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一緒にいたいから

「え?!有希別れちゃったの?!」
 キン、と親友の高音が鼓膜に刺さった。幸運にも私はこの喫茶店の隅で壁を向いていたから、何人が今の声に反応して振り返ったか見えていない。
「どうしたの。良い雰囲気だったじゃない」
「……なんか」
「うん」
 私は膝の上の手を握りしめる。
「私、が、特別だって、思えなくて」
「……あー」
 彼は来るもの拒まず去るもの追わずのスタンスだった。だからきっと付き合ってくれた。でも、それ以上にはなれなかった。
「他の女の子と変わらず遊ぶし、通話するし、それは別に、いいんだけど、……でもそれなら私、友達関係と変わらないなって思って」
「まぁ……亮はね……」
 そう。〝亮は〟ね。彼女が彼をそう呼び捨てで呼んでいることすら気に食わないと言ったら彼女はどういう反応をするだろう。彼を呼び捨てで呼んでいる人はいっぱいいるし、彼が呼び捨てで呼んでいる子はいっぱいいる。だから呼び捨てが特別なものじゃないってことはわかっていた。わかっていたけど。
「ほら、あいつ前も女の子とのデート忘れてうちらとゲームしてめっちゃ怒られたことあったじゃん? あの頃から変わってないんだよ。そういう性分なのかもね」
 そうだね。あなたが彼のことをいかにも私は彼について詳しいですって話してくることすら、私はしんどくて、苦しかった。
「だから金輪際、亮くんの話は、やめてね」
 そんな大げさな、と彼女は笑った。この言葉の裏の殺意に気づかないまま。

    §

 居酒屋の喧騒は私の心を平穏に近い程度に保つには必要だった。
「亮くん別れちゃったらしくてー」
 同じサークル内なのだからそりゃあそうだ。すぐ噂になるに決まってる。
「え? 香織ちゃんなの? 有希ちゃんは?」
「有希ちゃんとはとっくに別れて香織ちゃんと付き合ってたんだよあいつ」
「モテるよなー。あいつの何がいいんだろうな」
「さあなー」
 そんな会話をしている彼らとの距離は約人5人分。なるべく聞こえないよう小さな声を出してはいるものの、酒が入った状態ではさして声量は変わっていなかった。私は肩身が狭くなる思いをどこかへやるためハイボールを煽る。
「やだねーあいつら聞こえてるのに」
「デリカシーないですよね」
 私の隣と向かいに座っている同期と先輩がフォローをいれてくれる。けど、どうせあなたたちも言ってるんでしょう裏で。
「香織、もう気にしなさんな。もっといい男なんていくらでもいるよ」
「……うん」
 そうだね、となんとか笑顔を作ったつもりだができていただろうか。
 いい男なんていくらでもいるだろうが、私が好きになった亮くんはひとりだけだ。ひとりしか、いないのだ。
 あの女とはどうせ上手くいかないだろうと思っていた。だってデートの日とわざと被せてみんなと遊びに誘うと、ほぼ確実にみんなと遊ぶ方へ来てくれる。その程度の優先順位じゃたかが知れていると、思っていた。
「今度合コンでもするか」
「ええ~いい人達集まるんですかぁ~?」
 結局私もその優先順位を越えられなかった。ギリ、と歯を噛み締める。叶わなかった。あの女と同等でしかなかった。その事実が胸の中でどろどろ渦巻いて、いくらアルコールを飲んでも流し落とせなかった。

     §

「また別れたの」
「別れたぁー」
 VR機器がそろっているものにしか許されない恩恵。それはアバターという皮を被ると現実の人間同士よりも距離が近く、またスキンシップを多めにしてもさほど気にされない、ということだ。
「なんで別れたの?」
「んーなんか私を優先してくれないのって言われて、優先してるつもりだよ、って言ったらキレられた」
「なにそれ……」
 彼は寝転がり私の膝上を枕にして呻いている。私はそんな彼の頭を撫でる。これが、VRで彼の近くにいる私の特権。彼女がいようがいなかろうが、彼は私の膝上を枕にして撫でられるし、私は彼に時折撫で返される。
「別に嫌いじゃないんだけどなー」
「好きでもないんじゃない」
「んー告白してくれるくらい好きな子なら好きにもなるんだけど」
「じゃあ足りないんじゃない」
「なにが」
「〝好き〟が」
 うむむ、と彼は腕を組んだ。
「難しいなー寝落ち通話とかDMの返信とかちゃんとやってるよ?」
「友達とデートの予定がブッキングしたら?」
「友達とる」
「そこでしょ」
「ええーなんでさー。普段ずっと一緒にいるんだから友達との時間は用意すべきだろー」
 おかしーよーと彼は目のあたりに手を置いて泣き真似をした。私はよしよしと彼の頭を撫でる。
「はあーぁ。もうやんなっちゃうな。よし、みっちゃん」
「なに」
「付き合おう」
「絶対イヤ」
「なんでさー」
 だって付き合ったら、今までの彼女みたいに、別れることになるから。
「リョウみたいなタイプ、好きじゃないし」
 あなたの傍にずっといられる、このポジションが一番いいから。
「ええー俺はみっちゃんのことタイプなんだけどなーわりと」
「それ、他の女の子にも言ってるでしょ」
「あれは冗談だよー」
「今のが冗談じゃないっていう保証がない」
「確かにー」
「だからダメ」
「ちぇー」
 冗談でも、嬉しいと感じてしまうのが悔しい。
 だから私は、コイツと絶対、付き合ってやらない。



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