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神君徳川家康。人と会話をしたがらなかった説。

神君徳川家康といえば徳川幕府の創業者。(見出し画像はウィキペティア狩野探幽作。)彼は「人と話をしたがらなかった説」を検証したいと思います。
検証には『武功雑記』記載のエピソードを活用します。

『武功雑記巻一』国会国立図書館デジタルコレクション2ページ

家康第四子、松平忠吉が尾張にいた時、非常に徳川家康から可愛がられていた。さて、忠吉が、じいちゃんの古い武功のお話を聞かせてください、と、家康にお願いしたところ
別に話は無い聞きたい、という気持ちがあれば良い。」
家康は元来、話下手とのことであった。
(薩摩様尾州に御座候時。権現様御通の刻。御前にて御領分の小刀剃刀などを御供衆へ被遣候。ほどの御心やすき御挨拶にて候。扨古き武功の御話を承奉度と。被仰上候へば。別に御話は無之候。聞きたしとの心底なれば聞かでもよきぞと御意の由。権現様は元来御咄下手と申傳へ候。)

このエピソードによれば、家康、元々話下手だったそうです。

鳴くまで待とうホトトギス

なるほど、確かにペラペラ立板に水の如く喋る徳川家康、っていうイメージはない。そんな家康は嫌だ。どちらかというと、それは豊臣秀吉。

鳴かせてみせようホトトギス

きっと、秀吉なら、相当話を盛って子どもに伝えたことでしょう。
ところで、家康が口が重くなったのは、どうもそれに拍車をかける環境もあったようです。

『武功雑記巻十』25ページ
徳川家康は「かくかくしかじか」と説明することはなかった黙って座っていると牧野半右衛門がよく察して「お茶を出せ」「お菓子を出せ」と指示を出していた。来客時も声に出す前に察して家康の意向に沿うようにしていた。
(権現様はしかじか御言を仰出されず。御吃のやうに御座ありしを牧野半右衛門よく察し奉り。御茶を出せの。御菓子を出せよのと。御客對座の時なども。未形未聲に見聞きして。御意に叶候由。)

牧野半右衛門、めちゃくちゃ家康を観察していたようです!
それも、何を欲しているかを先回りして対応してしまうので、
家康、喋らなくても良くなってる!!
そら、家康口下手になるわけだ。

年取った偉いさんは喋るの面倒になるんですかね?某巨大電機メーカーを創った創業者にも晩年、ほとんど何いってるのかわからないけど、秘書が聞き取ってた、と言う、家康と似た話を何かで読んだ記憶があります。
まぁ、私も、偉いさんのメモ書きが流れてきて、古文書のような文字が書いてあり、それを部下達総出で解読作業をした、という経験がありますが、それに近い。

ところで、この家康、単に口下手だったのか、怪しいところもあります。
意図してあまり話をしなかったのではないか?
その点について、先程の牧野半右衛門のエピソードに続きがあり、蒲生氏郷が証言しています。

証言する人

蒲生氏郷が家康に戯れて言うには、
あんたはどうでもいいことには鈍感なフリして、
必要なことにはめざとい人だな。

とのことだった。
(氏郷権現様に座興に云く。御事はいらぬ事には鈍なる様にして。事にはかしこき人かなと。)

そう、神君家康は、重要な事にしか反応せず、どうでも良いことには力を割かない、と、他人から見られていた可能性が高いのです。
膨大な量の判断を迫られる立場なので、脳の処理能力に極力負荷をかけないようにしていたんでしょうか?
それに、話さなければボロも出ないですし、無駄に人の恨みを買うこともない。
口は災いの元。
それを肝に銘じてきたのが家康だったのかもしれませんね。

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