功するものはいないだろう。
君たちはその1つか2つの原石を磨くための磨き砂になれ。」

この時点で俺が、私こそがその原石です!と勘違いできるような新入生はいないと思う。平均2浪3浪、学校・地域で1位の腕前でもその自信は現役受験の時にはポッキリへし折られ、それでも努力を重ねてなんとかここに来た。みんなそうだから。
「藝大入っても、自分は原石ですらないかもしれないのか」
大学が授けてくれたものは数々あれど、初っ端のこの全然納得いかなかった言葉はやっとホッとしかけた新入生に反骨精神を再び掘り起こし この先ずっと努力を続ける意味と意義を下支えしてくれていた。今となってはそう捉えることもできるのです。

大学をでて社会人となりしばらく経っても、あの時の『玉』が誰を指すのかまだまだわからないと思っている。
あの式に参加したみんながそう思って頑張ってくれてたらいい。
春には何となく思い出すのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?