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今日より明日を、よりよく生きたい

 キレイゴトってたくさん蔓延ってる(はびこってる)なと思う。それはこの社会にではなく、身近な日常にでもなく、私の中にも。

 こんなツイートを見た。


このツイートに対して、さまざまな立場の人が、さまざまな意見を述べていた。

 私としては、少々言葉選びが乱暴だけども30歳ごろといえば「私の人生はこれでいいんだろうか」って一度は思う頃だから、悪くないなって思った。だって、30歳前後の私自身「食うために働く」ことでいっぱいいっぱいで、さまざまな経験を積む時間というのを持てた記憶がない、というかそんな余裕がなかったからだ。でも、もし300万円もらって「さぁ、いろんな経験をしておいで」って言われても、多分30歳前後の私は行動できないだろう。ということを考えていたら、波に乗り遅れてしまった、というわけだ。

 この1件のツイートから思ったこと、考えたことがいくつかある。だからそれを整理してひとつひとつまとめていこうと思う。テーマは以下の3つ。

1.職業差別の意識

2.行動できない人がいるのではないか?

3.経験と知識

職業差別の意識

 まず「職業差別の意識」。関連するこちらのツイートを見て思ったことだ。

 農家って下に見られることが多い、という一般意見に私も同意する。「職業に貴賎はない」とはいうものの、肌で感じることはある。ということは、私の中にも農業を下に見る意識も、そう見られているんだろうなという意識も、あるということだ。だから肌で感じるのだろう。

 差別というのは、人から生まれてくるものだ。ゼロにすることはとても難しいと思う。それは「差別することで自分を守る人がいるから」ではない。「自分は大丈夫」と思って安心することが、ゼロを遠ざけるのだと思う。

 すごく正直なことを言うと、差別なんてなくならないだろうと思っている。だけど、差別で苦しむ人は減ってほしいと思う。だから、せめて自分だけは「差別の意識」を持っていることを意識しようと思う。焼け石に水かもしれないけど、それでも「どうせゼロにならないから」と放棄するよりいいと思う。

行動できない人

 次に「行動できない人がいるのではないか?」ということ。これは件のツイートを読んで、私はまず「300万円もらっても経験を積むことができず無駄金になる。だから前述のツイートを実行しても、今の段階では半数以上が無駄になるんじゃないか」と思ったのだ。実際私がそうだったからだ。

 生き方や仕事の仕方についての啓発本は、信じられないぐらいたくさんある。私がどっぷりハマっていたスピリチュアルだけって「よりよく生きるためのもの」だ。誰もが「昨日より今日を、今日より明日を、今より未来を、よりよく生きたい」と望んでいるのだと思う。それが具体的に「お金を稼ぐ」だったり、「健康になる」だったり、「いい人になる」だったりするだろうけど、いずれにしても「今日より明日を、よりよく生きたい」からだ。

 で、どっぷり自己啓発系スピリチュアルにハマって思ったことがある。それは、お金と時間をかけて勉強しなくとも、身についている人がいるということだ。それは夫と親友の二人。しかしこの二人が達観し尽くしていて禅の境地というわけではない。ちゃんとそれなりに苦悩もあればストレスもある。でも、ちゃんと「今を生きている」のだ。

 で、煩悩に振り回されている私は、この二人の共通点はなんだろうと考え、行き着いた。「二人とも、大病によって“昔のように“ができなくなっている」のだ。

 頭では、日々衰えることも、もしかしたら事故って死ぬかもしれないことも、病気になって今まで通りにならないことも、理解はしている。でも、経験はしていない。だから今日も好きなものばっかりモリモリ食べてみたり、怠惰で杜撰な日々を送ってみたり、やりたいことを後回しにしたりする。もちろん、前述の二人もそういう日があるだろう。でも、肝心なことは後回しにしていないんじゃないかと思う。そして私は、肝心なことを後回しにしているんじゃないかと思う。

 ということが分かっても、私は多分動けなかったと思う。それは失敗して恥をかくのが嫌だからだ。自信も無くすし自分が嫌になる。自分の失敗を全く許せない。これがすごくあった。

 だから、人の失敗にも寛容になれなかったと思う。まさに「失敗を許せない日本」そのもの。ピリピリして、世間体を気にして、何をするのも人の様子を伺ってから。自分の考えや感覚よりも一般論を優先する。

 でも当時の私は「自分は大丈夫、そんなことない」と思っていた。これが先に「差別の意識」でも書いた、「私は大丈夫」という勘違い。自分で自分を生きづらくしていることに、無意識に人を傷つけていることに、気づかなかったんだと思う。キレイゴトを並べ立てて、息苦しくなっていたのだ。

 かといって、いきなり私が別人になることはない。できることは、コツコツと小さなことを積み上げることだけだ。それを続けるためにも、常に敏感でいたい。だから意識し続けていようと思う。意識にあるのと、ないのと、その違いは大きい。

 こうした、ごくごく当たり前のように感じる「失敗を恐れない」とか「自分は大丈夫と別格視すること」を、自己啓発系のスピリチュアルで身を持って肌で学んだ。少々強引なぐらい、きつい言葉も受けた。でも、そうしなければきっと私は「頭では分かっているだろうけど、あなたも同じ穴の狢なのよ」ってことを分からなかっただろう。だからすごく感謝している(現在は離脱)。

 私のように、わざわざ時間とお金をかけて勉強しないと分からない人たちもいる。プライドが高いとかビビリとかいろんな理由があるけど、とにかく行動を起こせない人はいる。最初に戻るのだけど、そういう人は経験の価値を実感していないから、300万円もらっても経験を積むことができず無駄金になる。だから前述のツイートを実行しても、今の段階では半数以上が無駄になるんじゃないかと思う。

 ではどうしたらいいのか。荒波に放り出す? みんな一斉に勉強する? 私はどちらでもいいと思う。今は選べる幸運な時代なんだもん。大事なのは、許せる余裕を持つことだと思う。自分も、他人も。誰もいきなりマスターになんてなれないんだから。

経験と知識

 やっと最後のテーマ「経験と知識」。

 これはどちらもあって初めて意味が生まれる。この「意味」というのは、超個人的な意味だ。でもその超個人的な意味こそが、多くの人の潜在的な部分に触れる、いわゆる「人を動かす言葉」になるところだ。

 もちろん、人を動かさなくてもいいし、誰かを感動させなくてもいい。自分だけが変わってもいい。それでも、そうした人に触れることで影響を受けることなんてたくさんある。

 そうして、一人一人が自覚を持って「今日より明日が、より良くなればいいな」という意識を持つことは、今の、一人一人の生きづらさを変えていくことになるんじゃないかと思う。それがやがて未来の地球を変えるんじゃないかと、私は思っている。

 ひとつのツイートのおかげで、たくさん考えることができた。だからTwitterはやめられない。ありがとうございます。

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