第九回 福沢諭吉『人生の楽事』

前回に引き続き、今回も福沢諭吉をテキストに。
要約↓
https://note.mu/furutasu/n/nb88217a62c58
要約しながら、やっぱり現代でも言えることだなあ、
とうなずきっぱなしでした。
...と思いきや、庶民の私ではびっくりすることもありましたですよ...。

福沢諭吉の金銭感覚

ご存知、諭吉先生といえば我が国最高額紙幣の肖像であられます笑
その理由は諸説あるでしょうが、じつは「簿記」を日本に持ち込んだ功績もあるのです。
そんな「商売」に関しても相当な権威である福沢先生のファイナンス感覚が、
この『人生の楽事』で垣間見ることができます。

つまるところ、「しばらくは実益がなさそうだけど、深くて真剣な研究をしている学者が食うに困らず、自由に研究できるユートピアを創造できるか?」という話なのです。

試に實際の費用を概算するに、十名の學者に一年千二百圓を給して共計一萬二千圓(此種の學者は世間に交際も少なく、衣食住の邊幅を張らんとするが如き俗念もなく、物外に獨立して他を顧みざること恰も仙人の如き者なれば、一年の生計千二百圓にて十分なる可し。)

上は学者10名を衣食住の心配をさせずに研究に没頭させるための生活費の試算です。

「こういう学者は人付き合いも、無駄遣いもしない仙人のような連中だ」と決めつけちゃってますが笑

さぞ、シビアな数字を叩き出すのだろうな、とサドっぽくニヤニヤしてしまいますが...

「明治~平成 値段史」:"http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J077.htm"

上記を元に明治時代の1円の価値を現代ではおおよそ1.5万円で計算すると、
(※この講演が明治26年。明治28年の平均給与所得「244円」に対し、現代の給与所得を「360万円」とする)
ひとりの学者を「放し飼い」するのにかかる費用は「1,800万円」くらい。
生命保険(福沢先生、細やか!)も年間「300万円」くらい必要だ!と。

...え、結構豪勢ですよね。生命保険も高すぎ...(金融工学が未発達だったのか、死がそれほど身近であったのか)。
これは福沢先生に庶民感覚がない!ということではなく、
知識階級のスタンダードはこのくらい!というふうに解釈しております。
※マジでわたしの計算ミスでしたら、ゴメンなさい。ご指摘ください。

ちなみに、研究費用は少なくともひとりあたり5,000万円は必要だろう、とのこと。
まあ、このあたり、私塾の長としてのポジショントークでもあるのでしょうけど。

その金はどうヒネり出すか?

さて気を取り直して。
この、相当大きなお金を誰に出してもらうか?

税金?政府は頭も固いし、俗物根性でダメだ!と一刀両断。

投資家(パトロン)?彼らも「実益」にならないものは認めない。
学問本来の目的や浪漫が失われてしまうから、これもNG。

と、結局、解決手段すなわち金の出処は『人生の楽事』では明示されていません。

福沢先生の理想を実現させるためのシステムはどんなものか?
ここらへんをぶらぶら話し合いました。

研究と経営の分業化

よくよく考えると、大学というシステムはこの理想に近いものではあったのかと思います。慶應義塾大学という私塾を立ち上げたのも、こういう経緯があるのか、と夢想させられます。

すなわち
・学者は思うまま研究に没頭する
・経営者は財務をなんとかする
 →交付金、寄付、学費など
・サードパーティの商人(企業)が研究結果を普及させる
・学生は知識を求めて大学を目指す

という生態系(エコシステム)が浮かび上がってきます。
もちろん、100パー市場経済の影響を受けないとは言い切れないし、
学者には研究以外に「教育」という役割が求められる、
という意味で完全ではないのでしょうが。

新しいかたちのファンディングなど、研究の支援は多様化していますが、
まだ福沢先生の夢は実現していないのが現状なのではないでしょうか。
宿題ですね。

以上です。
次回は記念すべき第10回です。
日頃支えていただいてる方々には感謝しつつも、
敢えてこれまでの流れをぶち壊すようなテキストで挑みたいと考えています。
柳田國男『夢と文芸』、お楽しみに!



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