現代語訳 樋口一葉日記 29(M26.3.29~M26.4.6)◎伊東夏子と讃美歌を翻訳、迫る貧窮と一葉に迫る母上、桃水への思慕の歌
(明治26年)3月29日 起き出て見ると、春雨が少し降りかかって、軒の梅の花がとても香り高かった。母上が、(昨日の)火事見舞いに行かれた。藤堂邸(※和泉町にあった伊勢久居藩(いせひさいはん)の藤堂家のお屋敷。)より失火、二長町(※にちょうまち)の方へ延焼し、市村座(※歌舞伎の劇場で、中村座、森田座とともに江戸三座と呼ばれた。4か月前の明治25年11月に猿若町から二長町に移転したばかりであった。)も焼失したということだ。母上が帰宅してのち、雨がますます降りに降った。今日の『読売新聞』の川越大火(※明治26年3月17日から18日にかけて、埼玉県川越町で起こった大火。町の3分の1にあたる1302戸が焼失した。)義捐金の部に、「日本橋いせ丁絵之具問屋平田喜十郎」とあるのは、かの禿木さんのことであるようだ(※平田喜十郎は禿木の父の名義)。最近の流行(※義捐金という言葉は明治時代に生まれたもの。災害にあった人々を助けるためにお金を寄付する習慣はこの頃に生まれたのだろう。現代では義援金と表することが多いが、元々の「捐(えん)」は捨てる、喜捨するという意味である。)ではあるけれど、やはり慈悲は喜ばしいものである。
この日の昼過ぎ、伊東夏子さんが来訪。「英和学校でピアノに合わせて歌わなければならないあちらの国の歌(※イギリスの讃美歌)の歌詞を、こちら(※日本)の言葉に訳そうと思うのですが、(こちらは)五七(※七五調)にばかり慣れている身(ですから)、八六の調べがとても難しく、また意味もうまく取り込めないので、どうか良い知恵をお貸しください。」ということである。(※伊東夏子はミッションスクールの駿台(しゅんたい)英和女学校を明治25年7月に卒業し、キリスト教青年会に入っていた。)一緒にしばらく勘案して、「それではこうしましょう。」と言って、「(ちょっと)おかしいけれども」と、(次のように訳した。)
たのしきくにあり 老(おい)せぬたみ
(※楽しい国がある。老いることのない民たち。)
とこしへのはるに かれせぬはな
(※とこしえの春に、枯れることのない花々。)
日はつねに照りて うきやみもなし
(※太陽は常に輝いて、憂鬱な闇夜もない。)
とみれば隔つる 死出(しで)のながれ
(※ふと見ればその国を隔てる死の流れがある。)
其二
(※その2)
ときはの野べは かわのあなた
(※永久に変わらぬ野辺は、その川の向こう側にある。)
ヨルダンもカナをぞ へだてたりし
(※ヨルダン川も約束の地カナンを隔てていた。)
モツセのごとたちて 御くにをば
(※預言者モーゼのように立って、かのカナンの国を(眺めよう)。)
いさみてこゆべし さかまくなみ
(※勇気を出して越えよう、(川に)逆巻く波を。)
(※この讃美歌はイギリスの牧師にして讃美歌作家のアイザック・ワッツが1707年に作詞したもの。一葉の時代からでも200年近く前のものである。その原文が、筑摩書房版一葉全集に記載されているので挙げておこう。括弧内の日本語はそれを試みに訳したものである。
The Life Everlasting
(とこしえの命)
1) There is a land of pure delight,
(けがれのない喜びの国がある。)
Where saints immortal reign;
(その国は不死の聖人たちが治めている。)
Infinite day excludes the night,
(果てしない昼間が夜を除外し、)
And pleasures banish pain.
(そして喜びが苦しみを追放している。)
2) There everlasting spring abides,
(そこではとこしえの春がとどまり、)
And never withering flowers;
(そして決して枯れることのない花々がある。)
Death, like a narrow sea, divides
((けれども)細くて狭い海のような死が、分かつのだ、)
This heavenly land from ours.
(私たちからこの天国のような国を。)
3) Sweet fields beyond the swelling flood
(その心地よい土地は、大きくうねる洪水の向こうに)
Stand dressed in living green;
(命ある緑に覆われている。)
So to the Jews old Canaan stood,
(だからユダヤ人にとって、古代のカナン(旧約聖書で神がイスラエル民族に約束した土地、理想郷)はそこにあったのだ。)
While Jordan rolled between.
(ヨルダン川がその間を流れていた間は。)
4) But timorous mortals start and shrink
(しかし小心な人間たちは(カナンに向けて)出発してすぐにひるんだ。)
To cross this narrow sea;
(この細く狭い海を渡るのに。)
And linger, shivering on the brink,
(そしてそこに残って、水際で身震いしている。)
And fear to launch away.
(そしてそこから船を下ろして(岸を)離れて行くのを躊躇している。)
5) O could we make our doubts remove
(おお、私たちは私たちの(本当にカナンなのかという)疑いを取り払うことが出来るのだろうか。)
Those gloomy thoughts that rise,
(わき起こるそれらの悲観的な考えを。)
And see the Canaan that we love
(そして私たちが愛するカナンを見よ。)
With unbeclouded eyes!
(曇りのない目で!)
6) Could we but climb where Moses stood,
(私たちは、モーゼ(※紀元前13世紀頃の預言者でイスラエル民族の指導者。旧約聖書によると神の啓示を受け、奴隷状態のイスラエル民族を率いてエジプトを脱出、その後、神に十戒を授けられ、民と共に40年間荒野を放浪し、ようやく約束の地カナンに到達したが、モーゼ自身は丘の上でカナンを見ながらヨルダン川を渡らずにそこで死んだという。)が立っていた場所に登ることが本当に出来るのだろうか。)
And view the landscape o'er,
(そしてその向こうの風景を眺めることが出来るのだろうか。)
Not Jordan's stream, nor death's cold flood
((それが出来れば)ヨルダン川の流れも、死の冷たい洪水も、)
Should fright us from the shore.
(岸辺から私たちを怯えさせることはないだろう。)
また、小学校しか出ていない一葉には英語は読めなかったはずなので、伊東夏子に言葉の意味、旧約聖書の話を聞いて二人でそれにふさわしい日本語の歌詞を考えたのだろう。)
(私は)「総じて(この)翻訳の難しさは、私とあちら(外国)とのならわしが異なっているためであるようです。もっと原文を残すところなく噛み砕いて(※吟味して)、そのうえで(改めて)自分の言葉で言ってみるに越したことはないでしょう。この短い時間で(は)思案していることを言い尽くすことも出来ませんから、そのうちにまたお越しくださいませんか。一緒にこれ(※讃美歌の翻訳)の研究をしたいので。」などと(伊東さんに)話した。(それから二人で)雑談をいろいろした。(彼女に)夕餉を出した。(伊東さんは)日没少し前に帰宅した。この夜は(翻訳の)工夫に十二時を過ぎるまで夜更かしをした。
(明治26年)3月30日 晴天。早朝、国子(※邦子)と少し話をした。わが家の貧困は日増しに迫っていて、今となってはどこからもお金を借りることの出来る手だてもなかった。母上はただもう(私に)迫りに迫って、私の(小説の)著作を急ぐことをおっしゃって、「さてまあ、どんなに力を尽くしても、世間に(その)買い手がなかった時はどうするのですか。ここからもあそこからもひたすら(あなたの小説を)求めに求めて(来て)いるのに、あれやこれやと引き延ばして世間に(小説を)出さないのはおかしいでしょう。誰もはじめから名文名作が出来るはずもないのですから、よしんば少々気に入らぬところがあろうとも、そこは我慢しなければならないでしょう。たとえ十年の後に名声の道が開けようとも、それまでの衣食がなくてはどうして暮らせましょうか。こんなやりきれない目にあうよりは、たとえ十円取りの(※薄給の)小役人であれ、片襷(※かただすき/片方の袖だけに襷をかけること)を(ずっとかけて)解かないしがない商人(あきんど)であれ、身のよすが(※よりどころ。ここではつまり金のこと。)(となるもの)が安定していれば、(そちらの方が随分よく、今のような)苦しみをなめずともよいのに。(※母たきは、一葉が小説で一家の生計をたてようとしているのを内心では反対していることが分かる。確かに、いくらにもならない小説に従事しても、しかも遅筆であっては現実にはどうにもならないことであっただろう。切羽詰まった樋口家の状況が見て取れる。それに、たきは前時代の女性である。男がするような小説家を目指す娘をたきはどう思っていただろうか。が、かといって明治時代の女性に生活を十分に養うだけの生業(なりわい)があっただろうか。男手のない樋口家は出口のない貧窮をさまようばかりであっただろう。)」などとおっしゃることが大変多かった。親不孝の子にはなるまいとは日夜思っているのだが、やはりこのようなお方(※母上のこと)の御心にかなうこともなく、こう厭わしげに(ものを)おっしゃることが常のようであった。ああ(こんなことを書くのも)不届きな(自分である)ことだ。
(東京帝国)大学総長加藤弘之さんが免じられ、浜尾新(あらた)さんが任官した。
春雨は軒の玉水くりかへし
ふりにしかたを又しのべとや
(※<玉水>は雨だれ、<ふりにしかた>は古びてしまったあの頃、ほどの意。<しのぶ>は懐かしむ意。春雨が(降り続き)、軒の雨だれ(のしずく)がくりかえし落ち(る音を聞いていると)、もう古びてしまったあの頃をまた懐かしく思いなさいとでもいうかのようだ、ほどの意。)
あなくるしつらくもあらぬ人ゆゑに
あはまほしさのかずそはりつゝ
(※<つらし>は冷淡だ、思いやりがない意。だから<つらくもあらぬ>は温厚で思いやりがあることになる。<そふ>はつけ加わる、多くなる意。<つつ>はいわゆる「つつ止め」で「しきりに~していることだ」と動作の継続に余情、詠嘆を添えたもの。ああ苦しいことだ、思いやりがあったあの人(※半井桃水)ゆえに、あの人に会いたいと思う回数がしきりに多くなっていることだ、ほどの意。)
中々に恋とはいはじかりごもの
みだれ心はわれからにして
(※<かりごもの(刈り薦の)>は「乱れ」にかかる枕詞。なまじっか恋とは言うまい、心が乱れるのは自分のせいなのだから、ほどの意。)
荻の葉のそよともいはですぐるかな
わすれやしけんほどのへぬれば
(※<すぐ>は盛りが過ぎること、<ほど>は時間、<へる>は時がたつ意。荻の葉が(風にゆれ)そよとも音を立てずに(※桃水から何の音信もないことのたとえ)盛りが過ぎようとしていることだ、時がたってしまったので(あの人は私のことを)忘れてしまったのだろうか、ほどの意。)
(明治26年)4月1日 上野さん(※上野兵蔵。上野の伯父さん。直近では明治25年12月29、30日に出ている。)と清次さん(※上野兵蔵とその妻つるの間の子。つるの連れ子が房蔵。)が一緒に来られた。日没少し前に帰宅した。この夜、本郷通りに遊んで、『文学界』三号が発行されているのを知った。(※一葉の「雪の日」が掲載されていた。)今日から『読売新聞』を取り始めた。
(明治26年)4月2日 芦沢(※芦沢芳太郎/一葉の母たきの弟、芦沢卯助の次男。芳太郎は上京して陸軍に入り近衛第一連隊に配属されていた。直近では明治26年3月25日に出ている。日曜日によく来訪している。)が来た。終日雨であった。夜が更けてから車軸を流す(※大雨の降る様子)ように降った。この日、国子(※邦子)が、吉田さん(※邦子の友達。直近では明治25年2月11日に出ている。)のところに行った。悲話が縷々(るる)(※とぎれず細く続くさま)として語られた(ようだ。)(※野々宮きく子の書簡によると、吉田房太郎なる人が亡くなったらしい。房太郎と吉田さんの関係は不明だが血縁ではあろう。)
(明治26年)4月3日 空が晴れに晴れて大変気持ちがよい。母上が、安達さん(※安達盛貞。安達の伯父さん。直近では明治26年2月20日に出ている。)のところへ行かれた。久保木(※一葉の姉ふじの夫、久保木長十郎。)が来た。この夜、伊勢屋のもとに走った。(※伊勢屋は本郷区菊坂町にある質店。主人は永瀬善四郎といった。現在もその建物は有形文化財として保存されている。方々に借金をして借りるところもなくなった樋口家は、いっそうの生活の困窮から質屋通いを始めざるを得なかった。この日が伊勢屋の名が出て来た最初の日である。)
忘れていた。甲州広瀬(※山梨の広瀬七重郎。一葉の父則義のいとこ。)のもとに、裁判事件(※七重郎の姪広瀬ぶんの再審請求)の書類を三月三十一日に差し出した(のだった)。(※この10日前の3月24日にも裁判所からの文書を七重郎のところへ送っている。)
(明治26年)4月5日 早朝、夏子さん(※伊東夏子)から手紙が来た。「暁月夜(あかつきづくよ)」のことについて評を書いていた。(※手紙の内容は、先日の讃美歌翻訳の協力へのお礼と、「暁月夜」が萩の舎同僚の間でも好評であったというもの。)この夜、荻野さん(※荻野重省。一葉の父則義の友人。元司法省の官吏。直近では明治26年2月7日に出ている。一葉はよくこの人に本や新聞を借りている。仲御徒町(なかおかちまち)の宿屋に妻といた。)のところに訪問した。(そこで)松浦道子(※不詳)の艶聞を聞いた。この日夜通し雨が降った。秀太郎(※久保木秀太郎。一葉の姉ふじの子。赤坂区青山南町の青山堂という薬種販売店に奉公に出ていた。)が、青山から帰った。
(明治26年)4月6日 夜より(朝に)かけて雪が少し降った。早朝、広瀬(※七重郎)から(書類)受け取りの返事が来た。雨は晴れることなくとても寒い。星野さん(※星野天知)から葉書が来た。『文学界』三号に出した小説(※「雪の日」)が好評だということだ。「五号か六号に(載せる小説を)執筆してほしい」との依頼であった。
桃も咲いた。彼岸桜があちこちでほころびていた。「上野も墨田も(花は)この次の日曜までは持たないでしょう。」などと聞くのは大変残念だ。「このこと(※小説執筆)をし終わってから、花見の遊びをしよう。」などと真面目ぶっているのだが、(他にも)あれこれ考えて心を決めたことがあるのだ(が)なあ。(※一葉が何を心に決めたのかは不明だが、おそらく実業に就くことをそろそろ考えていたのではないかと推測される。)折しも急に空が寒くなり、人はなんとはなしに嘆き合っていたが、「ああ、(あと)七日ぐらいはこのままであってほしいなあ。」と願うのも(我ながら)おかしなことではある。
何となく硯にむかふ手ならひよ
おもふことのみまづかゝれつゝ
(※<手ならひ>は習字。<つつ>は動作の継続に余情、詠嘆を表すもの。これということもなく硯に向かって習字をするのだが、(文字の練習ではなく)どうにも思っていることばかりをしきりに(紙に)書いてしまっていることだ、ほどの意。習字をするにも気もそぞろで、自分の思いを紙に書いてしまっている私がいる、ということだろうか。)
しらじかし花に木(こ)づたふ鶯の
しの音(ね)に鳴(なき)てものおもふとも
(※<こづたふ>は木の枝から枝へ次々と移ること。<しのね>は「忍び音」だろう。辺りをはばかる小声、また、人に知られぬよう声をひそめて泣く声のこと。<ものおもふ>はいろいろと思い悩むこと。(あなたは)お知りにならないでしょうね、花の枝を伝っている鶯が、声をひそめて鳴きながらいろいろと思い悩んでいても、ほどの意。生活苦という窮地に立って思い悩む一葉は、こんな時、半井桃水を思慕して心の中で助けを求めているのだろう。)
しられぬもよしやあし間(ま)のうもれ水
ながれてあはん仲ならなくに
(※<よしや>は仕方がない、の意。<あし間>は葦のしげみの間。<うもれみづ>は草木の陰に隠れて流れる水のことで、人に知られない思いや身の上をたとえる。<ならなくに>は「~ではないのに」また「~ではないから」の意。(あの人に)知られなくても仕方がないのだ、葦の陰に隠れて流れる水のような私の思いを。いつか水の流れが合わさるような仲ではないのだからなあ、ほどの意。桃水を思慕し、求めても、それが叶わぬ恋だと自ら諦めている一葉がいる。)
うら山し夕ぐれひゞくかねの音の
いたらぬかたもあらじとおもへば
(※うらやましいことだ、夕暮れに響きわたる鐘の音が届かぬところもないのだと思うと、ほどの意。私の思いは届かないが、鐘の音は桃水の住むところまで届くからうらやましいのである。桃水への思慕の強さを物語っていよう。明治26年3月15日にも同じ歌を書きつけている。)
春にあふかき根のさくら中々に
花めかしきがやましかりけり
(※<やまし>は気分が悪い、不快だ、気が重い、意。春になって出会う垣根に咲く桜の花だが、その華やかな姿がかえって私の気持ちを重くしてしまうことだ、ほどの意。美しく咲き乱れる桜の花を見ていると、それとはまるで反対に、咲くどころか片恋にも生活にも苦しんでいる自身の姿を比べてみて、一葉は落ち込んでしまうのである。)
春雨のふりにし中よわか草の
またもえ出(いで)てものをこそおもへ
(※<ものをこそおもへ>は<ものをおもふ>の強調。もの思いにふける、意。春雨が降った中で、(地上に)若草がまた萌え出て来て、もの思いにふけることだなあ、ほどの意。春雨が降って若草が萌え出るように、私の心にあの人のことがまた思われてくる、ということであろう。)
春雨はふりにふれどもかれ柳
いかゞはすべきもゆるかたなし
(※<かた>は「方」で、手段、方法の意。春雨は降りに降ったけれども、枯れた柳はどうしたらよいのだろうか、新しい芽を萌えだす方法もないのだから、ほどの意。ここにも一葉の恋に対する諦念が現れていよう。自らを枯れ柳と言っているのである。)
いたづらにもゆる計(ばかり)ぞわか草の
つみはやされんものとしもなく
(※<いたづらに>は何の甲斐もなく、の意。<つ(摘)みは(栄)やす>は草花を摘んで賞美すること。<としも>は「~とも」「~ということも」「~というわけでは」の意。無益に萌え出るばかりだ、その若草が摘まれて賞美されるわけでもないのに、ほどの意。恋心を抱いても相手は私を選んではくれないのだからそれも無駄なことだ、という一葉の諦念であろう。)
去年の春は花の咲く頃に至恋の人(※恋をする人、ほどの意。一葉本人)となり、今年の春は鴬の音が聞こえる頃に至恋の人を慰めた。(※ここの後者の<至恋の人>について、小学館版一葉全集の注釈では「禿木を指す」とあるが、どうだろうか。日記では禿木は恋の話など一切していないし、初対面の一葉、しかも女性にそんなことを漏らすとも思えない。一葉は確かに慰めてはいるが、相手の悩みは恋ではない。さすがに禿木ではないと思われる。ここでの<至恋の人>は妹の邦子のことではないだろうか。鶯の初音を聞いたのは当年の3月5日、邦子の愛する野尻利作が妻を迎えた話を聞いたのは3月16日で、時期も符合する。失恋に心を痛める邦子を一葉が<よは夢ぞかしよは夢ぞかし>と歌で慰める場面は印象的である。同時期に萩の舎の吉田かとり子も一葉は慰めているが、こちらは夫が女遊びで家に帰らない悩みであり、恋とは少し違った局面が強いだろう。また、少し穿って、一葉本人だとすることも可能ではあるが、やはりここは、邦子だと考えるのが自然であろう。邦子を慰める際、一葉が自らの悲恋を引き合いに出していることが次に続く歌の意味をより明らかにしているだろうからだ。)
春やあらぬわが身ひとつは花鳥(はなとり)の
あらぬ色音(いろね)にまたなかれつゝ
(※古今集の在原業平(ありわらのなりひら)の歌、「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」を踏まえたもの。業平の歌は、「月は(昔の)月ではないのか、春は昔の春ではないのか、わが身だけが(変わらず)昔のままであるというのに(周りのものは全て変わってしまった)。」ほどの意。逢瀬を続けていた女が急にいなくなり、翌年の春、久し振りにその場所に行ってその女恋しさに嘆く男の歌。一葉の歌は、<花鳥>は花や鳥のこと、<色音>は花の色と鳥の声。<なかれ>は「泣かれ」と「鳴かれ」を掛けたものだろう。<つつ>は「つつ止め」で継続の余情、詠嘆。春は昔の春ではないのだろうか、昔のままの私が、昔とは変わってしまった花の色や鳥のさえずりにしきりにまた涙が流れてしまっていることだ、ほどの意。桃水を恋しく思う昔のままの私であるのに、もう周りの様相はすっかり変わってしまってその恋の成就などありえなくなってしまったという諦念であろう。)
桃の(花の)盛りにあの人の名(※桃水)を思い浮かべて、(次のように詠った。)
もゝの花さきてうつろふ池水(いけみず)の
ふかくも君をしのぶ頃哉(かな)
(※<うつ(映)ろふ>は映る、<しのぶ>は偲ぶ、思い慕う意。桃の花が咲いて、池の水に映るその姿に、その池のように深くあなたが偲ばれる季節であることだ、ほどの意。)
※底本は「全集樋口一葉 第三巻 日記編」(小学館 1979年)及びその復刻版(小学館 1996年)。(句読点、鍵括弧はこれに準じた。実際の一葉の日記にはほとんど句読点、鍵括弧はない。)また、「樋口一葉全集 第三巻(上)」(筑摩書房 1976年)及び「樋口一葉 日記・書簡集」(ちくま文庫 2005年 これは抄録集)も参考にした。
※一葉の日記は40数冊が遺されているが、実際それは千蔭流(ちかげりゅう)という流派の書で書かれていて、草書もろくに読めない我々一般人には到底解読不可能である。ところが専門の方々にも字の判別が分かれる箇所があるようで、それによって意味が変わる場合も見受けられた。よって上記の本を見比べながら、もし相違がある際は、より自然な流れに沿うようなものを採用して訳出した。
※語訳は出来るだけ原文に即した直訳に近いものを目指したが、現代からすると擬古文は外国語のようであり、直訳するとかえって意味が通じにくかったり、文章のリズムが大きく崩れるような箇所が出てくる。その時にはどうしても意訳に近くなる場合もあるが、極力補助の言葉を入れることによってそれに対処するよう心掛けた。また、日記の文章の時制は大半が現在形であるが、日記としての読みやすさを考慮して、問題のない範囲で適宜過去形に修正している。
※括弧のみ( )の補注は分かりやすくするための補助の言葉、読み、西暦などで、※を付した括弧(※ )には言葉の意味、解説などをほどこしている。店名や人名など極めて専門的な脚注は上記の4冊のものを参考にした。なお、年月日の数字は見やすいように元の漢数字からアラビア数字に置き換えた。
※参考文献は上記の他、次の通り。
「新潮日本文学アルバム 樋口一葉」(新潮社)
「一葉伝」(澤田章子 新日本出版社)
「一葉樋口夏子の肖像」(杉山武子 績文堂)
「樋口一葉「いやだ!」と云ふ」(田中優子 集英社)
「一葉語録」(佐伯順子 岩波書店)
「一葉の四季」(森まゆみ 岩波書店)
「樋口一葉 人と作品」(小野芙紗子 清水書院)
「樋口一葉赤貧日記」(伊藤氏貴 中央公論新社)
「全集 樋口一葉 第四巻 一葉伝説」(1996年版 小学館)
「新装版 一葉の日記」(和田芳恵 講談社文芸文庫)
「全集 樋口一葉 第四巻 評伝編」(1979年版 小学館)
「佐佐木信綱記念館だより」 平成17年3月20日 第19号(三重県鈴鹿市 佐佐木信綱記念館)
「樋口一葉研究 増補改訂版」(塩田良平 中央公論社)
「人物叢書 樋口一葉」(塩田良平 吉川弘文館)
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