生臭坊主(後編)

(これから書く話は基本的に実際に見聞きしたことを書いたものをもとにしているが、ずいぶんと昔に見聞きした話も含まれるため、一部に筆者の記憶違いや創作、過剰な演出も含まれる。このため、あくまで「フィクション」として読んでいただければ幸いである。なお、今回の話には特定宗教の特定宗派が登場するが、これらを貶める目的がないことをあらかじめお断りしたい)。

当家は元々仙台藩士の家柄ということもあって、その菩提寺と墓が仙台の北山にある。お寺などの記録を辿ると江戸時代中期の享保年間まで遡ることができるとのことで、300年くらいの歴史があるらしい。現在の墓は40年以上前に祖父が色々と整理をして建てたものである。祖父が亡くなった後は、長男の父が投手となってこれを守っている。

理科系出身で、電機メーカーで長くエンジニアであった父は決して信仰心や宗教心が厚いというわけではない。お寺はともかくとして、国家神道の流れをくむ神社は蛇蝎のごとく嫌う。そんな父ではあるが、祖父母と叔父が既に他界していることもあってか先祖供養には殊の外熱心であり、回忌法要を手厚く行っている。

菩提寺は仙台の北山に位置しており、伊達家所縁の寺である。仙台藩祖である伊達政宗の母にあたる保春院(最上家出身の義姫)の灰塚があり、かつての伊達家臣団の家系の墓が数多くある。兄の推測では、同じ禅宗でも臨済宗ではなく曹洞宗であるから、家格はさほど高くなかったのではないかとのことだが、真偽のほどはわからない。(伊達宗家とその一門が臨済宗であることから、臨済宗の方が格上というイメージがあるらしい)。

私が知っている住職は先代と当代の住職だけである。先々代の住職と祖父との間に確執があったとかで、祖父の死後に父は先代の住職と良好な関係を構築するべくずいぶんと気を遣っていた。仙台の住職は細身で、作務衣が非常によく似合う、落ち着き払った方だったと記憶している。

その先代の住職は十数年ほど前に若くして亡くなられた。死因は咽頭がんとのことだった。職業柄、焼香や線香の煙を吸ってしまうことが多いため、これが原因だったのではないかというのが母の見立てである。

先代の住職が亡くなられた時、一人息子はまだ中学生になるかならないかの歳だった。この一人息子が成長し、総本山での修行を終えるまでは、先代の奥様が寺を守ることになった。寺の運営や檀家との付き合いは奥様が行い、法要の読経は近隣の寺からお坊さんを派遣してもらうということになった。

住職不在の間、当家の法要もこの派遣されるお坊さんに行ってもらうことになった。近隣のお寺の副住職とのことだったが、ある時、酒やけしたと思しきガラガラ声で読経することとなった。私は般若心経が少しわかるくらいで、お経に関する知識は全くない。だが、何となく「これは良い読経」だなと思わせるものがあって、亡くなった先代の読経などはまさにそういうものだった。お経には演歌で言うところの「こぶし」のようなものがあると思っていて、先代はそれが実にうまかった。(余談だが、サウジアラビアに駐在していた頃、モスクの礼拝前に流れるアザーンの中に同じような感覚を抱いたことがある)。

ところがである。この派遣坊主の酒やけした声での読経はあまりにもひどいのである。「こぶし」がきいていないどころか、所々咳込みながらの読経が続く…。極めつけは声が裏返るのである。この声が裏返ってしまった時、私の中で堰を切ったように笑いが込み上げてきてしまったのである。吹き出しそうになるのを必死でこらえる。だが、派遣坊主の裏返った声の読経が追い打ちをかける。込み上げてくる笑いを必死でこらえながら、わざと咳をしてごまかす…。

隣に座っていた兄が、必死で笑いをこらえて体を震わせている私に気付き、ニヤリとしてから指で私の膝を突っついてくる…。笑いが込み上げてきてはわざ咳をしてやり過ごす、そんな時間が続いた。

法要が終わり、この派遣坊主からの法話となった。酒やけした声で、所々裏返った声になりながらこんな話を始めた。

派遣坊主:目をつぶってみてください。初めに、自分がこれまでに大切な人に対して何をやってあげたかを思い浮かべてみてください。

(私の心の声:いやー、もう無理!マジで無理!!こんな酒やけして裏返った声で法話とかしないでくれ!!!)
↑吹き出しそうになるのをこらえるためのわざ咳をゴホッゴホッとする。

派遣坊主:それでは次に、自分がこれまでに大切な人から何をしてもらったかを思い浮かべてみてください。

(私の心の声:ひぃー、もうやめてくれー。それ何かの法話マニュアルに書いてあるやつなのか?そうなのか??)
↑例によって吹き出しそうになるのを必死でこらえる。

派遣坊主:いかがでしょうか?おそらく、「何をしてあげたか」はたくさん思い浮かぶかもしれませんが、「何をしてもらったか」はあまり浮かばなかったかと思います。人というものは、「何をしてもらったか」にはあまり思いを致さないものなのです。

(私の心の声:いや、あんたはもう十分すぎるほどオレを笑いの渦に落としてくれている!もう十分だ!!頼むからもうこれ以上しゃべらないで!!!)


人間というのは笑いをこらえさせることで拷問のような効果を与えることができるのかと実感した法要となった。

法要が終わり、派遣坊主が去って行った後で、前の列に座っていた施主の父が真顔で「ずいぶん咳き込んでいたけど体調悪いのか?」と言ってきた。特に怒られるということはなかったのだけど、兄からは「あれはないわー。あれで(笑いをこらえるのは)しょうがないわー」と言われた。母は「酒やけしたような声で読経してふざけてるわよね。何よりも気に入らないのは、目が○○(母が蛇蝎のごとく嫌う親戚)に似ていることなのよ!」と憤慨していた。

結局、この派遣坊主による法要はこの時で終わり、その次の法要では總持寺での修行を終えて戻ってきた当代の住職が執り行うこととなった。当代の住職は力強い読経を行ってくれるため、心安らかに法要を済ませることができた。

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