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2024/5/1〜5/31

2024/5/1

朝から仕事、仕事、仕事の1日だった。
自分の判断が通常とは違う早さで行われているのを遠くで見ているような感覚が続いて、落ち着け落ち着けと無理やり意識に冷静さを浮上させて乗り切った。たぶん乗り切れていない。

焦っている時ほど判断が早くなって、早く処理することが第一みたいになってしまうのでそこは違うよねと思い出させて目の前の仕事じゃなくて、自分に舵を戻していったと思ったら最後の最後でやらかしをしていてダメな日だった。

帰り、更新されたfuzkueの読書日記を読む。やっぱりオーブン焼きとリゾットが食べたくなる。

本が読めない日も日記は読めるので嬉しい楽しい。練られた物語とかそういうのが頭に入らない時は日記がいい。

2024/5/2

うつらうつらと現実か夢かの間を行ったりしたりしていた早朝に、朧げな意識の中で5月であることを唐突に思い出す。

5月か、5月、皐月、メイ……、
トトロ?となり、サツキとメイの名前の由来(かもしれない)事実に今更ながら気づいてしまった驚きでそのまま寝た。
ほんまか、トトロ。

休みの朝は最近草抜きばっかりやっている気がして、今日も草抜きから始まった。
雑草の生命力に抗いたい。

草抜きで勢いをつけてお昼に王将を食べに行った。炒飯定食。家で炒飯を作ると火力が足りなくてパラパラにならずで、美味しいものができないので、お店のやつを定期的に食べなくなる。王将の餃子と炒飯がこの世にあってよかった。付いてくるスープも何気に好き。
中華料理がサッと作れる人になりたい。


お腹いっぱいになり、よく行く珈琲屋さんに行こうか迷っていたけど読んでいる本を持ってくるのを忘れて気分が下がって帰宅。
帰ったらもう出かける元気がなくなって家でイベントの作業をする。

必要そうなデータを作って、数日後に迫ったイベントに備える。1ヶ月前ぐらいに動き出してここまであっという間で恐ろしい。どんな場になるのか楽しみ。


諸々ひと段落して「読書の日記: 皮算用/ストレッチ/屋上」を読む。日記を読む日が続く。たのしい。

疲労感が限界になって夕方に寝る。
起きて、寝過ぎた時特有の思考がぼやぼやした感じ。脳が逆に疲労している気がする。

ゴールデンウィークだというのにそれっぽいことはほとんどしていない気がする。世間のゴールデンウィークはもう半分ぐらいは終わってるんだろうか。仕事を挟んでまたお休みがもらえそうなのでイベントも楽しみつつ連休を味わいたい。

5月病、自分がそうなんじゃないかと思った瞬間に罹患しそうな気がして気が気じゃない。逆プラシーボ。

2024/5/3

朝起きていつもよりは寝れたんじゃないかと思ってiPhoneのヘルスケア機能を見たら4時間半ぐらいしか睡眠時間が記録されていなくてさすがに嘘だった。はず。

寝る前に記憶している時間と起きた時間を考えても6時間は絶対寝ているはずなのに、記憶にないだけで夜中にスマホを触っていたんだろうか。機械にも認められるほど健康な睡眠を取りたい。

朝に少し余裕があったので「冬の本」を読む。外国の本も紹介されていて、日本の冬とはどう違うんだろうかと思いながら読み進める。

冬の光についても話されているところがあって、そういえば最近の光は強いなあと感じた瞬間を思い出した。
冬の光があらゆるものの輪郭をぼやけさせるようなものだとするなら、夏の光は存在を強くしていくような、輪郭を確かにしていくようなそんな力強さがあるように思う。
個人的には冬の光のほうが、風景に紛れられるような感じがあって好みだけど。


そうやって本を読んでから仕事。

よく働き帰宅。それからちょっとやらかしたというか、自分の落ち度で迷惑をかけたことがあって申し訳ないという気持ちでいっぱいになってしまった。挽回できるようにしたい。

この年齢になってくるといい加減自分の向き不向きが強く出てくる気がする。それは不向きなことを諦めているだけかもしれないけれど。

なんかそういう自分の至らなさを見るたびに落ち込む。とか、そういうことばかり考えていて今日はもう寝たほうがいいなと思い切って布団に入る。

色んなことがうまくいくような自分をつくりたい。

2024/5/4

寝て起きたら昨日の失敗のことを思い出して心臓の音が聞こえるぐらいに不安というか後悔がすごくて、眠れない時間が続いた。

それでも半ば気絶するように寝ていて、起きたら7時前で朝ごはんを食べる。

こんな調子じゃ仕事に身が入らないぞと思って朝イチでコンビニにエナドリを買いに行く。いざ店内に入ってエナドリの前に立つが、これを飲むことで糖分とか偉いことになっていくんじゃないかと怖気付いてやめた。

何にも頼らずに引きずっている失敗を背負って仕事をする。

なんとか仕事に向かって意識を割いていたら、昨日のことで連絡があって、結局失敗も失敗じゃなくなっていてオールオッケーみたいな感じだった。思わず職場でガッツポーズしそうになって、そうなると安堵で気が抜けて一気に脱力し、そうなると押さえ込んでいた眠気が押し寄せてきて夕方まで意識も絶え絶えで仕事する。

心配事が一つなくなって、帰宅して風呂。今日は寝不足なせいか体温調節がうまくいかなくてずっと熱がこもっている感じ、自律神経を整えたい。

晩御飯食べて「読書の日記: 皮算用/ストレッチ/屋上」の続きを読む。

ふとした瞬間に目の前に来ているものに焦点が合わさった時に、その不安とか恐怖に向かっていけるのかみたいな話が書いてあって、息苦しい。夜寝る前に来る感覚。

普段は意識を割かなくてもいいようなことに対して、何の前触れもなく襲いかかって来る不安とか、そういうものに脅かされないような生き方もいいけれど、それぐらいの怖い感覚がないと生活できない気がする。

恐怖によって奮い立つものだったり、突き動かされるものもあるよなと思う。できれば幸せを原動力に動き出していたいが。

2024/5/5

子どもの日。ゴールデンウィークも終盤。ということで今日は休みの日で、しかも連休1日目だった。ゴールデンウィークが始まった感がある。明日で終わるけれど。

お昼から企画していたイベントがあるので準備しつつ、とはいえ午前中はほとんどやることがなかったので仕事場に行って残りの仕事をやろうかと思ったが思いとどまってやめた。休みたい。

それで朝はだらだらとして、スマホとかを見ていたらあっという間に出かける時間になって半袖で外に出る。半袖でちょうどいい、むしろちょっと暑いぐらいの気温でゴールデンウィークはみなさんこれぐらいの気温の中移動されてるんですか???と目を、というか感覚を疑うような暑さだった。春ってなんだろうか。

それで会場である奈良市に向かい、電車。
奈良市の駅に着いたら外国人観光客がめちゃくちゃ多く、たぶん日本人の観光客も多く、人でごった返していた。奈良がこんなに人で溢れているのは何年振り?というかこんなことあったんか?というぐらいの人混みを抜けてイベント準備。

本を読むための場としてイベントを開き、どこまで人が来てくれるんだろうと不安になりながら、結果的に定員は全く埋まらなかったが数名来てくださり、それだけで嬉しくて涙が出てきそうだった。

集中して本を読んでいるお客さんたち、読者をたのしむ空間を開いているのが自分だと実感すると嬉しいというか感無量みたいな、定員に届かないことの反省は十分にあるがそれでもやってよかったと思わせてくれる何かがあった。この反省を活かしたい。次もやりたい。

会場を片付けて、その後でいつも行っているバーでお酒を飲む。
イベントで手が空いている時から読んでいた「読書の日記: 皮算用/ストレッチ/屋上」の続きをたのしむ。

帰り道、飲み足りなくて買ったハイボールを飲んで、チキンの冷凍食品のやつも買ったけどこれは明日に食べる。

休みを存分に活用した日になった気がする。本もたくさん読めて満足。もうちょっと涼しい5月が味わいたい。

2024/5/6

朝起きて妙に頭と体が重く、昨日お酒を飲み過ぎてしまったか?と思い低気圧の状況を見たら「超警戒」と表示されていて低気圧の日だった。

休みの日だったが今日は朝から仕事を少しだけしようと思って職場へ。着いたはいいけど、自分の席に座った途端「これ、明日にやろう」と全てのやる気を無くしてしまった。低気圧のせいか自分の無気力のせいか、たぶんどっちもだけどもう何もする気が起きなかったので最低限のことだけやって帰る。

帰り道にスーパーに寄り、リゾットの素か、冷凍食品でリゾットのやつを買おうと思ったが素についてはあんまり美味しそうじゃなく、冷凍食品に関してはそもそもリゾットが無くて絶望していた。もうこれからはセブンのチーズリゾットに依存するしかないのか、買いだめしようかなとか思いながら、代わりにパスタの冷凍食品を買って帰る。

昼ごはんにパスタ、ペペロンチーノを食べて昨日のイベントを思い返す。
やっぱりイベントの定員に届かなかったのは失敗で、告知とか、お知らせとかをもっとしておくべきだった。そういうお知らせに対しての感覚が欠如していたので、次回はそこを意識してお知らせしたい。
有名人でもない、特にその地域でいろいろ活動しているわけでも、お店とか企業がやっているわけでもない個人のイベントに数名でもお客さんが来てくださったのが奇跡で、とてもありがたく、それを今度は奇跡にしないような布石を考えるべきだった。


そこから当日の読書を楽しんでもらうための場についても考えていて、もうちょっとこういうところに気をつけたほうがよかったのとか具体的な対策はある程度浮かんでいたのでよかった。

それから場の「余白」についても考えが浮かんで、参加者の自発性、場を一緒に作る仲間みたいな感覚を持ってもらうにはどうあったらいいのだろうと考えていたが、そもそも一回だけ、その場に集まって何かを共に作り上げるわけでもない、各々が個別に行動するような場で、「余白」みたいなものを考えるより、それぞれが「これを守っておいたらいいよね。こういうところは自分なりに気をつけるね」みたいなふうに思ってもらえれば今回のイベントについては十分なのでは?

俺は「余白」を作りたいみたいなことに対して手段と目的を履き違えてるんじゃないか。みたいなそんな指摘が自分の内から湧いてきて、本当にそうで、だから「余白」という自己満足的な思考の部分からはちょっと離れた方が良さそうだった。根本に立ち返ったほうがよさそう。


とか色々考えつつ「読書の日記: 皮算用/ストレッチ/屋上」の続きを読む。

何かを自分に期待してくれていた人が、ただ自分に全てを任せるというか、あなたに任せるんだからそれでいいでしょみたいな仕事の振り方をしたいがために期待されたみたいなことを思い出して、無責任な期待はそりゃありふれているし、ある意味では誇らしいことなのかもしれないけれど、僕はあなたと一緒に責任を負って仕事をしたかったんだよなと悲しくなったことが頭を巡る。自分が面倒くさい。

そこから回復してYouTubeとかを見て、イベント関連でお世話になったかたがたにお礼をお伝えして布団。

ゴールデンウィークは今日がおそらく最終日で、最後の休みを有意義に過ごしたいとか、連休はまだ終わらないみたいなそんな投稿がSNSには溢れていて、10日も休めた人とかは明日から仕事に戻れるもんなんだろうか。低気圧の日だったというだけで全てのやる気が失われる社会人もいるんだが。

でもそういう自分の社会人としての不甲斐なさとは別に、休みが終わっていく中で少しでも思い出を残そうとか、美味しいものを食べようみたいな良い時間を過ごしたいみたいな欲望はとてもいいなと思う。

休みが続くことで最初の一日とか、間の日を気の向くままに過ごせるようなこともいいなと思うし。やっぱり休みっていい。半年ぐらいに年間休日を増やしてもいいんじゃないかな。

ゴールデンウィークまだやれるんだけど、本当に終わるのか。

2024/5/7

ゴールデンウィークが明けて朝から仕事。
どことなくいつもの平日よりは朝の空気がゆるくて、まだみんな仕事とか学校にいつも通り行くみたいな感じじゃないのかもしれない。

休日明けで自分の集中力は大丈夫なんだろうかと心配していたが思いの仕事が進んで、夕方ぐらいまでぶっ続けで作業してひと段落する。

休日明けに仕事をすることの気持ちよさみたいなのが感じられて、これから休日を挟んで毎回仕事させてくれと思う。

帰宅して本を読む。プロジェクトマネジメントの本を読んでいて、抽象的な話が多く(めちゃくちゃ大事なのだけど)、今俺は具体的な手法が欲しいんだよなと思いながらもそれはなぜなんだ?みたいなところが考えられていなくて、目的に沿った本の選び方、読み方みたいな感覚が無くてそれは自分のせいだよな、と思った。
もうちょっと考えながら読みたい。

睡眠不足について自覚があって、だからなのか低気圧だからなのかめちゃくちゃ眠たい。あまり本が読めずに眠りそう。

昨日よりは低気圧がマシなはずなのに身体が不調というか機能減みたいな感じは脱せていない。晴れになれば治るんだろうか。

「『百年の孤独』を代わりに読む」が文庫化されるというニュースを見て嬉しくなる。友田とんさんの本はパリのガイドブックのやつしか読めていないが、噂に聞いているあの本がついに…!という感動がある。今から楽しみ。

ねむる。

2024/5/8

夢の中で小学校とか高校の同級生となぜか大人の姿で集まっていて、あの時の黒歴史的な振る舞いについて同級生の口から指摘されるという地獄みたいな時間を過ごした。
なぜか起きたらすっきりしていておもしろい。

朝、出てイベントでお世話になったカフェへお礼をお伝えしに伺う。
チョコミントラテを頼んで、職場へ。

久しぶりにチョコミントを飲んだら美味しく、こういう口が爽やかになるみたいな飲み物が美味しい季節になってきた。

昼休みに「冬の本」の続きを読む。

自分が冬の本に選ぶならどんな本がいいだろう。「鬱の本」だろうか「さよならクリストファー・ロビン」も頭に思い浮かぶ。

読み進めていて、ふと冬に年が明ける時期が来るというのはなぜなのか?と思う。暦のことはわからないけれど、寒さの中で新年が明けるというのは当たり前のようでとてもいいタイミングだなと思う。
寒さを耐える中で、新しい年を喜べること。
現代においては温かい部屋の中で家族と祝いあったり、初詣に出かけたり、思い思いの年明けを冬の中で迎えられることをいいなと思う。これが夏だったらどんな感じなんだろう。

年明けと同時に海に飛び込んだり、ナイトプールで年越しみたいな文化も生まれたりするんだろうか。ちょっと面白そう。


今日もよく働き帰宅。

5月もゴールデンウィークが明けてあっという間に中旬になりそう。今月もまた楽しみな予定がいくつかあるので楽しい。

2024/5/9

今日はお昼前からとっても天気が良くなって気持ちよい〜となったので勢いであらゆる場所を掃除した。

窓を開けているといつもより涼しい、というよりちょっと寒いぐらいの風が入ってきていて部屋が冷たい。それでも窓から見える景色は、穏やかな晴れの光でとっても気持ちが良くて、洗濯物が風に揺られている風景が心地よい。

今日は家族と会う予定が夜にあったので買い物とかを夕方までに済ませたかったが、掃除とかなんやらをしていたらあっという間に時間が過ぎていてなんなら昼寝までしていたようで起きたら夕方だった。

夜ご飯はピザを頼んでくれていて、久しぶりに食べるピザの美味しさってなんでこんなにうまい?となるぐらい美味しい。

いろんな話をしていて、いろんな心配をかけたり、いろんなことを感謝した。

家族と話している中で改めて気づいたし、先日も人に指摘されたけれど、僕は誰かからの厚意を、その人に負担をかけてしまったという意識にきりかえるところがあるから本当に良くない。

厚意を受けたのであればまずは感謝を述べたいのに、それをごめんと言ってしまう自分の自信のなさというか弱さというか、そういうのが小さい頃からある。なおしたいと思う。

本が読みたいと思うのに読めない日が続いていて、読めないというとできないみたい感じがして正しくないが、本を読む意識まで辿り着けないといった方が適切かもしれない。

好きなものだからエネルギーは使わないと思っていたけれど、それも場合によっては思っていたよりエネルギーを使っている行為なのかもしれない。

最近夢をよく見る。たのしいものから、懐かしいもの、思い出して悲しくなるもの。未来にまつわる夢をそろそろ見たい。

2024/5/10

人生を30年近くやってきているともなると、朝の調子でその日1日のテンションがわかるようになるのだけど今日は何もしたくない、やる気が起きない日になりそうだった。
体がだるすぎる。

それで何かしていたが思い返すと何をしていかわからないぐらい生産性と呼ばれるものがない行動をして過ごしていたらあっという間に昼間になって、お昼ご飯を食べる気力もなくてストックしていたバターロール1個だけ食べた。レーズン入りのやつ。


それで家を出て、職場へ行ってちょっとだけ仕事。
休日でも当たり前のように仕事は発生していて(当たり前だけど)、明日の勤務前にやっておいたほうがいいことだけ片付けて出る。
こういう休みの日に出勤するの、他のスタッフに対してあまりよくないのでやめたいが時間の使い方が下手すぎるので許して欲しい。せめて今月だけは。

今日も昨日と同じいい天気で、違うとすれば気温だけ。暑い。昨日は涼しいというかちょっと肌寒いぐらいの感覚だったのに、今日はもうすっかり夏日で季節に対する信用を無くしそう。

この前開催したイベントでお世話になった本屋さんへお礼を兼ねて本を買いに行く。
「利他・ケア・傷の倫理学――「私」を生き直すための哲学」(著:近内悠太)と「みんなもっと日記を書いて売ったらいいのに」(著:小沼理)を購入。場についてお話しとか相談を店主さんとさせていただき、ありがたい時間。

それからいつも本を読むスタバへ行き、購入した本を読む。「利他・ケア・傷の倫理学――「私」を生き直すための哲学」を読みながら、人間とそれ以外の生物を分ける基準が後悔できることとか書かれていて面白かった。スタバで買ったチャイティーラテとチーズケーキが美味い。ちょっとfuzkueを思い出す。

スタバを後にしてさらに別の本屋へ向かう。降りた駅近くにお肉屋さんがあって、そこでコロッケとかメンチカツを買う人が並んでいて生活がある〜と思いながら横切って商店街を進む。

目当ての本屋さんへ行って、買いたいと思った本「26歳計画」(作:椋本湧也)とかを買う。26歳のことを思い出して読みたい。楽しみ。

夜の予定のために移動して、電車の中で「みんなもっと日記を書いて売ったらいいのに」を読む。こうやって書いている日記を本にして売るかどうかは別として、どこか現実に残るものとして出力しておかないとnoteがいつか無くなった時にこれも全て消えると思うと悲しいよなとは思う。
でもせっかく本にするなら文学フリマとかで出してみたいな。いつか。

目的地に着き、久しぶりにあう後輩とご飯。美味しいご飯とお酒でたのしい。エビの唐揚げがとても美味しく。このエビの風味はエビでしか出せないよなあとかあほらしい感想が出てくる。たのしいね。

泥酔する前に帰り、寝過ごしそうになるのを日記を書くことで誤魔化す。

帰り道にも日記について考える。


2024/5/11

ここ最近感じている気怠さは5月病というやつなのではないかと思い至ってから、十分な理由を得たと言わんばかりに気怠さが体の中に居座っている気がする。早く出ていって欲しい。

昨日のお酒がまだ残っているのか眠気が取れず、朝からぼけっとしながら過ごす。

さすがにこの意識じゃ仕事ができないと思いシャワーを浴びて無理やり意識を起こす。ちょっと思考がクリアになった感じがして家を出て、職場へ。

仕事して昼休み。昨日買った「26歳計画」の続きを読む。26歳の時ってこんなにエネルギーに溢れていただろうか、ほとばしる若さと、停滞をよしとしないその真っ直ぐさと、少しの未来に対する不安が見える文章が元気をもらう。
これは確かに26歳の時に1番読みたいものかもしれない。今読んでも十分たのしいけど。あの時代の自分を振り返るきっかけになる。

夜まで働いて帰宅。
小瀬村晶さんのアルバム「For」がサブスクのおすすめに出てきたので聞くと、とても良く、ピアノの音がやっぱり好きだなと感じる。綺麗。

最近休みが多すぎて生活リズムが不調。集中力の使い所が断続的で、この休みが明けたらリズム良く仕事したい。仕事したい…?
より良く生きていたい。仕事はほどほどにしたい。

2024/5/12

朝から美容院に行く予定があったので早起きして圧倒的な眠気を抱えながら最寄駅へ。

電車の中で「読書日記」の更新分を読む。fuzkueのランチの話が出ていて、自分の家の近くで美味しい定食とか出してくれるお店が欲しいと切実に思う。尚且つ本がゆっくり読めたら最高。

美容院について、いつもお願いしているかたからそろそろ日焼け止めも考えたほうがいいですよとアドバイスをもらって、もう8月になったらやばいということで今日は帰りに日焼け止めを買う、とメモして店を出る。

母の日用のお菓子をお店で買って、さらに店を出る。

帰り道、久しぶりにラーメンを食べたくなって家系ラーメンを食べたけれどとても美味しい。久しぶりにラーメンを食べると生きるたのしさを実感する。家系ラーメンは健康を犠牲にして美味さを等価交換している感覚がある。

帰りにドラッグストアに行って日焼け止めを買うはずが欲しいやつがなくて帰る。Amazonで漁りたい。

母親に会って買ったお菓子を渡して、帰宅。

右足が痛い気がしてストレッチ。
夕方になってCRカップを見る。スト6。

めちゃくちゃ熱い試合ばかりで思わず扇風機をつける。
応援したチームは惜しくも敗退してしまったけど、ゲームの面白さをこういう時は自分がやっていなくてもとても感じる。

格ゲーは子どものころにゲームセンターでやっていたら周りの大人が怖すぎてやめてしまったので、久しぶりにやりたい。

2024/5/13

昨日から嫌な予感はしていたけれど、案の定朝から雨で、職場に着いて途端に頭痛に悩まされる。頭痛薬を持って来ておらず失敗。

午前中はだから頭の痛さと付き合って仕事して、午後からはちょっとマシになったのでもりもり仕事。いろいろいい感じに進んでいってよかった。


帰宅して晩御飯食べ、「読書の日記: 皮算用/ストレッチ/屋上」の続き。読書の話が続いていて、読まれている本が気になる。良い本を教えてもらった感じがして嬉しい。たのしい。

悪意なく他人を無理にさせるというか、落とすみたいな人たちがいるよねみたいな1文があって、そういう人、いますみたいな共感というか思い出しがあった。
自分が無理だったからとか、諦めからくる咄嗟の言葉みたいなのが横にいる人から吐き出される時には耳を塞ぎたいと思うし、なんだようやってやるぞみたいな気持ちが湧き上がってくる、のであんまり気にしてはいけれど、自分が疲れている時に咄嗟にそういう言葉を吐きそうになっていることもあって、それはめちゃくちゃ気をつけたいとも思う。

ちょっと読んで今日の分は満足し、2回目を見たかった中之島美術館でのモネ展は先週ぐらいにもう終わっているらしく、だから1回目の時に買っていた図録を読んで気を落ち着かせる。
「プールヴィルの崖、朝」がやっぱり1番好きで、色合いといい、筆のタッチといい、何より風景が最高で許されるなら家に飾ってずっと眺めていたい。

何かもうこういう画家の人たちが描く作品については絵が上手い下手とかじゃないところに価値基準が生まれていて、相性というか感覚みたいなところに大事なところがある、気がする。


本読み、図録を眺めて、最近買って来たココアの粉末スティックを牛乳に入れて作ったやつを飲んで、早めに布団に入る。低気圧が帰ってきたのか、また若干頭が痛くなってきて早めに寝たい。

「正反対な君と僕」の最新話が更新されていて、なんとかアプリを起動させて読んだら久しぶりの主人公たちでかわいい。漫画も紙のやつでちゃんと買おうと思った。

2024/5/14

夢の中で海の上を走っている電車に乗っていて、それがやけにリアルで一緒に乗っている人から「水しぶきに気をつけなきゃね」と言われて、確かにと思って、それで窓から顔を出して海を眺めていたらあまりにも綺麗で目が覚めた。

実際は海上に線路を引くなんて難しいし、近くでも錆が出てしまいそうで危ないんだろうけれど、風景を見るための乗り物があるといいなあと思う。風景を移動するバスとか電車とか、欲しい。

年を経るごとにというか、新しい経験をするごとに初めての新鮮さとか驚きは消えていって2回目、3回目にはそういう感覚は0にどんどん近くなっていく。

そういうことを悲しく思っていた自分が確かにいたことを思い出して、でも今思えばそれだけ生きている間に体験を積み重ねていることの証でもあって、そんなこと言ってもまだまだ自分には味わったことない感動が溢れている。そういう事実にこそ目を向けたいと、今日の晴れ模様を見て思った。

雨の後の晴れは何度も見慣れているが、いつ見ても気持ち良い。

職場へ向かう途中の朝の道は日差しが出ているけれど、暑さを和らげるような涼しい風が吹いていて心地よい。そのままの気分で退勤まで終えたいと願いながら仕事始め。

水筒の閉め方が緩くてリュックがお茶びたしになっていた、朝の心地よさ貯金がなければ悲しいところだった。リュックがお茶の匂いで塗れている。悲しい。

昼休みに、持ってきていた「利他・ケア・傷の倫理学――「私」を生き直すための哲学」を読む。

「利他」と「ケア」の違い、「道徳」と「倫理」の境界線について書かれていて面白い。

経済学者の宇沢弘文が唱えた自動車の社会的費用の論に触れられていて、そんな考え方で費用について論じられているのとてもいいな、優しいなと思って嬉しかった。

抽象性が高いテーマだけれど、どんどんといろんな考えを参照しながら深まっていく感じがして読んでるとたのしい。

仕事を終えて、週末にあるちょっと普段とは違う仕事に備えながらいろいろ進む。

仕事の一環でお話していたかたに親切ですねと言われて恐れ多くて、それはあなたの話す姿勢や、こちらが提案したことに対して耳を傾けて、対話してくれることに対して敬意を払っているだけで、そう感じてもらえるようなことはたぶんなにもできていない。けれど褒められた気がして嬉しい。

なんとか仕事を終えて帰宅。

お腹が減っている時に限ってYouTubeで大食いのやつとか、料理をつくる動画を見てしまって自分から苦行を味わっている。

フィッシュ&チップスが食べたくなってきた。

2024/5/15

繰り返し夜中に起きていた状況で朝起きたら眠気はないけれど頭がぼーっとする状況だった。まずい。

昼までいろいろやることがあって働き、昼からは週末に向けた準備をやってから、やることはいっぱいあったけれどほどほどにして、自販機でコーヒーを買ってなんとか乗り切った。

帰宅してTRPGの動画をYouTubeで見て面白く、半年前か1年前ぐらいに後輩たちとやったTRPGがたのしかったことを思い出す。ゲームマスターとか、テーブルマスターとか、そういうゲームを回してくれる人の力量も結構大事なんだろうなと動画を見ていてわかった気がする。
またやってみたい。

本が読みたい気分が高まっている。明日は時間とって本を一気に読んでいきたい。

2024/5/16

起き時から窓がドンドンみたいに叩かれているような音がしていて、え、こわと思いながら布団の中でくるまっていたらどうやら風の音らしく、え、やばと寝ぼけながらもう一度寝た。

2度寝して起きて、風は相変わらず激しく家全体を殴っているような感じがして恐ろしく、恐らしがりながら朝ごはんを食べた。
今日は昨日から引き続いて無性に本が読みたく、部屋掃除してから歩いて20分ぐらいのところにあるコメダ珈琲へ向かう。

外出て、風がめちゃくちゃ強く、台風では?と気になってX(旧Twitter)を除いたら台風並みの風、みたいな投稿があって共感して満足して風で息ができなくなるぐらい強くて気力が一気に削がれる音がした。

それからどうにか気持ちを振り絞って風が吹き荒ぶ中、超相対性理論を聞きながらコメダへ歩く。パーソナリティーの3人がそれぞれにおすすめしたい本をテーマに良い本を紹介し合っていて、その雰囲気がとても良くて嬉しい。風がめちゃくちゃ吹いていて、遠くに自転車を漕いでいる人を見かけて心配になる。全然前に進んでいなくて応援していた。転けないように気をつけて。


エールを送りながらなんとかコメダ珈琲についてドリンクを頼んで「利他・ケア・傷の倫理学
――「私」を生き直すための哲学」と「読書の日記: 皮算用/ストレッチ/屋上」を取り出して読む。

「利他・ケア・傷の倫理学――「私」を生き直すための哲学」の本は、思考のプロセスをそのまま描いているような感覚になる程展開がリズム良くてたのしく読み進める。

「偽善」と「ケア」の違いみたいな話から、「心」はどう捉えるのかみたいな話があって面白い。「信頼」と「社会不確実性」の話が個人的には興味深く、この人は「信頼」できるのかみたいな状態から「信頼」状態?に移行して関係性を築いて、そこからまた「社会不確実性」が高まった関係性は改めて「信頼」を感じる状態に戻ってこられるのかということを考えている。

帰り道、風がまだまだ強く吹いていている中で空に白いものを見つけて、それがビニール袋のようなものだと気づく。そのまま高く巻き上げられていって、なんかの建物のほうに向かっていった。

帰って「読書の日記」の続きを読み、フグレンみたいな場所、地元にも欲しいなと思う。欲しいと思うお店は大概東京にはあって、東京にも住んでみたいなと時々思う。一生住みたいとは思わないけど。


本をよく読んだ日で、風に怯えていながら過ごした日だった。

2024/5/17

朝、用事を済ませてから職場へ。
明日にある仕事に向けて準備とか、そのさらに先にあるものにむけての手配とかでいろいろとやる。

体力尽き果てて帰る。
無性にビールが飲みたくて、でも我慢してなんとか耐える。
20時を過ぎて帰る時はご飯もなにも食べないようにしているので、いつも夜になると元気がない。

空腹度と元気度が綺麗に比例していて、人にはカロリーが必要なんだと思い知らされる。

最近読んでいる本の影響か、誰にでも言われたくないことがあるし、意識していなくても人に言われたことで変にスイッチが入ったり、嫌な思いにつながったりすることがあるんだから言わなくていいことというのをもっと意識するべきなんじゃないか、俺はそれをやれているのかとかネガティヴなほうに思考が向かっていく。

それを止めるためにYouTubeで大食いの人の動画を見たりして気を紛らわせる。さらにお腹が減る。早く寝たほうがいい。

Netflixで見たいものが溜まってきたので、どこかで一気見したい。映画を見ながらお酒を飲んで、フィッシュ&チップスを食べたい。

明日の仕事に備えて本当に早く寝る。空腹のまま寝るのも慣れてきた。

2024/5/18

寝起き。寝不足。2度寝を試みるも失敗して、眠気の残るまま仕事。

小さな苛立ちと、脳の疲労みたいなものがずっと頭に居座っていて健康的じゃない。
午後から割と大事な仕事があって、でもその居座っている不健康なやつのおかげ?せいで普段なら感じる緊張が現れない。
なんとかいけるんじゃないか、みたいな楽観というか、もうなるようになるだろうみたいな諦観とが同時にあって、やはり健康的でなく、まともではない思考がある。

午後の予定もなんとか終わり、結果だけ見ればまあまあな感じでひと段落して帰る。

夜からの予定に備えて少し寝ようかなと布団に横になったら無意識でスマホをいじっていて、「読書日記」の更新分を読んでいたら目が覚めて、もうこの状態でいくしかないと覚悟を決めて家を出る。

電車に揺られて目的地に着く。早めに着いたので本屋でBRUTUSの「一行だけで。」特集のやつを買う。気になっていたやつ。約束の時間になるまでカフェに入ってさわりだけ読んでいるととても面白く、短歌とか、歌とかには積極的に触れてこなかったけれどもっと読みたいと思う。

友達との約束の時間になり、ご飯。刺身と日本酒が美味しい。たのしい。いつも何を話したか忘れてしまうけれど、それだけ楽しかったということなのだろうと思う。

帰り、酔っていてたのしい気分。明日も仕事があるのが嘘みたいで、嘘であってほしかった。

ここから連勤カーニバルなので頑張りたい。

2024/5/19

昨日はご飯食べた後に帰り道、祭りっぽいイベントがやっていたのでそこでかき氷を食べた。今年初めてのかき氷。夏が始まった気がする。気のせいということにしたい。まだ春にしがみついていたい。

お酒の力を借りてもなかなか眠れず、だから今日も眠気が取れないまま朝になって、思考がどんどん鈍くなってる感覚がある。

朝からいろいろと働き、おもしろいこともたくさんあってちょっと元気になり、残業が確定したところで今日はもうだめかもしれないとなる。

昨日買った「一行だけで。」特集のBRUTUSを読む。歌とか俳句とか、詩とか、なんかそういう叙情が含まれたものに対しての喜びみたいなものが湧き上がる。

「海」という言葉に対して、目の前に「海」という言葉が書かれている、だけではなくその言葉、文の中で描かれる「海」が頭の中に現れた時、その言葉たちを享受できる嬉しさみたいなのがある。

昼休みが終わってそれからまたいろいろやり、残業して夜。

昨日の夜はとても楽しいなあ、よかったなあという気持ちがあって、そう言えば今日文学フリマやってたんだと情報にのまれて、文学フリマ行きたかったという悔しさに変わる。

文学フリマに出すためにZINEを作ると決めたはずなのに何もできておらず、今年中に作り切れるのか怪しくなってきた。たぶん無理かもしれない。諦めない気持ちもある。

創作意欲に溢れた人たちの即売会には行ってみたいし、絶対好みに合う作品があるし、買ってその人の創作活動に貢献したいという意識が出てきて帰る。

朝から降っていた雨は夜になって勢いを増していて、靴がびちゃびちゃになる。
ヨルシカの月光浴を久々に聞き、suisさんの歌声を新鮮に感じる。やっぱりこの声が1番好き。

街灯の光を浴びてビニール傘に落ちてきた雨が照らされて、それが歌と混ざって記憶にこびりついていくのを感じる。

とか思っていたら帰宅。眠た過ぎて布団に寝転びたいのを我慢して、寝る前の準備のあれやこれやを済ませる。

今日こそは早く寝たい。

2024/5/20

この日記を書こうと思ってタイトル入力をしていたらいつのまにか5月も3分の2が過ぎているみたいでとんでもなかった。5月はいろいろあったが、まだ残っているのかみたいなそっちの驚き。まだ3分の1も残っている。長い。
こういう感覚は久しぶりだったので驚く。

最近続いていた寝不足感は寝て起きたらちょっと緩和されていた。人間には睡眠が大事だということを痛感する。安眠グッズが現代人にとった需要があるのも頷ける。

最近、人と話す時に「俺は〇〇だと思っているから〇〇だと言いたい」とか、「それは〇〇だから自分が悪いごめん」みたいな自分の思考の過程を相手に伝えて言葉の齟齬が無いように努める癖があって、歳をとるごとにどんどんコミュニケーションが下手になっている気がする。

 

若干の眠たさを抱えて家を出て、朝から働く。

昼休み、本を持ってくるのを忘れて、スマホでnoteを見、人の日記を読んでいた。

noteを通して人の生きた記録を読んでいると現実感というか、自分の人生とはかけ離れた人生を読んでいる良い意味の他人事感、物語みたいな感覚があってたのしい。


働いて帰宅。

「読書の日記: 皮算用/ストレッチ/屋上」の続きを読んで、失われた言葉はどこに行くのかみたいな記述があり、言葉が失われるシーンに思いを巡らせる。

呆然として言葉にならない、言葉に出すことが苦しい、話すことが嫌になる。そんなこと、そんな場面。

その時巡っていた思考とか感情、生み出されていった言葉は体の中で消化されていくのだろうか、それともいつか吐き出されるのを待っているんだろうか。
自分の中には、そんな言葉があるんだろうか。
ありそう。

とか思っていたら眠たくなってきて、ずいぶん早めに布団に入る。

超相対性理論の続きを聞く。ホースコーチングの話。馬と一緒にいろんなことを体験する3人のお話、気づきとか、お互いに対する信頼感が伝わる感じでたのしい。関係性がよい。

これは早めに寝られるかもしれないと思ったら、より眠たくなってきたので思考と体のモードを無理やり睡眠にするために、無になりたい。日記だけ書いて早めに寝る。

2024/5/21

朝起きるたびに寝不足が解消されている感があってうれしい。iPhoneの言葉を信じるなら、今日は7時間ぐらい睡眠を取れたとあって、健康的な時間で、これぐらいの睡眠は自分に必要だと改めて再確認する。よく寝た。

そこから朝はちょっとだらだらして、本読んだり、Netflixを見たりして過ごす。

昼前ぐらいから職場に行って、1日色んなやり取りをしたり、なんかやったり、電話したりされたりであっちゃこっちゃな1日だった。珍しい。

夜まで仕事が終わらず残業して帰る。

ここ最近の忙しさのせいなのか、悲しいとか、怒りとかみたいなそういう感情がどうも薄いというか、あんまり感じられず、実感と心になんだか差がある気がする。


いつもだったらもっと落ち込んでるのに、今回は何故かあんまり気にしてないみたいな。

メンタルが図太くなったのだろうかとも思うけど、なんとなく違う感じがして怖い。ぶり返しみたいなことが来そう。

連勤につぐ連勤だったので明日終わったらゆっくり休みたい。本を買いたい。

2024/5/22

連勤が終わってほっとしたのか急に力が抜けて、帰ってすぐに寝て、起きたら体が泥に浸かったように鈍くてねむい。

ここ最近続いていた忙しさというか、気を配らないといけないことがとりあえず落ち着いた。新しい懸念は生まれたがそれはそれで、休み明けの自分に託して今は目の前の休みに集中したい。休み明けの自分にエールを送りたい。
がんばって。

このまま石になってしまいそうな体を無理やり起こして、カラカラになった喉を潤すために冷蔵庫からお茶を飲む。心なしかいがいがする。そうして晩御飯を買いに行こうと思ったけれど、帰って汗ばんだまま寝てしまって気持ち悪くて、お風呂に入ることにした。

幾分かお風呂に入った後は精神的にもスッキリしていて、そこから弁当屋さんに行ってカツ丼を買って、帰りのコンビニでハイボールの缶を買って帰る。

fuzkueの読書の日記を読むとたまにカツ丼が出てくるので食べたくなっていたのもあるし、単純に何か自分の苦行に勝利というか抜け出したことに対して祝いたくなったのでカツ丼だった。
お酒も久しぶりに飲むなと思ったけど、この前友達と一緒にご飯食べた時に飲んでいて、全然久しぶりではなかった。記憶の時間軸が都合が良過ぎて面白い。

晩御飯を食べて、読書しようと思ったけどアルコールが体を巡るのが早く、酔い、眠くなってきたので早々に布団に入りそうになる、のを耐えて寝る前の準備を済ませる。

そろそろ図書館に返さないといけない本の期限が近づいているので読まなければならない。図書館とかで借りていると、読む気にあまりなれない。やはり身銭を切って購入するほうがありがたみがあるんだろうか。

明日は本を買いに行く予定があるのでたのしみ。

2024/5/23

お酒を飲むと夢を見る。

昔仲良くしていた人と、最近知り合った人たちとなぜか修学旅行に来ていて、旅館に着いてどったんばったん大騒ぎする夢。世界が漫画っぽいノリで進んでいって、たのしい気分だった。

起きて、昨日の夜に「明日は買い物に行って、本買いに行くぞ!」と意気込んでいたにも関わらず起きたら全てのやる気を失っていて、しかも昨日より暑くてもうなんなん?みたいな感じでくさっていた。

朝ごはん食べ、ちょっとだけ筋トレして、寝て、YouTube見て、わずかに仕事のことが頭をよぎって、で、気づいたら寝ていて昼前だった。気が抜け過ぎている自分が愚かで、愛おしかったがさすがにこのままいくと出かけられないぞと奮い立った。奮い立つことが最近多い気がする。

お昼に余っていたパスタがあったので、ペペロンチーノを作って食べる。にんにく美味しい。

そして朝にやるような身の回りのことを昼過ぎになってようやくやって、出る。

曇っているはずなのに暑く。蒸し暑さみたいなのがある。梅雨?春終わったと思ったら、もう梅雨?みたいに何も信じられず、でもなんかエネルギーみたいなのがあってよい。

いつもの本屋に行って、この前読んだBRUTUSの影響で「現代短歌パスポート1 シュガーしらしら号」(版:書肆侃侃房)と「サンドイッチブルース」(著:森田三和)の2冊を買う。

店主さんとBRUTUSの話になって、「一行だけで。」の特集良かったですよねと言い合った。編集が良いよねという話をしてもらい、完全に読者というか消費する側の視点でしか見てなかったと思った。面白い。

それから気になっていたお店に行って、初めて行くけどとても雰囲気が良くて、カフェ見たいな、本屋みたいな空間の中でビールとシフォンケーキを頼んだ。シフォンケーキとバニラアイスの組み合わせが甘くて美味しい。なぜ俺はこの組み合わせでビールを頼んでしまったんだろうと思いながら「読書の日記: 皮算用/ストレッチ/屋上」の続きを読む。

読むたびに、fuzkueの静けさとか、本を読む人に対する尊敬というか、fuzkueという場が保たれるためにどんなことが試みられていて、どんな気持ちでいているのか、そんなことが感じられて苦しいような、読んでいて面白いみたいな複雑な感情になっている。

そこから歩き、お酒をもう少しだけ飲みたくてお世話になっている日本酒バーに着く。
夏っぽい日本酒が入っていていただき、爽やかで美味しく、美味しいお酒を飲めるってたのしいなあと思いながら日記を書いていた。

ほろ酔いで気分が良くなってきて帰宅。

上を向いて歩いたらやたら月が綺麗で、満月?と思って立ち止まって検索したら「フラワームーン」というらしい。月に対して色んな呼び名ができていて、可愛くてよい。

朝に感じた自分のやる気がない中で、終わりよければ全て良しみたいなそんなご機嫌な午後のおかげでよい1日だった。読む本がどんどん溜まっていく。

2024/5/24

お酒を飲んでも夢を見ずに、寝苦しくて夜中に起きて結果的にあんまり寝れなかった。

寝不足の頭でも意識は結構覚醒していて、昼から行きたいところがあったので電車。

車内でnoteを読んでいたら「呼びようのない暮らし/星野文月・有吉宣人」の記事を見つけて読む。

タイトルに惹かれて読み。読んで、パートナーシップということを目的に正面から提案して、それをちゃんと考えて受け止めて、今とは違う関係で一緒に生きることを選択することが凄まじくて、何よりこういうことを共有できる元々の関係性が素晴らしかった。

それから目的の駅について、お昼ご飯の時間帯なのでCoCo壱。久しぶりのCoCo壱。愛しのCoCo壱。

CoCo壱のトッピングに気づいたというか、初めて頼んだのは社会人になってからで、それまでなぜかトッピングを頼むことの恥ずかしさみたいなのがあり、スタバのカスタムを頼むのとぐらい同じ恥ずかしさに悩まされていたが、勇気を出して頼んだら革命が起きた。

ほうれん草とチーズのトッピングを頼んで、パリパリチキンのやつを食べる。美味しい。優勝してしまった。あまりにもうまい。
スパイス味の強いカレーも好きだけど、こういうドロっとしたカレーも好き。

お昼ご飯は満足で、そこから本屋。ノートを買い、そこから人にあげるお菓子を買いに行く。行ったのはいいものの、実物で見るとあんまり好みのものがなく、渡したい人もこういうのは好きじゃないかもと思って、お菓子の店舗が集まっているフロアを後にする。

別のところを探そうかと思って、でもまだ先の話だからそんなに焦らなくてもいいかと思い近くのカフェに行く。

noteの創作大賞に応募する作品を作ろうと買ったばかりのノートに書いていくんだけど、なんか違う?こんなもの誰が読みたいんだ?文章がもっちゃりしていて展開がもたついてるけど?何を描きたいんだっけ?みたいな疑問が頭の中で渦を巻いて、支配されていた。

ちょっと、これは今日は書く気分じゃないかと思って早々にやめてしまった。夜の予定まで時間があったので「読書の日記: 皮算用/ストレッチ/屋上」の続き。もうすぐ読み終わりそう。

めちゃくちゃ読まれて、あっという間に時間は過ぎて、待ち合わせの寿司屋に向かう。寿司、回転するやつ。

お祝いみたいな場として行って、お祝いが回転寿司でいいのかみたいなことを聞いたけど頑なに回転寿司を希望されたのでそこになった。

回転寿司はサイドメニューが充実していてたのしい。美味しい。

お酒もちょっとだけ飲み、お寿司もなんか久しぶりに食べた気がする。こんな物価高の中で回転寿司は相変わらずリーズナブルで、そこそこ美味しく、ありがとうという気持ち。

いっぱい食べ、飲んで、お祝いして、それから帰る。

ここ1週間の出かけている頻度がすごいので、反動で引きこもりたい欲が出てきている。家から出ないことの過ごしやすさと、1日の終わりの寂しみたいなのをもうすでに感じてる。

2024/5/25

3日連続お酒を飲んだ後の朝は思いの外気分が良くて、いい連休だった。
朝ごはんに米と目玉焼きと、残っていたおかずとキムチを食べる。

キムチに最近ハマっていて、ご飯を食べる時は必ずといっていいほどキムチと一緒に食べている。美味しいキムチを研究したい。

朝ごはん食べて仕事。

今月は休みが続いたり、連勤が続いたりとリズムがとりにくくて、休み明けの仕事はどうにもエンジンがかかりにくい。

昼休みに持ってきた本を読む前に、ポッドキャストで朝相対性理論を聞いていたら「人はなぜつくるのか」というテーマがめちゃくちゃ白熱というか色々な方向で議論されていて面白く、気づいたら昼休みが終わっていた。本は読めずじまい。

仕事終わって帰り、帰ってから仕事で悩んでいたことがハッと解決に向かうアイデアが生まれて、タイミングがいいのか悪いのかわからない。

超相対性理論で話されていた「人はなぜつくるのか」という問いに対して、答えは出ていないけれど、話されていた「現実と理想との不一致を埋める」みたいなことが自分の考えと近いなと思う。現実にないからこそ、モノであれ、概念であれ、それを生み出したいという衝動が生まれるんじゃないか。カタチあるものも、ないものも人間(あるいはそれ以外の意識あるもの)によって、何らかの目的の下で世の中に産み落とされる。その目的、目的ではなくても衝動が、現実を見ている中で意識に起こってくる不足から成り立っているんじゃないかと思う。

まだ全て聞き終わっていないので、ここを聴き終わってもう一度考えたい。

こんなコンテンツがあるから自分の頭で考えるきっかけをもらっているけれど、とことん自分は1人で思考を続けたり深めたりすることが苦手だとわかったので、超相対性理論のお三人のように月一ぐらいで複数人で集まって一つのことを議論する時間が欲しい。興味のあることについて思考を広げたり、深めたりする機会が欲しいなと思う。

お腹が減ってきたので早く寝たいのに、寝たい時には目が覚めてしまって寝れない。

スイッチのオンオフのように、意識してすぐに睡眠に入れる体が欲しい。不健康になりそうだけど。

2024/5/26

休日。

今月の休日日数がかなり多い気がするが、勤めている日数もまあまあ多い気がするのでワークライフバランスセンスが崩れている気がする。バランスとセンスが並んだ時の頼りなさ。

晴れの日だったので早起きして洗濯して掃除しての時間の後、本を読もうと思ったがスマホを眺めていたらあっという間に昼間で、あわてて昼ごはんを買いに外に出る。

近くのスーパーで切れていた生活用品とかを買って、ついでにハイボールも買って、お昼ご飯を食べる。

帰って「利他・ケア・傷の倫理学――「私」を生き直すための哲学」の続きを読む。

心のありか、共通認識として持っている「心は目に見えない」みたいな価値観から疑って、ケアと利他の話。言語ゲームの話まできた。

そこから「読書日記」の更新分が布団の上で読まれる。日記の本はスマホから寝転がって読んだりするのが1番気楽で読みやすい。

まあまあごろごろして、休息を取った夕方までの時間。お風呂入って晩御飯食べ、ハイボールを飲む。

仕事でやっている企画の振り返りとか整理をやってしまおうかと思ってNotionを初めてPCに入れて使って、色々テンプレ?Slackでいうところのチャンネルみたいなのを整理していたら時間が過ぎていって本来やりたかったことが何も終わらず、酔いが回ってきてもういいやとなる。

最近は海の近くに住みたい欲が強くなってきているのを感じる。海のありがたさは十分に感じているし、怖さに関しては日常の時も災害時のことも想定はしているが、確実に想定不足であるのだろうし、実際住んでみてからの苦労みたいなのもあるのだろうけれど、瀬戸内海のエリアに惹かれている。

今までの人生はほとんど関西で過ごしてきて、これからどこで暮らしたいかと考えたら関西から出るのも選択肢としては十分ありで、それは今の自分しか出てこない選択肢だよなと思うので迷う。

キャリアについても考える時間を作って、選択していきたい。

2024/5/27

ポト、ポト、ポト。
雨が降る音がゆらゆらとする意識に入ってくる。窓の外、雨が降っている中でいつも鳴いている鳥の声が聞こえて、雨の日特有の気だるさが一気に体に染み渡って出ていきそうにない。

とか寝ぼけた頭の中で考えていたらあっという間に出る時間になりそうだったので慌てて起きて、朝ごはん食べて職場へ。

昼休みに「利他・ケア・傷の倫理学――「私」を生き直すための哲学」の続き。
「叱る」と「ケア」の話。面白くなってきてどんどん読み進める。
「ケア」は「あなた」から始まる。「あなた」とは「他者」で、「自分」から始まるところにケアはない。みたいなこと。

一度止んだ雨がまた降りそうな天気になり、時間になったので帰る。

帰ってケアの話の続きを読む。
どんどん読み進められて、続きはまた明日ということで次は「正反対な君と僕」の更新分を読む。

平と東、君たちそんな顔もできたんか。高3、青春、悩むことが多いなと、自分を振り返って思う。そんなに悩んでなかったかもしれない。

日記を移動というか、noteに書くことを一旦やめようかと思っていて、「しずかなインターネット」に場所を変えようという気分になってきた。

noteで書くことは楽しいけれど、やっぱりSNSの色が強くて、もうちょっと自分に集中して日記を書きたい。そんな真剣に日記に向き合っていたんだっけか?となるが、一度試してみたいのでやる。

しずかなインターネットはエディター画面のところで、「ムード」という機能が選べて、画面と音声が切り替わって書くのが楽しくなる。スマホからでもできるようにしてほしい。

冬は寒いところに温かいものを食べたり、暖かい部屋に入ってホッとするのが心地いい感じだったけれど、夏にはそういうホッとするという感覚とか、寒さで感覚が鋭くなるみたいな時間がないので、やわらかくなるタイミングがなくて難しい。


明日のほうが雨は降るらしくて、台風がいよきよ近づいてきているらしい。雨、靴下がびちょびちょになるのだけはやめてほしい。レインシューズを買う時が来たのかもしれない。

2024/5/28

頭からつま先まで全身重力の影響を受けている感覚が強くあって、いつもより体が重たい。

雨がざあざあと窓の外で降っていて、昨日よりも激しい、多い雨の音。
低気圧。
だけではない、体の気だるさと微熱みたいな感覚があり、体温計で熱を測っても平熱。36.4℃。

僕の体に何が起こっているんだ…となりながら朝ごはん。出社。

職場に着いて、苦しいお知らせがあり。

顔には感情を出さないように努めて、冷静に今からやることを頭の中で思い描こうとしたら思考が全然働かず、出力先をPCにすることでなんとか洗い出す。

重力。光は重力によって曲がるらしいという論文か、ネットニュースか、なにかそんなのを見たのを思い出して、体が重い、重力。
これからの未来、希望みたいなのが、重力で曲がっていく。そんな落胆。


気分の落ち込みがずっと続いて、昼休みに本を読もうとしても身に入らず、もう本当にこのまま帰りたいみたいな気分にここ数年で初めてなったかもしれない。それは嘘か。


体の不調も相まって、低気圧もそれに加わって一日中しんどさが溜まっていく日だった。

避けたいこと、嫌なことは自分の不始末のせいで連続でやってくるみたいな感覚。
機をうかがわれていて、今だ今だと攻め込まれる。
戦後時代の城主になった感覚。それも嘘だった。


なんとか耐え切って帰宅。

仕事のことは一旦忘れて、日記の移行作業。
しずかなインターネットへと今年からの日記を書き直す?移している。
やっと1月分が移し終わって、作業の遅さに絶望している。今月までに5月までの日記、移行できるんだろうか。

移行しなくてもいいっちゃいいのだけど、せっかくつけた日記だし、どうせなら見返せるようにしたい。このタイミングでZINEにまとめるのもあり、けどデザインにまとめていくのが億劫すぎて選択肢から外れる。やっぱりインデザインを買うべきなのか。

昨日noteに日記をしずかなインターネットで書きますと、わざわざ投稿したことを振り返って1人でウケていて、誰かに見られることを目的としていないならわざわざ言わなくてもとは思ったけど、読んでくれている人がいて、いきなり何も言わずにnoteに日記を書かなくなるのも、なんかあれじゃんと思って書いたのだった。

なんだかんだ書いた日記を読んでもらいたいんだろうか。それは、日記としての日々の俺の言動を見て欲しいというよりかは、創作物としての日記を読んでほしいという欲求なんだろうか。

そんなことを考えていたら眠くなってきて、今日はいつもより早く寝ようと思って、頭がぼーっとしてくる。大抵の健康問題は睡眠で解決できる。はず。

寝る前に葛根湯を飲んで布団にくるまる。寝る。

2024/5/29

昨日の雨が止んで、山に近いこのまちには朝から霧が若干立ちこめていて、雨上がりの朝、気分よいね。

相変わらず体に重みがあり、眠気もあり、喉も若干痛い。体調不良三拍子という感じで不調。

ヨルシカの新曲「ルバート」が配信開始になっていたので聞きながら出勤。

「ブレーメン」みたいな感じで楽しい。

昨日の悲しみが体調不良と同じで消えず。
そんな感じで1日仕事をしていたらあっという間に終わって、心ここに在らずという感じです過ぎていった。

帰り、シャワー、晩御飯、歯磨き、洗い物、布団。

何かやらないといけないことを忘れている気がする。最近ずっとしている。どこから来るんだろうかこの気持ち。

うつらうつらとしていて、昨日は早く眠れるかと思いきや全然寝れず、結局日付を跨いでしか寝れなかったのでリベンジしたい。
21時前にもう布団に入っている。

今日こそは早く寝たい。
体調を早く治したい。

2024/5/30

朝起きたら体調がほとんど戻っていて、葛根湯の偉大さを思い知っている。

あとちょっと、この体のリズムを取り戻すためにはスパイスで作られたカレーを食べたいと思い、昼にはカレー屋に行こうと決める。

ちょっとだけ生活を整理しようと思い立って、Notionで家計簿をつける。給与、貯金、家賃、生活費、本代。

最近よく買われていたのは缶コーヒーで、仕事の日は毎日一本買っている。
家計簿、見直していってこれは余分な支出なので減らさなければならぬみたいな意識になるんだろうけど、缶コーヒーだけは削れない。
削ると仕事できない。俺にはカフェインが必要となって、これあんまり意味ある行為に感じないぞとなって、ほどほどにしてやめる。

それからちょっと早めに家を出て、自転車でカレー屋さんへ向かう。ネパール人のかたがやっているお店。

ランチメニュー、Bセット。
チキンカレー、ご飯、よくわかんない赤いチキン、サラダ、皿からはみ出るぐらいでかいナン、ラッシー。

めちゃくちゃボリュームがあり、昔ここの店に友達と来てお代わり無料のナンをどこまで食べれるかチャレンジをしてお腹が破裂しそうになったのを思い出す。友達は4枚食べて、僕は3枚食べて終わった。若さ。

久しぶりに食べてもやっぱり美味しく、懐かしい。

ずっと前から謎だった、プレートに添えられたこれまた赤いソース?何か刻まれたものが入っているやつを見つめていて、これはなんだろうと思っていたら、店員さんが「これはチキンにかけるやつですよ〜」と笑顔で教えてくれた。日本語がとても上手い。長年の謎が解けたこともそうだけど、何も口に出していないのにいきなり教えてくれてびっくりした。よっぽど不思議そうな顔をしていたんだろうか。

チキンにそのソースをかけたら美味しかった。

カレーを食べてお腹いっぱいになり、体調がみるみる回復していく、みたいなわかりやすさはなかったけど、代わりに眠たくなって帰り、帰ってうとうとしながらスマホを触っていたら気づいたら寝ていた。

急遽決まった夜の予定に合わせて起きる。
早めに起きれたので、あとわずかになった「読書の日記: 皮算用/ストレッチ/屋上」を読み切って、終盤のページで涙が止まらなくなって、あわてて顔を覆った。「デリケート」が読めてよかったと思った。

職場に寄って仕事。メール返して、明日の準備。今日起こったことを同僚から聞いて、今日も大変だったんだなと思った。
電車の時間に間に合うように職場を出る。

電車の中でこの日記が友達に読まれたことを知って、苦しい。創作が他人に触れたと実感した瞬間の恥ずかしさ。中学生の時に書いた小説を友達に読んでもらった時の言われぬ羞恥心。久しぶりに味わった気分。

またもや早めに現地に着いたので、駅近くにあったクラフトビールのお店で飲む。飲みながら「サンドイッチブルース」(著:森田三和)を読む。サンドイッチが食べたくなる。

ちょっと早めに待ち合わせのお店へ。
餃子とかいろいろたべる。美味しい。楽しい。

久しぶりに会う歳下の後輩、友達で、元気そうでよかったね〜と思う。知り合って10年ぐらい経つみたいなことで、ありがたいね、変わったことも、変わってないこともあるねと思って感慨深い。

お酒を思ったより飲んでいて、話を聞いているのか、聞いていないのかわからないみたいな意識。
そこからちょっと遊んで、話して帰宅。

学生時代はご飯を食べて、来週ぐらいにはもう学校とか別の場所で会っていたみたいな頻度だったのに、今はもう半年とか、1年後とか、数年後とかの頻度になっていて、それぞれの人生を生きている中で時たま合うみたいな、関係性ってすごいな〜と何回も思った。酔いが回っている感覚がある。

帰り道、ポッドキャストで超相対性理論の続きを聞く。「弱さを探索する」がテーマ。
多様性とスピード感の話。ナラティブ、メタ認知、ネガティヴ・ケイパビリティ。

電車で寝過ごさないように意識をギリギリで保っている。

2024/5/31

昨夜は帰り道に雨に降られて、傘を持っていってなかったので上着を傘がわりにして体を丸めて帰っていた。田舎の夜だったので出くわす人もいなくて助かった。誰かと対面していたらめちゃくちゃ怪しかったかもしれない。

ここ最近の不調とか、落ち込みとかは昨日のカレーとか本とかご飯とかであらかた吹き飛んだ感じがあってよかった。
お酒を飲んだ翌日特有の気だるさだけはある。

夢の中でiDeCoをスーツを着た男の人に勧められていて、生活、と思った。

仕事。終わってすぐに、読書のイベントへ向かう。

初めて行く場所で、行くまでに迷って、着いたらとてもいい場所でじっくり本を読んだ。
コーヒーとチープケーキが頼めて、ぜひとお願いした。読書にはチーズケーキがぴったり。

「利他・ケア・傷の倫理学――「私」を生き直すための哲学」を読み終える。

無意識の奥深くに押し込まれた傷が、他者の傷に触れた時に「ケア」から「利他」の行為へと変わっていく。その中で自らの傷が「ケア」されるということが書かれていて、おもしろ!と終始なった本だった。前作の「世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学」もとても読みたい。

もう一冊、「現代短歌パスポート1 シュガーしらしら号」(版:書肆侃侃房)も読む。

BRUTUSに影響されて買った短歌の入門?味わいたくて買った。
現代短歌というだけあって、現代生活の風景と感情が浮かび上がってくるような作品たち。この前歌集を買った伊藤紺さんの歌も入っていて嬉しい。
五・七・五・七・七の字数制限の中に感情と、情景を込めるという感嘆と、文章の連なりではない、歌としての連なりが生み出す余韻みたいなものを感じでたのしい。

総じてとても楽しい時間で、本読むのやっぱりたのしいねとなって、そのままの勢いでいつも行くバーに寄ってクラフトビールを飲む。美味しい。

晩ごはんに何か食べて帰ろうと思ったけど目当てのお店はいっぱいそうだったので諦めて帰宅する。

電車の中で昨日読んだ「読書の日記: 皮算用/ストレッチ/屋上」のことを思う。

俺は何かを諦めるみたいなことをしたことはあるんだろうか、届かなかったこと、諦められたことはあっても、自ら諦めたこと、諦めるしかないほどにこれしかないと感じたことはあるのかよ、みたいな熱があって、僕はこんなことを感じる人間なんだなと客観的に見る自分もいて板挟みだった。

思うことはさまざまあれど、何はともあれ今日記として読んでいる本がなく、ピンチ。
読書の日記の過去作を読もうか。売っているんだろうか。迷う。書いたい本が多すぎる。

今日がnoteに投稿する日記の最終日だったはずなのに、しすがなインターネットへの移行が全然終わっていなくて計画性のなさに絶望する。


noteには気が向いたらいろいろ投稿することにする。たのしみ。


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