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秋の訪れと日の目を見たソファーカバー

我が家に緑色のソファーがある。
結婚を前に身ひとつで京都から神奈川にやってきた当日に、夫と量販店で買った。

確か、3000円くらいだったと思う。いや、3000円は言い過ぎで、5000円くらいだったかもしれない。
緑と言っても、新緑のような鮮やかな緑ではなく、夏が終わり秋に差し掛かる、丁度今のような季節の木葉のような、茶色がかった緑色だ。

2人がけとは言え、大人2人が座れば少し狭いこのソファーを4年以上使っている。
決して快適というわけではない。それでも夫は毎日のようにその緑のソファーに体を丸めて横になっているし、娘はギシギシという危なげな音を立てながら座面の上で飛び跳ねて喜んでいる。

我が家にとってなくてはならない家具だ。

しかし、4年も経つと大分くたびれてきた。
色々なものをこぼしたせいで、あちらこちらに染みができて深緑の本体がより濃くなったようである。取り外し式のカバーではないせいで、洗うこともできない。

見るたびにみすぼらしい。みすぼらしいと思いながら座ってもくつろげない。
いっそ新しいソファーに変えようかと考えるも、資金不足である。

そこで、ソファーの上に別のカバーをかけるということを考えた。
考えたのは、去年の夏頃である。
暇さえあれば、インテリアのサイトを開いてソファーカバーを探した。
散々悩みながら一つに絞ってみるが、なかなか思い切って買うことができない。

背中を押してもらうつもりで夫に、「ソファーカバーを買ってもいいか」と聞くと、即座に「いいよ」と返ってくる。彼に家を買ってもいいかと聞いても、いいよと返ってきそうである。どんなときでもアクセル、アクセル。私はブレーキ、ブレーキ。家は言い過ぎかもしれない。それでも、結婚して間もない頃、持っていたパソコンが壊れたというときに、夫が新しいパソコンをぽんと買ったのには驚いた。

彼曰く、悩んでいる時間がもったいないそうだ。すぐに買ってしまえば、すぐに使える。もちろん、必要な物に限るけれど。
それにしても私は物を買うのに時間がかかり過ぎている。
ソファーカバーは結局年内に買うことができなかった。

そして、ようやく買ったのが今年の春。
膨大な時間を使ってネットの海を彷徨いながら、これはというカバーを探したのだけれど、結局買ったのは去年いいなと思っていたリネンのカバーだった。

頼んでいた品物が段ボールに入って届いた。
期待に胸躍らせながら、段ボールに貼られたガムテープをはがすのももどかしく、いそいそと蓋を開く。箱の中から出てきたのは、茶色のソファーカバー。

ずっと探し求めていたソファーカバーがついに手に入ったという興奮は、胸の内に浮かび上がった思いによってすぐに冷めてしまった。

確かに私が選んだのは茶色のソファーカバーに違いないのだけれど、その茶色のソファーカバーはいざ我が家のリビングに置いて見るとどうにも圧迫感があった。部屋が狭いせいかもしれない。

我が家には合わないような気がする…。

緑色のソファーの上に、茶色のカバーをかけて、家のあちらこちらからそのソファーを眺めた。
これはこれでいいのかもしれない。きっと慣れればいいと思えるだろう。

結局、そう思うことにしてタグを切った。
手触りもいいし、何より座ったときの座り心地がとてもいい。

それなのに、2日経って、1週間経っても茶色のソファーカバーを見るたびに落ち着かない気持ちになり、ついには外してしまった。ソファーの何倍も値段のするカバーである。使わないのはもったいないと思い、子どもが遊ぶ場所にラグとして敷いた。するととても具合が良い。昔からそこにあったかのように部屋に馴染んだ。

春、夏とカバーはラグとして使った。
夫はある日「結局ソファーにはかけないんだね」とつぶやいていたけれど、それ以上は何も言わなかった。

ふと外に出ると、今までとは空気が明らかに違うことに気づいたある日。
照りつけるような日差しが、やや穏やかになり青空が透き通っている。
長く続いた夏が、ついに終わろうとしているのだ。

空を見終わると、子どもの遊び部屋に行き床に敷いてあったラグを引っ掴むと、緑色のソファの上にばっと広げた。緑色のソファが茶色になる。
しばらくソファの前に立って腕組みをしながら、そのソファを眺めた。
いいかもしれない。
セピア色に近い、ややあせたような茶色のソファーカバーは、秋の訪れを感じさせた。

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