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世界は終わってなかった


2020年もあと少しで終わる。たった一日で数時間で、年が変わるというのはなんだか変な感じだ。年が変われば世界も変わるというと、そうではなくただ目の前には今日と見た同じ世界が広がっているだけだった。こうやって何度も私たちは繰り返し繰り返し生きている。年末には今年一年を振り返って、ああだったよなとか良い一年だったとか、来年も良い一年になればいいとか願いながら、思い思いの年末を過ごしそれぞれが年明けを迎えるんだ。

どんな思いだったかなんて誰一人知ることはできない。それは私があなたではないから。


誰の気持ちも分からないのだ、ほんとは。分かったフリをしている。分かったつもりになっているだけで、本当の気持ちは本人にしか分からず、私たちは他人の気持ちを想像して生きているだけだ。それは思い込みにしか過ぎない。


果たして優しさとは何だろう。その問いに相手を思いやる気持ちだと誰かが答えた。でも私は思う、本当に相手を思いやるってできるのだろうかと。相手の本心は目に見えず、言葉だって真実とは限らない。私たちはどこまでいっても想像でしかその空白を埋められなくて、優しさのつもりのその想像に自分が苦しめられることもあって。

人間はとても窮屈な生き物だと思います。
不器用な生き物だと思います。


想像でしか生きられない生き物なんです。
想像することでしか優しさを見せられない生き物なんです。それはあなたの教え通りに育った結果です。人を思いやることは何処までも限りなくて、私は時々優しさとは何なのか、分からなくなります。ねえあなたにとっての優しさってなんですか。教えてください、きっと私には見えてない景色を見ているはずだから。
ちゃんと考えなさい。お母さん、あなたの言葉がずっと頭の片隅から離れないでいます。


私はきっとこれからも私のままだよ。あなたが何かを望んでも、私は私のままこれからも生きるんだ。
それをどうか寂しくは思わないで。
私はいつだって私であるという事実。


本当の優しさって何なのか私には分からなくて、でも私には私なりの、あなたはあなたなりの優しさを持って今日も生きていて、それだけが真実だった。
私は私の見たいように世界を見ていて、あなたもあなたの見たいようにこの世界を見ているから。
だから私のこの目に映る全てのことが、私にとっては真実だった。私は私という存在を通してしかこの世界を見れないから。
いつだってこの目に映ることが真実だ。


ただ過ぎる時の中で、色んな思いを抱えても、大事だった思いが消えてゆく。抱いた時は忘れないよう胸に刻みつけようとしても、時間と共に思いは風化してしまう。その時そこに確かにあった胸を熱くするような思いは、書き留めなければ、言葉にしなければ無かったのと同じになってしまう。人間は忘れてゆく生き物だから、胸にしまった思いは外に出さなければないのと同じ。他人に見えなければ思いなんてないのと同じだ。本人が忘れてしまえば、永遠にその思いに出会うことはできない。さよならだ。そうやって私はいくつの思いを気持ちを置き去りにしてきたのだろう。確かにそこにあったはずだった。胸を焦がすあの思いが、なかったなんて思いたくない。


そんな自分が、世界から置いてきぼりにされているような寂しさの中でも、
ふと見る大好きなアーティストの姿で、何処までも限りなく自分の内に熱が灯るのを感じて、
そうだよな、目指したい場所が此処にあるんだよな。
忘れちゃいけない、と思った。失くしたくない思いがそこにはあるから。
それでも、何度私が熱を失おうともう、必ずその心に火を灯してくる人たちがいるから。
私は何度だって蘇られる。
それはこんなにも嬉しいことだ。
世界はちっとも終わってなかった。
終わりかけてたのは自分だけだった。




あとがき
皆さんこんばんは。有沙です。
2020年ももうすぐ終わりですね。実感ないなー。2020年の振り返りを、普通にしたら面白くないので小説にしてみました(?)振り返りといっても思いついたことをそのまま言葉にしただけですけど…。

ほんとあっという間でした!いつもより過ぎるの早く感じた!月日は過ぎるの早いですね。

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