VR延命行動

「あなたの余命はあと半年です」
 そう告げる医師は淡々としていた。きっと慣れているのだろう。私は覚悟していたこともあってか、さほど驚きはしなかった。
「即入院、ですか」
「最期だから自宅で過ごす、という選択をする方は多いです。僕はあなたの選択を尊重しますよ。どうされますか」
 どうされますか、と言われても。
 同居の相手もおらず、ペットも飼っていなく、家族とは疎遠で、最期に会っておきたい友人も特に思い浮かばない。僕は即答した。
「入院で、構いません」
「……わかりました」
 医師は何かを言い淀んでいた。そういった態度は患者を不安にさせるから良くないんじゃないか。僕は他人事のように考えていた。
「実は、末期の患者さんに試していただいている治療法があるんです」
「はあ」
「延命のため、というわけではなく、残りの人生をより良く生きるため、と言いますか、そういった体験をするプログラムでして」
「はい」
「今はまだ試験中ですので、そのプログラムには医療費はかかりません。いかかですか」
「どういったプログラムなんですか」
「VRで疑似的に、再び体が動くようなる体験ができる、というものです」

 もうほとんど動かない四肢を抱えて生きるなんて、自分には考えられなかった。ほぼ寝たきりの状態になってしまって、いっそ殺してくれと思ったこともある。いくらVRでもまた四肢が動くよう名になる体験なんてできるはずないだろう。そう思っていた。
「それでは失礼しますね」
 看護師はにこやかにそう言って、僕の頭にまずジェルを塗り、電極のような物を取り付け始めた。
「VRなんですよね?」
「はい。でもこれは最先端技術のVRで、まだ試用段階なんですがよりリアルに感じられるものなんです」
「はあ」
「それではHMD被せますね」
 頭に電極がつけられて、それから見慣れたHMDが被せられた。イヤホンを装着し、それでは行きますね、という看護師の声がして、VRの世界にダイブした。
「あ」
 VRの世界に入ってすぐ、もう忘れてしまっていたのではと思っていた感覚が蘇った。手が、足が、動く。
 ゆっくりと手を持ち上げて、目の前でそっと握り、開く。そこには確かに自分の皮膚の、肉の、骨の感触があった。
「……なんで」
 こんなにもリアルに感じられるものなのだろうか。脳波とかそういうもののを使っているんだろうか。僕は混乱した。
 目の前には小高い丘があって、頂に大きな木が一本生えている。僕はそれを目指して歩き出した。足が、動く。付け根から太ももに、太ももから膝に、膝からふくらはぎに、ふくらはぎから足首に、そして足の裏に、筋肉が連動して動く。踏みしめる土の感触。さくさくという芝生を草が折れる音。僕は試しに走ってみた。骨が軋んで筋肉が収縮と弛緩を繰り返す。ばねのように体が跳ね、自分の体重で地面に落ちる。風が頬を撫で、体をすり抜けていく。
 すごい。
 僕は丘の頂上に着くと、大きな木の幹に触れてみた。ごつごつした凹凸と木特有の冷たくも不思議な温かさがある感触。僕は嬉しくなってぺたぺたとその幹を何度も触り、木の周りをぐるぐると歩いて回った。
「そろそろ終わりの時間です」
 看護師の声で僕は現実に引き戻された。この手とこの足を、また失ってしまうのか。残念だったが、無情にも電源が落とされHMDと電極が取り外された。

 そのVR体験は毎日1時間行われた。いろんな世界を体験できた。草原や、森や、ビル群のある都会、田んぼに囲まれた田舎、海外の街並み。僕はそれが楽しみになっていった。
「どうですか。調子は」
「ええと、楽しいです」
 医師からの質問に正直に答えた。まだ動いていたい。そんな気持ちが、湧き上がっていた。
「義手義足の技術も今は相当なものです。いかがですか。病気を治療して、義手義足で生活してみるというのは」
 そのために、あの体験をさせたのか。確かにまたあの五体満足の感覚を与えておいてそれじゃあ死ぬまで遊んでね、はあまりにも酷だ。僕が再び動けるようになるための、その希望を与えるための、そんな体験。
「……してみたい、です」
 もしこれでだめだったら。僕はまた絶望するだろう。だけどもう一度生きようと前向きになれたのは、VRのおかげだ。僕の心は絶望への恐れと希望への期待とでない混ぜになっていて、でもこんなにも感情で心が満たされているのは久しぶりだった。
 ひとり病室に戻って見慣れた天井を見上げた。ゆっくりと深呼吸して、息を吐きながら呟いた。
「また生きてみるか」
 外では小鳥がさえずっていた。

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