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2024/2/1〜2/29

2024/2/1


雨が降った日は、雨が降っていなくてもいつもとは違う景色に見える。
どこか古ぼけたような、彩度が落ちているような。どんよりとした雲に引きずられて、風景までも侵食されていくようなそんな視界。

お気に入りのコーヒー屋さんに朝から行って、雨が降りそうだというのにお客さんがいっぱいいて、やっぱりこの場所は陽だまりみたいだと思う。

アメリカーノを頼んで、珍しいですねと言われる。エスプレッソとアメリカーノの違いもあんまりわかっていないので笑って誤魔化しながら受け取る。

コーヒーの香りがダイレクトに来て、いい匂いだ。ほどよい酸味がどれぐらいのものかわからないけど、美味しい酸っぱさと、苦味が混ざっている。こういうコーヒーはいつでも飲みたい。


良いものは「良いものだった」ぐらいで留めておきたい時もある。言葉を探して当てはめて、「良さ」を細かくしていく方が人には伝えやすいのだけれど、「なんかわからんけど良かった!」ぐらいにしておいたほうが良かったという記憶だけが大雑把に残ってゆるい感情になるので好き。

アメリカーノを飲みながら、「気がする朝」を読む。
歌集はあんまり読んだことないので、なぜか緊張する。

海を見た日は胸に海が残ること 
ふつうに人を信じてること

「気がする朝」(著:伊藤紺)/ナナロク社

今まで見てきた海がきちんと胸に残っていて、いつも波音ともにあること。
どこまでも続く海の途方もなさに救われたことがあること。

いろんな記憶が湧き上がってきて心強い気がする。

歌のひとつひとつが生活の中にあって、たのしいし、苦しいし、悲しいし、愛しい。

春と夏に読むとさらに良さそうなので、また読みたい。

コーヒー屋さんを出て、雨が降るかもと持ってきた傘を結局一度も使わずに帰宅。

haruka nakamuraさんの「君のうた」を部屋で聞いている。
今までは耳でしか聞いていなかったけど、動画も見る。

世界が本当に美しくて、日常がキラキラしていて、歌と曲も合わさってほんとうにほんとうに素敵で、涙が出る。

綺麗さだけじゃない、この世界にあってくれてありがとうみたいな、尊い美しさが作品としても、自然の中にも、街の中にも自分が知らないだけでたくさんあってすごいなあと思って本を読む。

2024/2/2

2月になって2日目。

2/2という並びが可愛い。
新年になって1ヶ月がもう経ってしまったと考えると途端に憎しみに変わりそう。

子どもたちと遊ぶボランティアの日に、久しぶりに絵本とか持って行こうかとスタッフの人と話して図書館へ。

近くの図書館は子ども用と一般用に別れて本が配置されているので、普段は見ないけど子ども用の本棚にも面白そうな本がたくさん置いてある。

ノンタンとかミッケとか、ゾロリとか懐かしさのあまり「うわ〜」とか言いながら手に取って読んでいると時間があっという間に過ぎていって焦る。

いくつか本を選びながら、王道中の王道である桃太郎とか浦島太郎とか鶴の恩返しが並んでいる棚を見る。

子どもの時に見ていた(20年ぐらい前の記憶なので覚えているかも怪しいけれど)ものと比べて見覚えもなく、名作も都度表紙を変えたり中身のイラストを変えたりしているのだろうかと考える。不朽の名作とはいえ、出版社の都合や、時代の好みに合わせてアップデートされていくものなのかもしれない。


ヨルシカの影響でずっと読みたいと思っていた、ミヒャエル・エンデの「モモ」を探していたけれどなかったので、子どもたち用の本と紙芝居だけ借りて図書館を出る。

ちょっとだけ職場に寄って忘れ物を取り、帰宅。

「氷の城壁」を読んでいる。
LINE漫画で読んでいて、続きが気になり過ぎて毎日見ている。
読み始めてたぶん10日も経ってないのに、もう100話ぐらい読んでいる。

こゆんと月子のやり取りがとても好き。
ヨータの心理描写が読み進めていくごとに少なくなっていって(フォーカスがミナトとか桃香に移っているので当たり前なのだけど)、大丈夫か?ちゃんと心の換気できてるか?と心配な厄介なやつになってる。

自分のことに目を向けて、相手のことを考えて、それでも自分の思いを伝えることに眩しさを反射的に感じてしまうのは老いなのか、恥ずかしさなのか、憧れなのか。
歳を重ねるごとにそういうコミュニケーションからは遠ざかっている気がしている。

それを取り戻したいとは思わないけれど、漫画でそういう描写を読んでいると羨ましくはある。今の自分がやろうと思っても失敗する未来しか見えない。

言葉を尽くすことの誠実さは、必ずしも望む結果を与えてくれるものじゃない。けど、言葉を尽くそうとする自分の気持ちは大事にしてあげたいなと思いLINE漫画の無料パス更新を待っている。

2024/2/3

最近、休みの日でも仕事がある日のように早起きしてしまうので眠気が取れない。
学生時代は2度寝がうまかったはずなのに、今では一度起きると眠れないことに悩まされている。2度寝がうまくなりたい。

最近はharuka nakamuraさんの曲に加えて、小瀬村晶さんの曲も聞いている。
「Moon」が1番のお気に入り。

歌詞がない曲?歌?どういう表現が適切かはわからないけれど、言葉のない音楽を好んで聞いている。
歌詞の意味を追いながら聞く曲も好きだしよく聞くけれど、それよりリズムとして好きな曲が好きかもしれない。

久しぶりに色んな人のお話を聞くイベントに参加して、色んな問いをもらいながらたのしかったけれど普段会わない人とたくさんおしゃべりして疲れた。
生活圏内にいるとお会いすることのない人たちと会うが故の疲労なので、なんとなく嫌な気はしない。

「自分らしさ」という大きな問いをもらったので、ゆっくり考えていきたい。


「氷の城壁」を全て読み終わった。
fuzkueの読書の日記で知った漫画で、1話を読んでのめり込んでいったお話。

気がついたら毎日のように読んでいて、主人公のこゆんや雨宮くん、ヨータ、美姫を中心とした物語が楽しみで、日常になっていた。

物語は良かったなあと思える終わり方で、とてもいいものだったのだけど、正直寂しさのほうが強い。
今まで日常を彩ってきたものが終わってしまって、もう無くなってしまったんだと実感する。

続いてきた作品が日常の中に溶け込んでいればいるほど、それが終わった時は悲しみがすごい。

もっともっと彼ら彼女らの物語が読みたかった。
次は「正反対な君と僕」をたのしみにしたい。

2024/2/4

うわーーーーー仕事行きたくない!!!と頭の中で叫びながら布団にくるまっている朝。

非日常の楽しさを味わった後に現実に戻っていく反動が辛すぎる。

職場に行けばこの気持ちもどこかへ押し込まれるのはわかっているのだけど。
義務教育ぶりにこんな感情になったかもしれない。

フリーで働いていた時は現地に行ったり、大事な打ち合わせがなければ仕事をするしないもその日に決められたのに、
今では仕事をする日が会社に決められて、休むこともまあまあ難しい。

こんなに仕事に行くのが億劫な日でも布団から出て家を出なければならない。

その制約のおかげで守られているものもあるししょうがないんだけどさあ。

そんなよくわからんことを考えて、ぐおおと唸りながら布団からようやく出る。

命からがら外に出て、いつもより寒い空気にびっくりする。

近くの山を仰ぐとうっすらと雪が残っていて、冬の景色になっていた。

さっきまで仕事に対しての憎しみしかなかったのにそんな気持ちも一瞬でどこかに行って、冬の綺麗さがようやく出てきたことに嬉しくなる。


雪が降るのは久しぶりというわけではなかったけれど、積もっているのを見るとテンションが上がる。
もう2月なので、ここから冬には頑張ってもらって雪をほどほどに積もらせて欲しい。
雪が恋しい人のところにだけ、雪は降ってくれ。


本がなんとなく読めない時にもfuzkueの読書の日記は読めるので楽しい。
布団にくるまりながら楽しめる読み物は、こういうメールの形で来るものが適しているのかもしれない。

2024/2/5

朝の微睡の中でもう一眠りしようかしらとぼやぼやした頭の中で言葉が流れていたら、急に仕事で作ったものがもしかしたら間違えているかもしれないと思い始めて目が冴える。

あの時しっかり確認したはずなので大丈夫なはず、いやでももしかしたら…と嫌な憶測だけが頭を占めていって、まあでも考えても仕方ないかと諦めてご飯を食べる。

職場へ行って、いの一番に制作物を確認したら何も間違えてなくて安心する。
こういうよくわからないけれど、もしかしたら…みたいな心配事をする癖治したい。

先日参加したイベントに影響されて「仕事のモヤモヤに効くキャリアブレイクという選択肢 次決めずに辞めてもうまくいく人生戦略」(著:北野貴大)を買う。

市場における価値や、特定の関係性・環境で用いられる価値観を基準にすると、「働いていない」期間というのはどこか心苦しいものがある。
ただ、それをどう使うのかは本人次第だし、その期間が価値あるものかどうかを決めるのは自分次第なので、外部からの評価に引きずられすぎず(全て離してしまわないまでも)過ごすことができれば良いなと思う。

まだ読み始めたばかりなので、じっくり考えながら読みたい。

「正反対な君と僕」の更新日だったので読む。
平、お前の気持ちはどうなんだという回で、東の「飯食い行かん?」の表情と後のセリフが良すぎた。
ちゃんと自分の気持ちを言語化して伝える力が相変わらず高すぎるぞこの人たち。

「氷の城壁」も含めて、本で買おうか迷う。

2024/2/6

唐突にサイゼリヤに行きたくなること、突然ラーメンが恋しくなること、なんだか海に行きたくなること。

突発性の欲望が人生では何度も襲ってくるたびに強い意志で耐えていたのに、海に行きたい欲だけは抑えられたと思って安心していたらいつの間にか海へ行く段取りを頭の中で思い浮かべて、なんなら泊まるように楽天トラベルのサイトまで気づいたら見ている。

我ながら自分が怖い。
将来は海に近いところに住みたい。

最近本がまた上手く読めなくなってきて「鬱の本」を読んでいる。優しく、それでいて長くなくてちょうど良い話がたくさんあって安心する。本が少しでも読めたという事実が嬉しくなるし、人が書いているものに救われている。

相変わらず、はちみつチャイがうまいのも嬉しい。

2024/2/7

2月も1週間が経ったとは思えないぐらい早く進んでいる。今年は閏年なので1日多いのが年度末としては嬉しい。月末締切が1日猶予伸びた気分になる。

2月、始まってすぐに節分はあったけど恵方巻きは買えなかったのでなぜかキンパを食べたし。恵方がどこかもわかっていなかったので幸先が悪いかもしれない。

話題になっているBlueskyを始めてみた。
Twitter(X)はなんだか疲れてしまったのでアカウントも消してしまって、だからいつかのTwitterを期待してダウンロード。
時代が進むごとに個人に最適化されるようになっていくはずなのに、その機能が原因で苦しくなっていくのはサービスの難しさを感じる。


夜遅くに帰るのが続いていて、なかなか寝れないくせに早く起きてしまう矛盾。身体が疲れ切っていないからかもしれない。頭は使っているはず、と信じたい。なんだかバタバタしている週なので、明後日公開の「夜明けのすべて」を見てリフレッシュしたい。リフレッシュできるような内容なのかもわからないけど。
でも今見ておきたいとなんとなく感じるので、明後日に向けて整えたい。

明日はひとつ楽しみな会があるのでわくわく。
今日は本は読まずに寝る。

2024/2/8

朝からサンドウィッチを食べている休日が1番の幸せなのかもしれない。美味しい朝ごはんを食べるたびに、幸せが更新されていく。

たまごサンドと、ハムとレタスのサンド。おまけで余っていたコーンポタージュをつける。
うまい。

なんとなく今は本は読めないなあとなっていたのに、図書館に行っていくつか本を借りる。通っている図書館の貸し出し期間では読み終えられるのが2〜3冊ぐらいが限界なので、数を抑える。


ローソンでチゲ鍋を買って温める。
こういう銀の皿?で直接コンロで温める商品を大人になるまで食べたことがなかったので、手軽さと美味しさにビビる。
人類は食のためにならいくらでも進化し続けるのかもしれない。
思ったより鍋の辛さが強くて、お茶を何度もおかわりして飲む。卵を入れたらマイルドになった。ご飯と一緒に食べてちょうど良いぐらい。

久しぶりにネトフリで映画を見ようと思い「ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り」を見る。ゲームを知っているともっと面白くなるんだろうなと思った。
途中のエドのセリフがめちゃくちゃよかった。
個人的にはサイモンが好き。

映画を見終わって「山と言葉のあいだ」の続き。最近エッセイとか歌集とか日本の景色や状況を書いたものばかり読んでいたので、外国の風景が描かれている物語が新鮮で面白い。いつか出会った人の軌跡を辿るような。人は死んでも、その人の影響は残るというようなセリフを言うキャラがいたけれど、言葉を交わして、短い時間でも共に過ごした相手とは、少なからず影響を及ぼしあうものなんだろうと思う。

久しぶりにほとんど家で過ごした休日の最後は、ZINEの相談。
絡まっていた思考をほぐしてもらいたいと思って、コーチングの経験もある知人に依頼する。

作りたいと思うテーマは自分の欲望でもあるので、人生相談をしているみたいな形になってしまった。
おかげでこれから考えたいことはなんとなく見えてきた。ありがたい。

キタニタツヤの「ラブソング」を今更聞いて、やっぱりキタニタツヤってすげえな!という勢いの感想。
ナイトルーティンと、ラブソングを聞いて寝る。

2024/2/9

ZINEのこととか、今日観た映画についてとか最近noteを書きすぎてすでに日記を書いた気になっていた。
当分文章は書きたくない。でも書きたくなったら書く。

世間は明日から3連休らしいので、この2日間の連休を楽しもうと思って都会へ。

お世話になったお店の周年をお祝いに行ったり、本屋に行って最近の本を見たり、映画館に「夜明けのすべて」を見に行ったりした。

「夜明けのすべて」、軽い気持ちで観に行ったら号泣してエンドロールまで全部見終えていたので、みんな観てほしい。

「夜明けのすべて」あらすじ

月に一度、PMS(月経前症候群)でイライラが抑えられなくなる藤沢さんはある日、同僚・山添くんのとある小さな行動がきっかけで怒りを爆発させてしまう。
だが、転職してきたばかりだというのに、やる気が無さそうに見えていた山添くんもまたパニック障害を抱えていて、様々なことをあきらめ、生きがいも気力も失っていたのだった。職場の人たちの理解に支えられながら、友達でも恋人でもないけれど、どこか同志のような特別な気持ちが芽生えていく二人。
いつしか、自分の症状は改善されなくても、相手を助けることはできるのではないかと思うようになる。

映画「夜明けのすべて」(監督:三宅唱)
https://yoakenosubete-movie.asmik-ace.co.jp/about/

観に行こうと決めた時から、原作を先に読むと映画と原作の違いに意識が割かれそうになると思ったのであえて原作には触れていない。

今めちゃくちゃ原作が読みたい。
長い感想文を別のnoteに書いたので、昂った感情がちょっとは落ち着いた。
本当に素敵な映画だった。

久しぶりに映画を観て号泣したのでめちゃくちゃねむい。
感情が動くと体力が一気に持っていかれる。

原作読んでからもう一回映画も観に行ってもいいな。

2024/2/10

来週は冬とは思えないぐらい暖かくなるらしい。雪がもう降らなさそうで寂しい。
季節って、もうちょっとゆっくり巡るものじゃなかったのだろうか。
そんなに早く去らなくてもいいよ、もうちょっとゆっくりしていきなって。

「仕事のモヤモヤに効くキャリアブレイクという選択肢 次決めずに辞めてもうまくいく人生戦略」を読み終えた。

「キャリアブレイク」というキャリアの空白、休みの期間を肯定的に捉える文化をつくりたいという意見にはとても賛成だし、こういう本が出ること自体、求められている証だと思うし、そういうものを認めないといけない雰囲気になっているのだと思う。

「キャリアブレイク」という期間を大切に見つつも、それを絶対的な正解とはせずに、あくまでも1つの選択肢として扱う著者の距離感が良かった。

本の中でも繰り返し言われていたけれど、過ごした時間に対してどのように意味を持てるかがキャリアの中では大切で。結果として、どういう時間だったかをいつか定義できるようになれればいい。

半年ぐらい自分も仕事をやめて休んでいた期間があったのだけど、今振り返るとあの期間に色んな場所へ行ったり、色んな人のお話を聞いての今があると思う。

「休む」「仕事から距離を置く」という選択肢が弱さとか、逃げとか、ネガティブな方向だけじゃないという認識が広まるといいな。


仕事の合間にfuzkueさんの「読書の日記」。
本のことより料理のことに最近目を奪われていて?目について、料理がしたくなっている。
カレーを作ろうか、いっそのこともっと凝った料理をするかと悩む。
買い物に行くことは楽しいけど、近くのスーパーは品揃えが少なくてわくわくしない。買い物はわくわくしなければ買う気が起きないので、結局いつも何も買わずに帰る。ちょっと遠いスーパーに行けばわくわくするし、買い物も、ついつい捗るのだが帰る頃には疲労が勝って結局簡単なものをつくる。
今必要なのは料理より体力作りかもしれない。

2024/2/11

久しぶりに朝早い勤務だったのでいつもより寝ぼけている気がする。
朝のぼやけた頭で職場に行くと、強制的に頭が働く感じがして嫌な気分ではない。
最近気を抜くとコーヒーを飲んでしまうので、カフェインをあまり摂りすぎないように気をつけたい。
気合いを入れるためのコーヒーとかエナジードリンクとか、わかりやすいスイッチがあると集中力が回復するのだけど、別の方法を探すべきかもしれない。


この前見に行った「夜明けのすべて」のことを思い出している。やっぱりあのラストよかったなあって頭の中で何回も言ってる。
あの2時間少しの時間の中にあれだけのものを表現できるって、原作の力はもちろん凄まじいのだけど、映画監督ってすごい仕事だ。


子どもの頃は仕事の成果によって支えられているものや、生まれたものに対しての凄さはなんとなくわかっているけれど、それを生み出した人たちとか、その人たちが通ったであろう経緯を想像して感動するなんてことはほとんどなかった。こういう想像力が発揮されるのは大人になってよかったことかもしれない。


買いたい本がどんどん増えていって、いつか破産するのではないかと怯えている。
今のところなんとか自制できているので、このまま欲望を手懐ける術を身につけたい。

夜、仕事を終えて帰路に。昨日と同じく帰り道に雨に降られそうになったので慌てて帰る。

雨は屋内にいてこそ趣と、癒しがあるので、雨には打たれたくない。でも雨に自らの意思で打たれている人は美しいなあと思う。
そういう確固たる意志というか、不安定な心に魅力を感じてしまう。

とか考えていて家に着き、すぐさま風呂で、ご飯を食べて寝る前にYouTubeを見ていたらストリートファイター6の大会がやっていたので見る

格ゲーはほとんどやったことないし、ゲームセンターの筐体でやるやつは雰囲気でレバーとボタンを押しているので全くわからない。が、めちゃくちゃおもろい。
一人一人のキャラ性能とか、相性も全くわからんが、参加者みんな真剣でチームで戦っている姿が良かった。
帰ってからずっと見ていたけど、だいぶ長そうだったので一旦スマホは置いて寝る。

最近健康に向かってのメンタルがいい感じなので、この半年は禁酒期間にしようと思う。
案外いけそうな気もするし、もうすでに飲み会の予定があるのでダメかもしれない。

2024/2/12

朝から肩が痛くて湿布で誤魔化す。
寝違えたのか、ずっと同じ姿勢で寝ていたから筋肉が固まったのかわからないけれど。



湿布を貼った後にくる、わざとらしいぐらいの効いてますよみたいなじんわりした冷たさが好き。

図書館で借りてきた「私と街たち(ほぼ自伝)」(著:吉本ばなな)を読む。
吉本ばななさんの本は初めて読むし、初めて読む本が自伝?エッセイ?のようなものでいいのかなとも思うけど、読んでいて止まらなくなるぐらい面白い。

いのちに対して繊細な書き方というか、描写がそこにあるような書き方で好き。

自分が人生を振り返った時、街について覚えてることはあるんだろうかと思う。

生まれ育った場所、今住んでいる場所より一時期暮らしていた神奈川の街のこととか、昔付き合っていた人と一緒に遊んだ街のことのほうが記憶にこびりついている。

覚えておきたいことがたくさんある街が、長年過ごした住んでいる街ではないということに少しだけ思うところはあるけれど、案外そんなものなのかも知れない。

いつかこの街を引っ越した時、思い出深い場所になるんだろうか。


年末年始にまあまあ休んだ分得られた元気がもう底をついている気がする。

本を読む元気がないけど、無理やり本を読んだらなんだか元気になってきたので気持ちの問題だったのかもしれない。


最近は独立系?個人経営?の本屋さんに行くことが多いけれど、大型書店も好き。

大型書店に比べて小さい本屋さんは、相性がいいところだと自分の好きな本や、気になる本がすぐそばにあるので居心地がいいし、あんまり他の人の目を気にしなくていいから良いし、大きい本屋さんはひたすらに色んな本があるのでは見ていて楽しいし、本が好きな人がこんなにいるんだな〜とお客さんの多さに嬉しくなってしまうので好き。

本屋に行きたい。


職場からふっと見た窓から三日月を見た。

久しぶりに月を見た気がする。夜に帰ることが多かったのに空を見ていなかったことに驚く。

「夜明けのすべて」を見てプラネタリウムは見たくなったのに、星は見てなかった。ここ最近雨だったからかと思い出して安心する。

夜の星に興味がなくなってたら相当元気がない証拠なので。



帰り道に月を探しても見当たらず、雲に隠れてしまったようで悲しい。

家に近づくにつれて雲は晴れてきてオリオン座が見える。学生時代に覚えたオリオン座の見つけ方、オリオンのベルト。三連星。

もうすぐ冬が終わりそう。

2024/2/13

今日は仕事はほとんど外で、会社以外の人とお話ししたり打ち合わせしたりしながら事務所を出たり入ったりする。

来年度の話をしながら、やらないといけないことがどんどん増えていくのも構わず色々話す。この時間は楽しい。後の自分が苦しむけれど。

それが次のたのしみを生むんだよと思うと頑張れる気がしなくもなくもない。

デザイン物を作っているとフォントに迷うけど、結局游ゴシックに頼ってしまう。游ゴシックは最強。かわいいので。


「私と街たち(ほぼ自伝)」を読む。
場所には記憶がこびりついている。
いつもそこには自分がいるのだけれど、当たり前のようにそこには他人がいて、だからその人たちのことも否応なしに思い出す。

数年前に尾道に行ったことを思い出した。
当時の仕事仲間が「尾道はいいよ」とミーティングの前に言ってたことがきっかけで、その週の土日で弾丸で行った。

2泊3日。広島はたぶん2回目ぐらいで、だから土地勘がほとんどなかったのだけど広島市内とは全然違う街並みで驚く。

尾道水道の横にある宿をとって、尾道周辺を練り歩いた。尾道ラーメンも食べて、途中にあるお菓子屋さんでプリンも買って食べて、さらにその先でお土産さんでクラフトビールか何かお酒を買って飲んで海を見ていた。夜になって居酒屋に行って、めちゃくちゃに酔っ払って夜の尾道水道を街灯に照らされながら眺めていたのが黒歴史。


尾道で1番綺麗だったのは、中学生だか高校生だかの歳ぐらいの人たちが、制服で尾道水道の周りにあるベンチで集まっておしゃべりしている風景。

海が近くにあって、それが日常になっていて、何にも特別でないように彼ら彼女らが当たり前に過ごしているのがとても良かった。

知らない街に行って、良い街だなあと思って、もし自分がそこで生まれ育っていたらどんな日常だったんだろうと夢想する。

けれどうまくイメージできなくていつも途中でやめてしまう。今いる街が良いと思うのは、この街で生まれ育ったわけでないからで、そうなるとたぶん同じなのかも知れない。いや、そんなことはないのかもしれないけれど。

でも、生まれたり、育ったり、働いたりする場所が違うだけで、当たり前に人生は変わるんだろうなとも思ったりする。

出会う人も。
拠り所にする場所も。
どんな働き方をするのかも。

知らんけど。

2024/2/14

昼から出かける用事があったので、朝はだらだらと布団の中で過ごす。

今日は暖かいという予報だったので厚着はせず、秋ぐらいの格好で外に出る。
案の定気温は冬とは思えないぐらいあったかくて穏やかで、春かと思うぐらいちょうど良い気温と風。

でもなんとなく春っぽい雰囲気とかにおいみたいなのは無くて、春になるにはもう少しかかりそうだった。


歩いて今日の活動場所に行き、
スタッフさんからスヌーピーの傘型のチョコをもらう。懐かしい、かわいい。

家族からもチョコをもらって、珍しく家の中に甘いものが結構ある。

チョコを食べながら「どこでもいいからどこかへ行きたい」を読む。

一人旅の話からサウナのこととか、自分にも当てはまる項目が多くて似たような趣味を持つ人を見かけた気がして嬉しい。

旅行に行って遠くの知らない街を歩くのも好きだけど、移動時間もとても楽しい。
新幹線でどこにも降りられないけど、1日乗れますみたいなチケットが一万円ぐらいで売ってたら多分買う。
鉄道会社からすれば迷惑でしかない客かも知れないが。

読む途中で甘さに耐えかねてコーヒを飲む。
苦さと甘さが交互に来るのはいいけど、辛さと甘さはあんまり交互に来てほしくないなあと思う。相性が大事なのだろうか。

夜、家族が「もらいすぎたから」と言って更にチョコを分けにきてくれた。
甘いものが家の中に溢れかえっている。

苦味の次は塩味が欲しい。せんべいが食べたい。

2024/2/15

2月も半ばになってしまって、バレンタインの次の日には月の半分とか一気に現実に戻される。
どうにも身体がだるくて頭が重いと思っていたら低気圧だった。
久しぶりの感覚で余計にやる気が出ない。
力が抜けた身体で仕事。
昼休みに、図書館で借りた「日本の寄付を科学する: 利他のアカデミア入門」(著:坂本治也)を読む。
個人的には結構読むのが重たそうな本なのでじっくり読みたい。低気圧のせいかもしれない。
ずっと眠くて、雨の音が心地よくて気を抜くと目が自然と落ちる。
早めに寝る。
「ヒトナー」がめちゃくちゃ面白かった。連載してくれ。

2024/2/16

ここ数ヶ月は目覚ましが鳴るより前に起きていたのがちょっとした悩みだったのだけど、今日の朝は目覚ましが鳴ってから起きて驚きと寝ぼけでめちゃくちゃ寝過ごしたと思った。

実際は全く寝過ごしていなくて(起きなきゃいけない時間の20分前に1回目のアラームをセットしている)、朝ごはんを食べる頃には現実の時間感覚に脳が追いつく。

いつもよりゆっくり寝れたのに、全然そんな気がしていなくて落ち着かない。

今日もなんだか低気圧が働いている気がする。どんよりとした曇り空を見ると余計に頭が重くなる感じがして、昨日より寒い冬の風も鈍く身体を冷やしていく気がする。

最近また近くで体調を崩す人が増えてきたので、風邪を引かないように気をつけたい。みんなお大事にしてくれ。


前々からずっと買いたかった滝口悠生さんの本を、低気圧でずっとねむたい頭をなんとか働かせて通販で買う。「茄子の輝き」(著:滝口悠生)。

旅先の妻の表情。大地震後の不安な日々。職場の千絵ちゃんの愛らしさ――。次第に細部をすり減らしながらも、なお熱を発し続ける一つ一つの記憶の、かけがえのない輝き。覚えていることと忘れてしまったことをめぐる6篇の連作に、ある秋の休日の街と人々を鮮やかに切りとる「文化」を併録。芥川賞作家による会心の小説集。

茄子の輝き/著:滝口悠生
(新潮社)https://www.shinchosha.co.jp/book/335313/

届いた本を少しだけ読んで、明日の楽しみに置いておく。昨日から続く眠気でふやけた頭を少しでも覚醒した状態にしてから読みたい。

見境なしに本を買っていて、まだ読めていない本もあるし、図書館で借りた本もまだ読めていないし読書にこそ計画性が欲しい。

2024/2/17

暖かいのか寒いのかわからない日で、昼が暖かったので薄めの服装で出かけたらちょっと寒くて後悔している。

春に向かっていくようなゆっくりとした気温の変化というよりは、思わず異常だと言ってしまう急な変化には季節を感じない。

まあこういう変化も実は毎年とか、数年に一度はあるものなのかもしれない。
四季のある地域に生まれて30年近く経つのに、いまだに身体が季節に慣れていない。


昔、大人に混じって活動していたころには色んな人とお話しする機会をいただいた。
世間のことを何もわかっていない若造に、色んな言葉や機会を送ってもらったおかげで、今なんとか生きていられるように思う。

ただひとつ失敗だったのは、色んなことを教えてもらえるが故に自分の力じゃなく、ろくに考えもせず、実力以上のことを一足飛びに知ることは中身が伴わないことに、大人になってようやく気付いたということだった。

言葉だけ知っていても、他人から聞いただけでは、本で文章を追っているだけでは何も理解できていないこと。

そういう己の不甲斐なさみたいなのに向き合う日だった。

色んなことが複雑に絡まっている気分で、きっと一つひとつをじっくり観察して解いていかないといけないんだろうけど、鋏で切ってしまえばすっきりするのではみたいな身も蓋もない選択肢しか頭に思い浮かばない。
疲れているのかもしれない。


今日はなんだか寝不足で、缶コーヒーを飲んで気合いを出そうと思ったらなんとなく気分が悪くなってくる。

カフェインで体調が悪くなることを感じて、早めに仕事を終えて帰る。

17時半になってもまだ空が明るくて、夕日のオレンジがうっすらと空にかかっている。冬の終わりが近づいているのを感じる。

電車に揺られている間、眠気が急に襲ってきて耐えながら「茄子の輝き」を読む。
大切なものが失われたこと、埋めてくれるもの、忘却の中にあった縋りたいもの。
ヨルシカの「夜行」をなぜか思い出す。

2024/2/18

意図せずYouTubeショートを開いた時に見る猫ミームと呼ばれる動画が頭から離れなくて、朝から自然とハッピーハッピーとか呟いている自分が怖い。ミームは恐ろしい。猫はかわいいので仕方ない。

土日の朝はどことなくゆっくりしていて、それはきっと平日と比べて車通りが少ないとか、人があまり出歩いていないとかそういうことなんだろうけど、なんだかちょっと気分が違って面白い。

ここ数日連続で仕事で、でも明日は休日なので休みに何をしようかと考えていると勤務が続いていても耐えられる気がする。

普段しない業務に取り組んでいるせいかいつもより集中していて、気づいたらもう帰る時間だった。やっぱり日が落ちるのが遅くなっている気がするなあとか思いながら帰宅。

fuzkueの読書日記を読む。
週に1回のメールに確実に日常を楽しくしてもらっていて、こうして定期的に届くありがたみを感じている。この分量と楽しさにはちゃんとお金を払いたい。払っているのだけど。

時折日記に出てくる「夜明けのすべて」の話題に、素晴らしかったシーンの数々を思い出す。
山添くんの印象が前半と終盤で全く違うの、今振り返るとちょっと面白いし、なんか泣きそうになる。

思い出したように大橋トリオと上白石萌音の「ミルクとシュガー」を流して、「茄子の輝き」の続きを読む。
あっという間に読み進めていって、これ以上読むと止まらなくなるなというキリのいいところでやめる。理性が残っているうちに時間管理をするのが読書時のポイント。「ミルクとシュガー」を聞いていたはずなのに、サブスクのアプリは全く知らない曲を再生していて、でもなんだかそれが自分の好みな曲だったので、気にせずそのまま流して晩御飯。
こういうサービスのレコメンド機能ってどういう風に最適化されているんだろう。おもろい。

お風呂に入って、寝れる準備ができたところで眠気が尋常じゃないくらい襲ってくる。
最近は風呂に入って明日も仕事か〜とか思いながら布団に入ったら一瞬で寝ていることが多い。
寝つきがいいのか、ちょうど良い気温になったことで眠気が増幅されているのか。
眠気に抗いながら日記を書く。最近眠いとかばっかり言ってるし、終わりの言葉に「寝る」をいつも使っているんじゃないかと危ぶむ。
寝る。

2024/2/19

子どもの頃、「一所懸命」という言葉を知らず、先に知った「一生懸命」ばかり使っていた。
後に「一所懸命」が使われた文章を読んだ時に、「一生懸命」の間違いでは?と思ったのが懐かしい。

一生懸命のほうが必死感と、継続している感じがあっていいじゃんと思っていた子どもの頃、作文とかで目標とか、夢をテーマにしたものを書く時は「一生懸命」という言葉を多用していた記憶がある。

久しぶりに思い出すと、今となっては「一所懸命」なほうがなんとなく好き。一生は長いよ。


朝から行きたいところがあったので早めに家を出る。

お世話になっていた方がされているギャラリーへお邪魔して、いつの間にか愚痴を聞いてもらっているような感じになり長居してしまう。

展示されていた作品がとても良かったし、空間自体が素敵だった。また行きたい。

長居したお詫びを言って、次は近くにある書店へ。


今年に入ってから何度か通っている本屋で、文庫版の「あしたから出版社」(著:島田潤一郎)、「読書の日記 予言 箱根 お味噌汁」(著:阿久津隆)を買う。年明けから本を買いすぎている気がしていて、読めてない本もあるのにこのペースはまずかった。


店主さんに購入時に話しかけてもらって、色んな共通の話題とか、共通の知人の話になって「えーっ!!」と驚き合う。あの時の「えーっ!!」の瞬間最大風速は饒舌な大阪のおばちゃんを超えていた。

今度書店で開催するイベントも教えてもらって、速攻で申し込んだ。来月が楽しみ。

本屋を後にして、近くにあるスタバで「あしたから出版社」を読む。

本当は就職をしたかった。でも、できなかった。33歳のぼくは、大切な人たちのために、一編の詩を本にすること、出版社を始めることを決心した―。心がこもった良書を刊行しつづける「ひとり出版社」夏葉社の始まりから、青春の悩める日々、編集・装丁・書店営業の裏話、忘れがたい人や出来事といったエピソードまで。生き方、仕事、文学をめぐる心打つエッセイ。

「あしたから出版社」(著:島田潤一郎)https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480438225/
(筑摩書房)

島田潤一郎さんの本は「古くてあたらしい仕事」に続いて2冊目。文庫版が出たということで買い、「古くてあたらしい仕事」で読んだ内容もありつつ、そういえばそうだったなと思いながらすらすらと読む。

一冊の本ができるまで。その裏側を見ているような、1人の人生を読んでいるようなそんな感覚。

気づいたらあっという間に読んでしまいそうだったので、ゆっくり読みたいと思ってスタバを後にする。


ギャラリーで話をしていた内容が頭に浮かぶ。
生活とか仕事とか、色んな難しいことがたくさんある中で、一緒に仕事をした人や、昔から知ってくれている人と会うといつかの自分を思い出せる。

こういう感覚を無くしたくないな〜と思いながら帰路に。

雨が降っている。傘を差して、家に帰る前に薬局へ寄り、もう当たり前に買えるようになったヤクルト1000を買って家に帰る。
良い夢が見られるといいな。

2024/2/20

さすがに気温が春すぎるので、そろそろ冬服もしまっちゃおうかなと思っていたら明後日ぐらいからまた冬の気温になるらしかった。

思わせぶりな態度はやめてほしい。

「あしたから出版社」を読み終える。

島田潤一郎さんの本は2冊目だけれど、読んでいて安定しているというか、気持ちが嫌になることがない文体で人柄が出ているのかなと感じる。読んでいてたのしい。

夏葉社の本はまだ読んだことがないので「レンブラントの帽子」も読んでみたいし、「さよならのあとで」は家に置いておきたいなと思った。

いつか、立ち寄ることになる本屋さんで見かけたら買ってみたいなと思う。
そういう出会いの末で買ってみたい。

読み終えた時に感じたのは、静かに背中を押されるようなエネルギーだった。

突き動かされるような爆発するようなものではないけれど、確かに前へ進むための力をくれるような。

自分が欲しいものを作りたい。
そのためにやっぱりZINEを作ろうと気持ちを新たにする。
このタイミングで読めてよかった。


昼、立ち寄った本屋さんでおすすめされたカフェでランチを食べようと思ったけど、お店の窓からお客さんが楽しそうに喋りながらご飯を食べているのが見えて入る勇気がなくなってしまった。

初めて行く場所は特に、自分以外の誰かが楽しんでいる空間に入り込むのが苦手なので尻込みしてしまった。

こういう性格で入りたかったお店に今でも行けていないとか、もう数十年生きているのに自分の性格が嫌になる。

店主さん、せっかく教えてくれたのにごめんなさい。

だから慣れ親しんだチェーン店を探して、結局モスバーガーに辿り着いて新作の竜田揚げのバーガーを食べる。

誰でも入れて、誰が来ても気にしない、店舗の入り口にわざわざ目を向ける人もいない、店員さんと数あるお客さんの1人として雑すぎず、近すぎずで対応してくれるのが安心する。

何度か通ううちに馴染んできて、お店の人と仲良くなれた瞬間も好きなのだけれど、1人でどこかへ行く時はチェーン店が心強い。

2024/2/21

雨続きの日が当たり前になってくると、曇り空が風景に馴染む。
視界は、やはり一段と暗い感じがするが。

雨の中、「モネ 連作の情景」を見に大阪中之島美術館へ。
人が多いとは聞いていたので、開館時間をちょっと過ぎたぐらいの朝早めに着いたのにもうすでに人はいっぱいで、チケット売り場は行列だった。

それでもそんなに待つことはなく、中之島美術館特有の長いエスカレーターに乗って5階へ。
人の多さと、うっすらと効いている暖房と、湿気でちょっと暑い。

会場を入るとやっぱり中にも人、人、人で、日をずらしたほうがよかったんじゃないかと後悔する。

それでも、後半は人が多いのなんか気にならないぐらい集中して鑑賞していた。

作品についての美しさは、その時湧き上がった感情と、自然に起こる身体の動きが感動が過分なく表すので言葉で書き留めることはしない。
あの時味わったものを適切に表す言葉を知らない。

睡蓮以外の作品を見るのは初めてで、特にウォータールー橋と、プールヴィルの断崖が心に残っている。

水と、自然と、周りにある風景の調和、空気の色。

見ることができて本当に良かった。

モネの作品は、直島の地中美術館で見た「睡蓮」たちが最初の鑑賞体験だった。
島を渡り、美術館を巡る中であの部屋に入った時の「睡蓮」の存在感と、圧倒的な美しさが今でも記憶に新しい。

あの部屋は、あの作品たちを鑑賞するに特化した空間だったので作品と、体験の相性という意味では最高だった。

今回の展示会でよりモネのことを知り、他作品を鑑賞することで、あの時地中美術館で見た作品の味わい深さもまた変わってくるんだろうなと思う。また直島行きたい。

展示会にはこれ以上ないぐらい満足したけれど、人の多さに疲れていたようで帰る時は「疲れた…」という意識しか無くて、家に着いた瞬間に爆睡した。体力が欲しい。

起きてから「茄子の輝き」を読む。
半分以上読んで今更の感想だけれど、こういう小説はあんまり読んだことがないので新鮮。

鶴上さんがいい人すぎるという情報しか頭に入っていない。

主人公、君はいったいどこに辿り着くのか。

2024/2/22

「今日はにゃんにゃんの日ですよ」
と、遠くで人が話しているのが聞こえて、にゃんにゃんか〜とほんわかした。

調べてみたら本当に今日は「猫の日」らしくてうけた。毎日何かの記念日か。


「茄子の輝き」を読み終える。
1人の男の記憶、思い出、忘れたくないこと、忘れてしまうことを辿るような物語だった。

幸せなことも、他の記憶と同じように忘れていってしまって、それが避けられないからなんとか思い出に縋ろうとするのだけれど、日々の生活でそれすらもままらない。

今ある幸せと、過去の幸せを比べてしまって過去を優先してしまうような話。と読んでいて思った。
読み終えた後、無性に中華が食べたくなる。


今日は朝から晩まで寝不足と、急な寒さとで頭の中が不安と苛立ちがシェイクされた感情に支配されていて全く駄目な日だった。

昨日、モネの展示に感情が持っていかれ過ぎたせいかとも一瞬頭をよぎったが、単純に寒くて寝不足のせいだなと結論づける。


猫吸いして心を落ち着けたい。

家には猫がいないので厳しい。
今は猫ミームでもいいから猫成分を吸収したい。猫の日なので。

半年ぶりぐらいに煙草が吸いたくなって、間違えて買ったアメスピの煙が濃過ぎたのを思い出してやっぱりやめた。


身体に悪いものでストレスを軽減しようとする癖が社会人になると出てきてしまうが、このストレスをなんとか健康のための行動のエネルギーにしたい。運動とか。無理かもしれん。

2024/2/23

寒暖差がとんでもなく、相変わらず寒さで身体がやられている感覚。
でも、布団にくるまっていると暖かさが際立って心地いい。

二度寝しそうになって、このまま久しぶりに昼まで寝てしまおうかと思ったけど朝から用事があることを思い出してなんとか目を開ける。

布団に張り付いたようにぺっちりとくっついた身体を剥がして、這い出るように布団から出る。寒い。


昨日から続いて雨が降っていて、どうにもなかなか止みそうになかった。
傘をさして歩く。

用事を済ませて、お目当てのものを買い、その足で近くのギャラリーへ。
室内が寒過ぎて、喋るたびに白い息が出る。
面白い。
展示が毎回良くて、今回の展示もやっぱり最高でした、作品の前で30分ぐらいうっとりして見ていた。作品のために用意された音も、こだわりが感じられて素敵。


なんだか朝からホットドッグを食べたい気分だったので、帰宅してから作る。
ホットドッグにカレー味のキャベツを挟むのは関西だけみたいな話を、いつかどこかで県民ショーとかで聞いたような気がする。
子どもの頃からホットドッグにはカレー味のキャベツだったので、当時はカルチャーショックを受けた。

レタスとかピクルスとかはさんでもうまいのだけれど、少しピリッとしたキャベツをはさんでケチャップとマスタードをかけたソーセージと一緒に食べるのが1番好き。

パンもちょっとだけトースターで焼いて、少しパリッとしたパンで食べるホットドッグが美味し過ぎた。また作ろう。

今度はもちもちしたベーグルを使って作ろうかな。でも、ドーナツみたいなソーセージがいるな。売ってたら作ろう。


お昼ご飯に満足して、「読書の日記 予言 箱根 お味噌汁」を読む。
いつもはメールの形で、スマホで読むからなんだか変な感じ。

いつも楽しみにしている「読書の日記」が、まだまだ読めると実感する分厚さ、ページ数で嬉しい。
しばらくは読む本がたくさんで、これも嬉しい。

明日からしばらく怒涛の仕事ラッシュなので、年度末に向けて気が抜けない。

でもゆるくいける時はゆるくいこう。

お風呂に入って温かくなるとすぐ眠たくなる。冬。

2024/2/24

昨夜の憂鬱さを引きずって起きる。
寝て起きたらこの鬱々とした感情も過ぎ去るんじゃないかと楽観的に捉えていたら、相変わらず起きるのが辛くて唸る。

それでも起き、職場へ。
なんとなく嫌だな〜と思っていた仕事のことを考えて、これやれば上手く行きそうだなと解決策が見え始めてから気持ちが前向きになり始めたので、やはり向き合って考えることが大事なのかもしれない。


お昼休みに「読書の日記」。
まあまあ分厚い本なので、読むのが若干難しい。でもたのしいので全く気にならない。

年は違えど、ちょうど同じ季節ぐらいの出来事を読んでいるので、東京でも雪降るんだなとか、東京って色んなお店があるんだな〜みたいな東京への解像度が低すぎる感想ばかり頭に浮かぶ。

ちょうど今届いているメルマガの読書の日記は現在の話なので、時空が違うけれど同じ人が書いている日記を同時に読んでいるので頭がバグりそう。

こういう楽しみもあるんだな。


帰ったらお風呂で「どこでもいいからどこかへ行きたい」を読む。

今の僕に足りていないのは銭湯とサウナかもしれん、とお風呂に入りながらひしひしと感じる。

身体を綺麗にするだけじゃない、開放感を味わいたい。特にサウナに入りたい。昔みたいにサウナと水風呂を交互浴とかいって楽しむのは難しいけど、じんわりとした熱さの中に身を置いてゆっくりしたい。

フィンランド式のサウナがいい。ひのきの香りが気持ちいい、そういうサウナがいいなと思っていたらのぼせそうになって、慌てて風呂から出る。

この本を読んでいると、心がスッキリするノウハウ本かなと思うぐらい良き。

2024/2/25

今日も雨。
でも、真冬の冷たい感じはそんなにしなくて、なんだか本当に春が来ちゃうんじゃないかという予感がする。

そんなことを言ってる間にもうすが2月が終わって3月で、3月になればそりゃ春も来るわなという感じ。

毎年、季節が変わるのを月ごとに覚えているから3月初めは寒かったっけ?とか、3月末はもうコートいらないか?とか全く自信がない。

天気予報を見る限りもうちょっとコートはいりそうで、でも春はもうすぐそこという感じがする。ちょっとずつ、冬が終わっていく。


ガソリンスタンドの横を通る時の、ガソリンなのか軽油なのかよくわからないけど燃料っぽい匂いがちょっと好き。

昔、子どもの頃に父親とガソリンスタンドに行くと、毎回ペコちゃんキャンディをくれるところがあって、その記憶でガソリンスタンドの匂いを嗅ぐと飴のことも条件反射的に思い出す。
ペコちゃんキャンディ美味しいんだよね。

今日も今日とて「読書の日記」を読む。
結婚読んだなと思ったけど、まだ全体の2割ぐらいで、おいおいまだまだ楽しめるじゃないかという強キャラみたいな心持ち。
読者になっている時点で強弱もなにもあったものじゃないけれど。

今更ながら、自分が他人の日記にお金を出してまで楽しむとは思ってもみなかった。
「読書の日記」に関しては、著者の方が読んでいる本も気になるけれど、そこに書かれている生活とか、fuzkueのことを読みたくて読んでいる。

人生は物語とはよく言ったもので、他人の人生は自分にとっては物語のように捉えられる。

誰かの日記を楽しむというのは、少し前までなら秘密を見ているような罪悪感を覚える行為の意味合いだったけれど、今は違う。

「プルーストを読む生活」を読まなければ、こんな楽しみも出会えることができたからわからないよなあと思うと、人生を変えるのは人だけじゃなく、本もあるよ。

明日はちょっとやることがいろいろあるので早めに寝る。

2024/2/26

キタニタツヤの「聖者の行進」を今更ながらに初めて聞いて、パレードが止まらない。

パッと見綺麗な幸福の偽装
メッキが剥がれ落ちた
一枚の薄皮隔てた先で
グロいものがなんか呻いていた

「聖者の行進」/キタニタツヤ
作詞•作曲:キタニタツヤ

初っ端からこんな歌詞と、曲調とリズムが最高で朝から聞いてたらすごい気持ちで仕事を始めることになった。

キタニタツヤすごい。


仕事を終えて、もう少ししたら楽しみなイベントが一つあってそわそわする。

楽しみな予定が近づいてきた時の、あの心はすでにその予定に辿り着きそうな位置にいて、でも身体は今にくくりつけられている時のむず痒さというか焦がれているようなそんな感覚。

こういう感覚が幾つになっても消えて欲しくない。


家に帰って何もかも面倒くさくなって、部屋から風呂場まで這うようにして向かう。
風呂浴び、お湯浴び?、眠気でなく気力が限界で、布団に潜り込んだらあったかくて冬のせいと、冬のおかげを反復横跳びしている感情。

キタニタツヤ効果がなければ昼ぐらいに力尽きていたかもしれない、いや、キタニタツヤ効果で気力が余計に使い果たされたのかもしれない。体力と気力が欲しい。

部屋の中にある本を適当に読もうかと思ったけど、本棚に手がたどり着くことはなく、逆に伸ばしすぎて肩を痛めて大人しく寝転ぶ。

明日は朝早い、早かった気がするので本は読まずに寝る。
最果タヒさんのエッセイが新しく出たので買いたい。買う。

2024/2/27

「読書の日記 予言 箱根 お味噌汁」を読んでいる。
懐かしい、思い出のバンドが復活した時の話があって、自分にはそういった拠り所のような音楽があっただろうかと思う。

バンプとかアジカンとか、そのあたりが近いかもしれない。

アジカンといえば京都が連想されて、森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」の映画の主題歌だった。「荒野を歩け」のリズム感が良くて、歌詞もなんだか京都の街を歩いているみたいで楽しかった。森見登美彦の作品は京都に住みたくなるから危険。

京都も最近行っていない。
昔は狂ったような京都に通っていて、それはやっぱり森見登美彦のせいもあるし、京都の街は現代でも華やかで、発展した都会とは違った賑やかさがあって好きだった。
森見登美彦の新作を読んだら、また京都に行ってみたい。

で、音楽はやっぱりあんまり懐かしいとか、思い出のものがない。特にライブに行ったこともないし、CDを買ったことも1、2回ぐらいで、こういう音楽の思い出が羨ましくある。
バンプとアジカンはちょこちょこ友達に教えて聞くぐらいであんまり推しみたいな感じではないし。

とか考えていたら仕事の休憩時間が終わって、仕事再開だった。最近、仕事の休憩時間が本を読む時間になっている。たのしい。


仕事が終わって帰り道、雲が多い空でもわかるぐらい月の光が強くて、風で流された雲の隙間から丸い月が見える。

思わず笑ってしまうぐらい光り輝いていて、綺麗なまん丸。夜になると風は冷たくて、顔で感じる空気はやっぱり冬だった。

寒空だからあんなに月の光は綺麗に見えるんだろうか、暑い時に月を見てもたぶん暑いという感想しか身体は発することしかできないんだろうけど、寒い時は月の綺麗さに縋りたくなるぐらいには意識がはっきりしている。

ヨルシカの「月光浴」を聞きながら帰る。

2024/2/28

2月最後の日ではないというのがたのしいというか、お得な気がする。
閏年のように、そこには合理的な理由しか存在しなかったとしても、そこに生まれる空白にわくわくする。


今日は朝から掃除したり、ボランティアで必要なお菓子を買いに行ったり、色々した1日だった。休みなのに、仕事の日より疲れた気がする。

本棚を整理していたら読み返したい本をいくつか手に取って「水中の哲学者たち」が選ばれた。

人々と問いに取り組み、考える。哲学はこうやって、わたしたちの生と共にありつづけてきた。借り物の問いではない、わたしの問い。そんな問いをもとに、世界に根ざしながら世界を見つめて考えることを、わたしは手のひらサイズの哲学と呼ぶ。なんだかどうもわかりにくく、今にも消えそうな何かであり、あいまいで、とらえどころがなく、過去と現在を行き来し、うねうねとした意識の流れが、そのままもつれた考えに反映されるような、そして寝ぼけた頭で世界に戻ってくるときのような、そんな哲学だ。(「まえがき」より)

「水中の哲学者たち」(著:永井玲衣)
https://www.shobunsha.co.jp/?p=6703
晶文社HPより引用

何度も読み直している本ではあるけれど、問いが自分の力で思い浮かばない時には読んで、なんとか思考停止しないようにしている。

読んでいると、諦めるための言葉を大人になってからよく覚えたなと思う。
「それは仕方がない」とか「そういうものだから」みたいな、そう言えば暗黙の了解みたいな相手の理解を強要するような言葉を、時たま使いたくなってなんとか踏みとどまって、それでも疲れている時には全く意識せずに出てしまったこともあった気がする。

うーんとなりながらお風呂でも考えて、思いのほか歩いて疲れていたみたいで危うく眠たくて頭が滑り落ちそうになって目が覚める。

これ以上はだめだとなって布団にダイブして眠りへ向かう。その狭間で日記を書く。

寝る。

2024/2/29

閏年、閏日に日記を書くことになるとは思っていなかったので、タイトルを入力する時の違和感がある。

4年に1回の日、特別なことはそんなになくて、強いて言えば雨が降った後にふわっと舞い上がる朝のにおいというか、雨上がりの土のにおいみたいなのが心地よいぐらい。
十分だった。


そもそもなんで2月は28日しかないのかとか、閏日は2月になぜ設定されているのかを調べると、古代ローマの時代まで遡るらしい。
さまざまな発明が古代から連綿と続き、進化して今享受しているわけだけれど、暦がなかったら今の生活成り立たないような気もする。その場合は今とは別に日を定義したり、月を定義したりするやり方が発明されるんだろうか。

雨が何回降ったら次の季節とか、そういう天気任せな暦も面白そう。


「水中の哲学者たち」を読む。
何回も読んでいるはずなのに、間をおいて読むと幾分か新鮮な気持ちで読むことができる。自分の記憶力の無さがこういう時は役に立つ。

考えることは閉じて深めていくことではなく、開いて広げていくことが、結果的に思考の深さに繋がっていくのではないかとこの本を読んでいると思う。

そのためには聴くことも大切で、伝えること(言葉にすること)は、聴くことを通して頭の中で考えることになる。とかそんなことを感じる。

本を読んでいたら眠くなってきて、低気圧も手伝って思考がふやける。
2月29日とか肉の日だから、4年に一回だからすごいセールとかお肉屋さんはするんだろうかとか、ふわふわとした思考。

夜、寝る前に毎日日記を書いているので眠気に抗いながらnoteを開いているとついつい「眠い」とかばかり書いてしまう。

いっそのこと朝に書こうか。
もうそうしたらいつの日記かわからないけれど、この日記はもともとその日に起きた出来事を忠実に書いているわけではないのでそれもいいのかもしれない。

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