昭和40年代の出来事


 

昭和40年代を総括すると、45年の大阪万国博覧会の開催で高度成長期のピークに、昭和46年のニクソンショック

(米ドルと金の交換停止発表)、中東戦争を契機とする
昭和48年のオイルショックに代表される、低成長時代への
移行という、日本の経済史の中でも大きな変化の時代。


 
具体的な社会現象としては、戦後のベビーブーム世代が成人化し、
新しい価値観の消費行動、文化行動を行うことが時代をひっぱった。
 
昭和40年のエレキギターブーム、昭和47年日本赤軍「浅間山荘事件」
などの社会的な事件や現象は、団塊の世代が旧来の日本の価値観と
ぶつかりあったり、新しい価値観で行動することによって生じたもの。

GNPが世界第二位になったこのころから「経済大国」
「エコノミックアニマル」という言葉も飛び交った。

特に固定相場制に守られた輸出が好調で、設備投資・個人消費と
ともに日本経済は急成長していったが、この結果、繊維業界の
輸出自主規制問題や、家電製品のダンピング問題など、
国際社会からの厳しい反発を受けるようになり、経済摩擦へ。

また、30年代からの成長の歪みが顕在化しはじめ、労働力不足、
消費者物価の上昇、産業公害、社会資本の立ち遅れ、都市圏の
住宅問題・交通問題など、成長の「影」が社会問題化しはじめた。

一方、消費者運動・不買運動がおこるなど学生運動に
連動してイデオロギーの時代でもあった。
 

団塊の世代の台頭で、昭和40年代は、

文化的にも多様化した時代に‼‼

ファッション面では昭和45年にジーンズが大流行。

昭和41年にビートルズが来日、「プレイボーイ」創刊。

深夜放送も全盛で落合恵子や土井まさるなどが活躍。

昭和40年頃からアイビー族が流行。
昭和45年前後は若い女性を「アンノン族」
(当時の人気雑誌「アンアン」「ノンノ」の読者層)と呼び、
彼女達が国内旅行を好むことに対し、
国鉄が「ディスカバージャパン」キャンペーンを展開

家電業界は「カラーテレビ」という大黒柱が急成長し、
団塊世代の消費需要もあり、好調な成長を続けていった。
 
 テレビの世帯普及率は、昭和40年に8.3%であったものが、
昭和45年には91.7%、カラーテレビの普及率は、
昭和45年7.1%から、昭和50年73.1%に!!
 昭和40年代後半には、テレビ以外に、ステレオ、
カセット式レコーダー、冷凍庫付冷蔵庫、クーラーも
出回るようになり、家電メーカーが量産体制を整えることで
価格も低下し、その結果また需要が拡大するという
「大量生産・大量消費」の好循環を生み出していった。
 

団塊の世代が消費の主役になるにつれ、商品の価格や品質に敏感になり、
従来のような必要最低限のものをなんでもそろえるという購買から、
自分の趣味や嗜好に合った商品を購入するという傾向が強くなっていった。

そのもっとも代表的な例が、オーディオ機器で、専門メーカーに加えて、
家電メーカーがTechnics(松下電器)・AUREX(東芝)・Lo-D(日立)
などのオーディオ専門ブランドを作り、若者のこだわりに応える商品を
提供し、専門メーカーも含めて市場はますます活性化した。

また、昭和45年の民放FMのスタートは、カセット式の
録音(エアチェック)のブームを起こし、
カセットデッキ付ステレオがヤングのあこがれに。

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