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低温殺菌牛乳を飲んで、驚いた

低温殺菌牛乳をご存知でしょうか?
それはひときわ値段が高いがゆえにか、なかなか手を伸ばしづらく、たいていのスーパーでは陳列棚の片隅に追いやられている牛乳のこと。

話は変わり、とある友人が我が家に遊びに来てくれたときのことだ。
食事も終わり、何かデザートをというときになって、夫がびわの実を取り出した。
だいだい色をしていて、ピンポンボールよりもやや小さい丸い形をしている、あのびわの実だ。

友人は「びわの実なんて食べたことがない」と目を丸くした。

決してスーパーでは並ばないであろうその果物は、優しい甘さで、ちょっと食べづらい。

果物と名のつくものはなんでも大好きな私の娘は、真剣な表情でびわの実を食べている。
その様子を見ながら、友人はちょっと微笑んで言った。

「いいねぇ。あなたには初めての食べものが、まだ沢山あるのね」

当時2歳だった娘は、ようやく一通りのものが食べれるようになってきた。とは言え、生魚や生卵、そして食べたことのない食材は、30数年生きていた私に比べると、圧倒的に多い。

娘を見ながらどこか羨ましそうにしている友人を見ながら、「初めての体験」というものは確かに楽しいことなのかもしれない、と思った。
幼い子どもにとっては、初めてのことや未知のことが日々溢れているのだ。
娘と一緒に感動するのではなく、軽く受け流していた自分を少しだけ恥じた。

私には、最近初めての経験をして感動したことがあっただろうか?
そうやって振り返ってみると、ひとつ思い浮かんでくる出来事があった。

ごくささやかなことだけれど、大きな驚きを与えてくれた出来事。

それが、冒頭に述べた低温殺菌牛乳のことである。

ある日、夫が見たことのないパッケージの牛乳を買ってきた。
低温殺菌牛乳である。
そういえば先日、夫との会話でこの低温殺菌牛乳が話題に上っていた。

私が「飲んだことがない」と言うと、「ぜひ飲んでみてよ」と夫。

低温で長時間殺菌された牛乳は、一般によく売られている高温で短時間殺菌された牛乳よりも、搾りたての味に近いらしい。

「じゃあまた今度買ってみるね」と言いながら記憶を探ってみるも、よく利用しているスーパーの牛乳コーナーの中に、低温殺菌牛乳なる牛乳を見たことがない。
どこか特別な店にしか置かれていないのだろうか。

また今度買うという、また今度というのが、1ヶ月先になるか、1年先になるのか…。
先延ばしにするということにいたって寛容な私は、低温殺菌牛乳を「いつか」と書かれた頭の引き出しに入れてそっと閉じておいた。

ところが、である。
私の予想に反して、ものの数日で夫が低温殺菌牛乳を持って現れた。

彼の頭には「今」か「◯日後」と書かれた引き出ししかないのである。

どこで売っていたの?と聞くと、2番目によく利用するスーパーの名前を挙げた。
今まで見たこともないと思っていたのに、普段買わないものは視界にすら入っていなかったようだ。

普段なら牛乳は、そのまま飲まずにコーヒーや紅茶に入れて飲んでいるが、今回は牛乳本来の味を味わうためにそのまま飲んでみる。

見た目は普段飲んでいる牛乳と変わらない。
一口飲んでみる。

驚いた。

製法の違いから味や風味にいくら差が出たとしても、牛乳は牛乳であろうと高を括っていた予想を大きく裏切り、低温殺菌牛乳は美味しかった。

実は私は牛乳が少しだけ苦手だった。
何かに混ぜて飲む分にはよいが、単体で飲むと独特の匂いが気になりあまり積極的に飲もうとは思わない。

しかし、低温殺菌牛乳にはこの匂いがしなかった。
まろやかで、ほんのりと甘い。
牛乳がこんなに美味しいものだったのかと、軽い衝撃を受けた。

なんてことのない話だけれど、これが最近あった初めての体験だ。
何歳になっても、そしてどんなに小さいものであっても、初めての体験は嬉しい。

代わり映えのしない日常だと思っていても、「初めて」はひょんなところにいくつも転がっている。
決まりきった選択や、日常のルーティンから少し離れて、ときには未知の体験に身を委ねるのもいいのかもしれない。
とは言いつつ、スーパーに行くといつも同じような物を買ってしまうのは何故なのだろう。


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