第十六回 魯迅『幸福な家庭』


こんにちは。
前回の読書会は魯迅『幸福な家庭』でした。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001124/files/43650_17367.html

自虐とメタ視点

参加者からは「今回は難しかった」との声が。
たしかに、改めて読み直すと、短いですが複雑な構成です。

上流階級(?)の家庭<作品内の「作者」<魯迅<魯迅...

という入れ子構造になっています。
上の階層が下の階層をバカにしています。
その「バカの仕方」が直截ではなく、お上品に持って回った表現なのが、
インテリゲンチャっぽいですね。

だいたい、出てくるもの全部をバカにしています。


【魯迅がバカにしているものたち】
・中国の各都市 ・上流階級 ・中国のおおげさな漢字表現 
・ベストセラー ・お金 ・生活感 ・庶民の習慣
・海外留学 ・海外かぶれ ・小説家という職業
・親ばか ・家族という概念 ・幸福という概念
・『幸福な家庭』というタイトル etc...

そして、なぜ「魯迅<魯迅...」となっているか?
これは自分を幽体離脱のように外側から見ているからです。
いわゆるメタ視点。自分を客観視する技術。
そうして、自分自身もバカにする。
あらためて考えると、「自虐ネタ」も自分をメタに見ないと、
できない芸当ですね。
ことさらに自分を卑下する必要もありませんが、
コミュニケーションの潤滑油として使えますし、
よい思考トレーニングになるかもしれまん(?)

今回はバレンタインデーの開催となりましたが...

メンズ3名による読書会でした。
ひとりがボソリと「非モテ・陰キャの会合...」と呟きました。
わたしは主催として、「それは魯迅的ではない!」とその直接的過ぎる自虐表現を糾弾しました。
では、魯迅的なるバレンタインデー自虐とはいかなるものか?
以下は、『幸福な家庭』ではいろいろな技術が学べる、という(拙いですが)一例です。

欧米発祥のバレンタインデーという習慣はまったく素晴らしい。
そして「良いものは屈託なく取り入れる」というのは我ら現代人が取るべき、
正しい、誠実な態度である。
一方で、伝統に対して払うべき敬意も持ち合わせている。
それは「紳士道」すなわち淑女の「勇」を頼みにする怯懦へのおそれ、
それに「武士道」つまり「武士は食わねど高楊枝」の矜持への憧れ、
古今東西の優れた精神文化を我がものとすることである。
世間が「そういうことになっている」と言ったからといって、
ことさらに気にするのはサムライではない。いざ、和魂洋才。
そのため本日は、俗世を離れ、遠い過去へ思いを馳せることにしよう。
詩仙・李白。詩聖・杜甫。鬼才・李賀。
....しかし、頭を使えば甘味が欲しくなる。
食堂の残りのイチゴチョコをいただくことにしよう。
(これは断じて精神が求めたものではなく、生理的欲求で何ら恥じるところはないのだ)
旨いものは、カレンダーに関わらず、旨いものだ。

つまり、こう、どうやって「はぐらかすか」という勝負ですね。
(※今回も差し入れありがとうございました)

社会変革としてのブラックジョーク

ただ、単なるエンターテイナーで終わらないのが、魯迅の偉大たる所以。
第二回『吶喊』では「国民の精神改造のために、おれはペンで闘う!」という魯迅の悲愴な覚悟を見ました。代表作の『阿Q正伝』では、典型的中国人を徹底的にこき下ろします。
『幸福な家庭』もただのブラックジョーク読み物ではなく、大きな「愛のムチ」だと捉えれば深い余韻が残ります。

以上です。
次回は、文学の「出口」のひとつ、演劇に触れたいと思います。
岸田國士『稽古のしかた』
https://www.aozora.gr.jp/cards/001154/files/44499_36662.html

また来週!


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