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2024/1/8

今日は成人の日らしい。
SNSでは、新成人を迎えた人に向けたメッセージを送っている人もいて、自分が成人した時にこんなメッセージもらったら嬉しいなと思って眺めていた。もう10年近く前のことなので、当時はどうだったか覚えていないけれど。

成人式(今は20歳の集い?そもそも同じものとして見ていいのかわからないけれど)には行っていないので、どんなものかは想像するしかないのだけれど、「大人とは」なんだろうみたいな話がされるんだろうか。

成人してからそれなりの年月が経つし、折に触れて考えるテーマではあったけれど、どれもなんだかしっくりこない。「大人」ってなんなんだろうか。年を経るごとにわからなくなっていく気がする。

ちょうど成人したてぐらいの時に読んでいた、伊坂幸太郎の「砂漠」を思い出す。詳細はあまり覚えていないけれど、大人って色々なことに巻き込まれつつ、時には巻き込みつつ、自分でその責任を取らないといけないものなんだろうかとか、若い頭でなんとなく考えていたように思う。

『「待つ」ということ』を読み終えた。
「待つ」ことに対しての結論は最後まで語られなかったのだけれど、現代では「待つ」ことが難しくなったのは「結果」と「その後」が早く求められるようになったからなのかと思う。

狂おしいほど待ち焦がれることはなくなり、忙しない社会の中で、あらゆる場面で「待つ」ことの解消が図られた結果、「結果」はすぐに訪れることになった。
「待つ」ことによって得られるものもほとんどなくなって、期待も不安も取り除かれていく。
あるのは結果に対する期待だけで、その過程にはただ結果を待機する時間が存在するのみ。

「待つ」ことは期待を含みながらも、その終盤には諦めがあり、「待つ」ことの忘却のような状態がかつてはあったのだけれど、それらのほとんどが「待機」に変わり、結果を「待つ」だけの過程が当たり前になった。

書いていてよくわからなくなったけれど、この本って「「聴く」ことの力: 臨床哲学試論」(著:鷲田 清一)が前段?らしいので完全に読む順番を間違えた気がする。
こちらも読んでみたい。

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