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空はつながっている

眠れない夜が続いた。

「ウクライナで戦争が起きるかも」
友人からのLINEでそんなことを聞いた1月。
それから少し経ち、あっと言う間に世界情勢は深刻化した。

ひきりなしに更新されるニュースに、感傷的になる暇もないほどの緊迫感。頭が冷静に「これからのことを考えろ」と言っているのは、
真に迫った危機感を感じているからだと思う。何もできないが故だ。

何もできない。何もできていない。
これが私にも事実として目の前に立ちはだかる。

一気に旧時代に戻ったような状況に、戦争経験のない私は、たち戻れる記憶がない。ただ、あまりにも非人道的なやり方は絶対的に間違っている、と強い憤りだけが込み上がってくる。

怒りと、むなしさ。
両方がせめぎ合う中で振り返り思うのは、
この事実の前で私たちは誰と対話するべきなのか、ということだ。
暴力的な力を抑止する力は何か。
自己防衛についてどんな手段をとり、強くしていけばいいのか。

わかるのは、もう同時にあらゆることを考えて、
変容していくことになるということ。
自分たちの意志で正しいものをすくい上げて、
守っていかなければいけない。
そして同じ願いを持つもの同士で手を貸していく。

ニュースでウクライナ人がインタビューで答えていた。
「私たちはロシア・EUから決められたくない。
私たち自身が答えを出したいんだ」
本当に正しいと思う。
場所によってこれだけ正しいものが踏みにられようとしている。
そのためにできることはなんだろうか。

同志でただ平和を唱えるのではなく、
その解像度をあらゆる視点で見ていく必要がある。
もっと広い範囲での関心が必要だ。

平和という言葉はある意味、使わない方がいいのかもしれない。
平和以降の思考を止めてしまうからだ。

けれども強い意志をもって、無暴力の世界を願う。
そのために地球人として、日本人として、
何をしたら良いのか。
横の人を揶揄している場合でも、
このまま少子化を見ている場合でも、
資本主義だけでなんとかまかり通そうとする場合でもない。
(経済は決して悪ではない、ただバランスが必要)

戦争経験者から話を聞き、理解者同志で対話する必要がある。
あらゆる種はまだ残っている。
ひとつひとつでいいので、拾いあげていきたいと思う。
そして次世代へ世界単位で見ることの必要さを話していきたいと思う。

高校生の時に沖縄で社会について九州の高校生が集い語り合う場に
母校代表として参加した。
その時にはじめて沖縄の歴史を知った。地元の高校生から聞いた。
あのとき仲良くなった友人から最後の言葉で「本土の人はあらゆる問題を隅にある沖縄に寄せていること、忘れないでね」と言われた。
そしてその数年後、私は沖縄の本を読み、読谷村のゲストハウスでバイトをしながら嘉手納基地などこの目で見て地元の人たちへインタビューをした。
残念ながら途中で体調を崩して東京へと戻ったが、当時の友人の生の声がなければここまではきっと行動しなかっただろう。

生の声がいかに人を動かすか、身をもって体験している。

お茶は、語り場になる。間接的なことしかできないけれど、
縦軸で横軸でと対話の場をつくる。
それだけでもやっていきたいと改めて考えているところだ。

#NoWar

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