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2024/4/1〜4/30

2024/4/1

お酒を飲んで寝ると毎回決まって夢を見る。
眠りが浅い。

夢の内容は忘れてしまったけど、なんとなく後味の悪い夢だった気がする。

今日から年度初めなので朝早めに出勤。
ヨルシカの「春泥棒」を聞きながら歩く。

事務所の裏側に桜の木が生えていて、ちょっと前は蕾ぐらいだったのにしっかり花が咲いていた。
紛れもない春の風景で、春の風で、春の光だった。あたたかくて、やさしい光が朝に満ちていて気持ちいい。
花見もしたい。

昨日の結婚式のような幸せな空気から、同じ日本とは思えないぐらい当たり前の日常が今日で、温度差に風邪ひきそうで戸惑う。

友達と遊んだ次の日とか、なんであのたのしい時間が終わってしまったんだろうと悲しくなって仕事が捗らない。感情のバランスが悪い。


仕事を終えて帰宅。「読書日記」更新分を読み。リゾットが食べたくなる。「2666」に手を伸ばして本を開いたのに読めない。
本を読んでも、頭の中で処理しきれていない感じがあって、今は読むタイミングじゃないのかと焦る気もするし、しょうがないよねと開き直っている感じもある。

とにかく帰ってご飯食べ、シャワー浴びてから布団で眠たく、とにかく眠い。

明日の準備だけしてねむる。

2024/4/2

朝から部屋の掃除と風呂掃除をしていて我ながら褒めたい。

仕事、昼から働き、途中から頭痛で全てが憎くなる。

頭が痛くなると、この世の全てが頭痛の原因であるかのように不快になっていくのはなぜなのか。
PCの画面、たまに入ってくる風の音、同僚のタイピング音。

いつも常備しているはずの痛み止めはこの前カバンを変えた時に入れ忘れていて、狂いそうになっていく頭を誤魔化しながら夜まで働く。

本が読めない日が続く。
お風呂に入って、血行が良くなってなんとなく頭痛が治った気がするけど、布団に入って寝ていると微妙に頭が痛くなってくる。

葛根湯を飲み、寒気が少し来るのを感じて早めに寝たい。ここで風邪をひくのだけは勘弁だと思いながら、風邪ってなんで「ひく」っていう言葉でその状態に移行するんだろうかとか考えていたら眠たくなってきて目を瞑る。

日記を書くためにnoteを開かねばと開いて、iPhoneから日記をつける。

低気圧が近づいているのか、風邪なのか。明日になればたぶんわかる。

2024/4/3

起きたら昨日の頭痛はほとんど消え去っていて、念のため薬を飲んでおく。

痛みがないってこんなに素敵なことなのか、世界が数段愛しく思えるよと気分が、テンションがおかしくなりながら仕事。

3日、4日ぐらい前は春を通り越しているぐらいの気温でなんなら暑かったぐらいなのに、昨日今日はちょっと寒い。
春っていつもどんな格好だったけ?と、季節の変わり目にはいつも服装で悩まされる。


この間noteを更新したら123日連続更新と出ていて、123日も買いているのかと驚いたというか、よくも飽きずにまあ書いているなと我ながら面白い。読み返すのがnoteだと時間がかかるし、今考えているZINE以外にも日記のZINEを作ろうかとか悩む。気分が乗れば作りたい。


昼休み「さびしさについて」を読む。
誰かと一緒に暮らすこと、その人に責任を持つことってどんな感覚なんだろうと思う。責任、という言葉が気にならなくなるほどに大事なものという感覚なのだろうか。


夜になり帰る。

やってみたいイベントが思いついたので今度やってみる。GW明けか、最中がいい。

1人でやるイベントも久しぶりだけれど、1人だから色々自由にできることもある。旅と一緒。

一人が当たり前になってくるとたまに誰かと行動した時に、いつもの感覚と違うので気をつけないといけない。

今日もやっぱり眠気が強く。朝からの低気圧のせい。ねむい。

2024/4/4

低気圧によって全てのやる気が上から蓋をされているような気分。

朝起きて最初に感じた感覚がそれで、頭が重いぞとなって午前中はずっと布団の中にいた。

買い物に行きたかったので無理やりシャワーを浴びて無理やり交感神経の働きを上げる、ちょっとやる気が戻る。

この隙に…!と思って外に出て昨日から続く曇りで春っぽさがどこかに行ってしまったようで悲しい。


ちょっと肌寒そうだったのでコートを着てきて正解。電車に乗り、乗りながら「さびしさについて」を読む。

「ひとり」になるのが怖いという感覚について触れているところがあって、1人の時ほど当たり前だけど「ひとり」を実感して孤独になって寂しさを感じるけれど、誰かといると「ひとり」でしかできないことや、一緒にいることのもどかしさを感じざるを得ない(それが不必要であるかどうかは別問題として)。

とか、著者の娘さんが幼い時に知り合いの名前を呼んで覚えているということがわかった時の話が印象に残っている。

覚えてもらっているということは、存在を許してもらっているような、その人の中に自分がいるということを嬉しく思う感覚がある。

逆に忘れられると、その人にとって自分は重要な存在ではないということの当たり前さに悲しくなってしまう。

さびしさは許すことと、許されることに密接に関わるのかもしれないと思いながら読了。

目的地に着き、いつもの本屋に行って「夏葉社日記」(著:秋峰善)を買う。気になっていたやつ。

「師匠への長い長いラブレター」

出版社2社から「戦力外通告」を受けたぼくには行き場がなかった。藁にもすがる思いで、夏葉社に電話をかけ、手紙を書いた。
幸運なことに、憧れのひとり出版社・夏葉社で約1年間、代表の島田潤一郎さんと働くことになる。そんな宝物の日々をここに綴る。
第2の青春、再生の物語。

「夏葉社日記」/著: 秋峰善(版: 秋月圓)

池が見えるお気に入りのスタバで一気に読んだ。

著者のかたのnoteを読んだことがあって、そこから本の形で出版されると知ってずっと気になっていた本。

島田潤一郎さんのことは「古くてあたらしい仕事」と「あしたから出版社」を読んですっかりファンで、その島田さんがやっている夏葉社で働いている人!となって驚いたのが第一印象だった。

本を読んで、著者の方の想いや、夏葉社での活動を目で追っていくごとにこの人の企画した本を読んでみたいと思った。いつか読めるといいな。どんな形でも。


よい読書の日だったのでお酒を買って帰る。
成城石井で買ったなんかよさげなハイボールのやつ。
セブンイレブンで冷凍のリゾットのやつを買って帰宅。

2024/4/5

お酒を飲むと決まって見る夢がある。

今はもう会えない人と会うとか、行けない場所に行けるようになるとか。そういう後悔みたいなのが詰まった夢を見る。

ので、朝の目覚めは悪いとしか言いようがなく眠い。

朝から気分が乗らないので音楽をかける。
ヨルシカの「夜行」。歌詞のリズムがとてもいい。

君立つ夏原、髪は靡くまま、泣くや雨催い夕、夕、夕
夏が終わって往くんだね
そうなんだね

「夜行」/ヨルシカ
作詞:n-buna 作曲:n-buna

泣くや雨催い夕、夕、夕の流れがとても好き。

昨日買ったセブンのリゾットがとても美味しく、fuzkueの読書日記にリゾットが出てきたので思わず買ってしまったがいい買い物だった。

あらゆるリゾットを試したい。

リゾットの美味しさと音楽に救われて仕事へ。

なんだか色々な人に出会ったり、仕事が進んだ日だった。結構忙しい。年度はじめ、そろそろ動き出したい。


ちょっとだけ残業して帰宅。

帰るとfuzkueで頼んだ「デリケート」(著:山口慎太朗)が届いていて一気にテンションが上がる。
装丁がよい。

【あらすじ】

 就職活動をすぐに諦めた折原明(おりはら・あきら)は、大学を卒業して「新宿檸檬シアター」という小さな映画館で映写技師としてアルバイトを始めた。お金がないことを理由に、同じ映写技師の美工藤絵理(びくどう・えり)とワンルームでの共同生活を始める。東京・新宿のミニシアターを舞台に繰り広げられる、若者たちの青春群像小説。

「デリケート」(著:山口慎太朗)
fuzkue オンラインストアより【あらすじ】引用
https://shop.fuzkue.com/products/delicate

読書日記を読んでからずっと気になっていた小説。一気に読むのがなんだかもったいなくて
一旦袋から出さずに置いている。明日から読みたい。

晩御飯食べ、シャワーを浴びて布団に入る。
春っぽい陽気を少し超えて暑い日もある時期。

花見もしたいし、寿司も食べたい。
やっぱりしばらくはリゾットを食べたい。

眠気でまぶたが落ちそうになって限界。

2024/4/6

朝、ちょっとゆっくりできてこの前家族がくれたはちみつ紅茶を飲む。朝方はまだ寒いので温かいのが嬉しい。

家出て仕事。

昼休みに初めて「超相対性理論」のポッドキャストを今更ながら聞いて面白く、午後からの仕事に向けてテンションが上がった。

ネガティブ・ケイパビリティの件が面白かった。まだまだ追えるアーカイブがあるのでちょこちょこ聞いていきたい。

夜まで仕事し、帰宅。

「無人島には水と漫画とアイスクリーム」(著:最果タヒ)を久しぶりに読んだ。
漫画「宝石の国」について書かれた章があって、何年か前にスーパー銭湯に置いてあったものを読んでめちゃくちゃ苦しくなった気持ちを思い出した。物語の内容とかはほとんど覚えてないけれど、主人公の置かれた状況とか、そうなるしかなかったみたいな変化に対して救いが(個人的には)なかったように思えて辛くなってサウナに行って気を紛らわしていたのは覚えてる。

久しぶりに読んでみたい。

2024/4/7

休みの日は最近午前中のやる気がすべて終わっていて苦しい。

それでも朝ごはんを食べるために起きて、食べ、「2666」を読む。
久しぶりに読めて、相変わらずの面白さで嬉しい。

人間関係が複雑になってきたかと思いきや、男同士の友情というか、似たもの同士の歩み寄りみたいなのが感じられて好き。

一章でさえまだ終わる気配がない。
ずっと読める。


夕方から予定があったので、少し早めに家を出て電車。
普段乗らない線に乗って目的地まで行くと、観光地だったので外国人がたくさんいて、それ以外の人もたくさんいてうおおお!!人だ!!となりながら、人混みを避けて歩く。


春っぽい陽気というか、曇りながら湿気があってジメジメ暑い。あったかいを通りこしてもはや暑くて、半袖短パンの人も多くて夏では?となる。

今半袖短パンを解禁してしまったら夏の装いがもはや全裸になってしまうのではという危惧がある。季節とのプライドバトル。


予定まで少し時間があるのでスタバ。
観光客で賑わう店内は席争奪戦で、注文して商品を受け取るタイミングで運良く空いた席に座る。

満を持して「デリケート」を読む。

一つ一つのセリフというか、登場人物同士の掛け合いがめっちゃいい。美工藤さんがやっぱりめっちゃよくて、いちいちかっこいい。

「2666」とかを読んでいる時とは全く違う読書体験というか、作品が違うからそりゃ当たり前なのだけど、空気感が全く違うので読む時の身構え方が違う。

舞台の一つである高円寺はこの前の東京旅行の時に行ったばかりだったので、か細い記憶を辿って物語のにおいを掴もうとする。

東京のまちはどこもかしこも物語が染み付いてる。迂闊に住民になりたくない。

期待以上にやっぱり良くて、これを読む前に戻りたいというか、5年後ぐらいにもっかい読み直したいなと思う。

読み終えて、予定していた打ち合わせというか見学へ。

今度イベントをさせてもらう場所の見学。

写真では見ていたけどやはりよい。
イベントさせてもらうのが楽しみ。


打ち合わせとか契約とか諸々の話を終えて、電車に乗って帰宅。夕方になってもジワジワと暑く、服装を考えないといけないかもしれない。

電車に乗って帰り、帰宅途中にダミアン・ライスの「Delicate」を聞く。
こういう音楽を見つけて、共有できる青春が送りたかった。


電車に乗り、晩御飯にリゾットを作るためにスーパーに寄ろうとしたけど力尽きて、コンビニでリゾットとお菓子を買って帰る。
悔しい。

次の休みは絶対にリゾットを作りたい。

2024/4/8

ここ数日起きた時に筋肉が固まっているみたいな、ぎちぎちとした痛みがある。
緊張しながら寝ているのだろうか。早くふにゃふにゃになりたい。


朝起きて曇り。昼過ぎから雨が少しだけ降って、職場近くの桜が一気に花を散らせていた。
窓から見る桜の花びらが舞っている様子が、儚いという言葉がぴったりでしばらく眺めていた。

帰り、桜の花びらが以上なぐらい道路に張り付いていてコンクリ色にピンクが映えていた。映え。

ヨルシカの「春泥棒」を聞く時だと思い立って聞く。桜、瞬きさえ億劫。

帰り、イベントの準備。
お知らせ用に文章と画像を作ってSNSで流す。

特に予約がいるようなイベントでもないので、当日何人が来るかわからないけれどお客さんが0でもまあいいかという気持ちがある。
さすがにだめか。集客頑張らねばね。

仕事で1日動いてクタクタになって、いい意味でのふにゃふにゃにはなれなくて辛い。

ふわふわした敷布団が欲しい。
本が読めない。

「デリケート」の余韻が残っている。

2024/4/9

桜がどんどん緑になっていく。
春が始まるのも突然で、終わるのも早いんじゃないかと寂しくなる。

ここ最近本を読む時間がアニメとか映画を見る時間に変わっている。
マッシュルを今更見ているのだけど面白い。

キングスマンを久しぶりに見たくなった。
昔、好きだった人と見て、終盤に向かうにつれてむちゃくちゃな展開にお互い笑ってたのしかった記憶がある。「マナーが紳士をつくる」みたいなセリフがカッコよかった。


キタニタツヤの「次回予告」がとてもいい。
スーツを着て仕事に行く日に聞きたい。

今度こそリゾットを作ろうと思ってスーパーに行って、途中で見かけた冷凍食品の餃子に負けてまた作れなかった。玉ねぎとニンニクとベーコンは買えたので、次は作れるはず。

「デリケート」を読んでから、東京の街の物語性について思いを馳せている。考えているというほどじゃないけど、なんかいいなぁとかそういう思いが頭を巡る。

高円寺とか下北とか、上野とかいうだけで物語の舞台として十分に成り立つ感覚というか、地元の地名とか出しても物語の舞台っぽくはならないし、やっぱり知名度が高いと舞台っぽくなるんだろうかとか。そういう意味のない思考ばかり繰り返している。

東京の街を歩く時、そういう舞台の中で歩いているような気がしていて好きだった。気持ち悪いぐらいの人が住んでいて、働いて、ひしめき合っている街。いろんな人生が交差して絡まって簡単にほどけたり切れたりしながらすれ違う場所で、どうでもいい登場人物として歩いているような感覚が好き。

桜の花びらが水面に浮かんでいる様子を「桜筏」と表現できることを知って嬉しくなる。
水に散った花びらを見て、何かに例えることで風景を表現しようとした人がいるということが素敵だと思う。

夜、寝る前にイベントのお知らせ用のチラシを入稿する。私用で印刷会社に入稿するのは久しぶりだったので緊張した。

届いたらいろんな場所に配りたい。

2024/4/10

朝起きて窓を開けて外の光を入れると人間って感じがして晴れやかになる。
俺は人間だからなんでもできるぞという自己肯定感のような紛いものが湧き上がってくるので好き。

部屋に風が通ると気持ちがいいので、ずっと窓を開けておきたい。防犯と居心地の良さのバランスとか、考えたくないな。

打ち合わせ、打ち合わせ、打ち合わせの日。
何を自分が話しているのかわからなくなって、集中力の低下を自覚する。
どこかに行こうとする意識をなんとかこの場に手繰り寄せて、話を進める。

色んなことがちょっとずつ落ち着いて、また色んなことが始まる年度初め。

「2666」がめっちゃ読まれて、相変わらず学会に参加している研究者たちがかわいい。
やっぱり四畳半神話体系のようなアニメーションで脳内再生される。
と思っていたら物語は恋愛が絡んできていて、アルチンボルディはどこにいったんだとか思わなくもなかったけど面白かったのでそのまま読む。
学説とか研究で繋がっていた関係が恋に発展するっていうのが遠いことのようで、社内恋愛とかと似たようなものなんだろうか、安易な理解とかはいらないからやめておこうと思って物語に集中する。

わかったふうなこと考えて理解した気になって読み進めると、それ以上の理解が得られない気がして怖い。


今までにないぐらい読めて、でも第一章がさっぱり終わる気配がなくてたのしい。

図書館で借りている状態だけれど、Amazonとかで買おうか迷う。買って手にしたい気持ちと、買ったら読み切る前に次の本を買って結局読めないんじゃないかという気持ちでせめぎ合っているうちにお腹が減って先送りにした。

夜ご飯を食べるにはちょっと遅く、寝るには早い時間帯だったので、家に置いているのど飴で食欲を満たす。糖分で満腹中枢が誤魔化されて欲しい。

水族館特集のBRUTUSがまだ読めていなかったので途中から読む。水族館に展示されている生物の紹介があって、水族館で見るとあんなにかわいかったり綺麗だったりするのになんで誌面で見るとグロテスクに思えるんだろう。
あんなにゆらゆら揺れて癒されるクラゲとか、急に誌面だと生き物です!!みたいな感じが強くなって怖い。生き物怖いよな。

それでも水族館は青くて、魚たちが居心地よさそうにゆらゆらしてるのが見えて好き。

2024/4/11

夢の中で誰かに言われ何かが起きた時にすっごい悲しくて目が覚めてからしばらくは記憶に残っていたはずなのに日記を書く段になって忘れた。

悲しみから始まった朝でも昨日から決めていた通り、家の庭の草引きをする。偉い。

冬の間はどうせそんなに生えないだろうとたかを括っていて、もういいかげん春だからそろそろ綺麗にしないといけないなとか思っていたらめちゃくちゃ伸びていて引いた。たんぽぽとか花が生えていて、なんか庭っぽくなっていた。綺麗。

このままでもいいかと思いかけたけど、今やらないとマジでジャングルみたいになると己を奮い立たせて草を抜く。

軍手をして、庭の草を抜いては抜いて、引き抜いていった。

とてもじゃないけれど数十分やっただけでは全部綺麗になるわけもなく、結局目立ったものだけを綺麗にして終わった。次引っ越すときは庭のない家を借りたい。


朝はそうやって草引きをしたらなんとなく満足して、昨日に引き続いて人間っぽい朝だと感心しながら、草引きしてからはしたいことも忘れてアニメのキングダムを見ながらごろごろする。キングダムやっぱり面白い。軍略とか、全体の設定はちょっとみない間に忘れるけど、キャラクターたちの行動というか、信念みたいなものが明確で好き。

昼過ぎまで見て、お昼ご飯にようやくリゾットを作る。
にんにく、玉ねぎを切り、炒め、ベーコン入れ、ご飯投入して水も入れて、コンソメも入ってちょっと煮詰める。後に牛乳とチーズも加えれば完成。

思っていたより黒く、茶色くなって失敗の匂いがする。食べてみたけど不味くもなく、美味しくもない微妙な味だった。リベンジしたい。


夜から予定あり、大阪へ出る。平日の夜にも関わらず人がやっぱり多い。友達とご飯を食べに行き、近況報告とか仕事の話とか。鶏肉がうまかった。

同年代の人と話をしていると自然に仕事とか、結婚の話になっていき、周りで結婚している人とか、子どもは欲しいかとかそんな話になる。
最近は結婚式に行ったり、新婚の人と会って話したり、連絡とったりしていたのが続いているのもあって、自分の歳だったらもう結婚してても、さらには子どもがいてもおかしくない年齢だよなあとか想いながら、そういった欲をあまり持たないことに救われるというか、ほんとだったらもっと焦らないといけないのかもしれないなあと思う。

「さびしさについて」を以前読んでいた時に、結婚とか、子どもを育てるということに対して途方もなさ、自分からは遠い現実の話のような感覚があって、でもいつかそういう状況に自分も置かれる可能性があると思うと、現実を見ていないだけなのかもしれないとも感じる。

人と一緒にいること、人を育てる可能性があること。生物としても、社会で生きる人間としての当たり前の可能性ということを意識する。

帰り道、上を向いた時に流れ星みたいな、丸い光がぴゅーんと軌跡を描いて飛んでいった。嬉しい。たぶん流れ星。数年ぶりに見た。流れ星が嬉しかったので帰りにアイスを買って食べる。

2024/4/12

昨日作ったリゾットのニンニクのにおいが手からする。ニンニクを切ると口臭より手の臭さを案じる。くさい。

仕事前に図書館に寄って返却。「2666」は結局第一章も読めずに終わってしまった。いつかリベンジしたい。

借りていた本を返して、新たに本を借りる。
「不完全な司書」(著:青木海青子)、「大阪」(著:岸政彦、柴崎友香)、「ネガティヴ・ケイパビリティで生きる 答えを急がず立ち止まる力」(著:谷川嘉浩、朱喜哲、杉谷和哉)の3冊。

読むのが楽しみ。

仕事を終え、帰り道にSpotifyで超相対性理論を聞く。いろんな概念と具体的な話が行ったり来たりで、まさに具体と抽象でおもろい。

組織の中での疑心暗鬼とか、諦めをどのように防ぐか、扱うかという話題。

帰ってからちょっとだけ「不完全な司書」を読む。

奈良県東吉野村にひっそりとたたずむ「ルチャ・リブロ」は、自宅の古民家を開いてはじめた私設の図書館。
このルチャ・リブロの司書が綴る、本と図書館の仕事にまつわるエッセイ。
人と接するのが苦手で、本という「窓」から外の世界と接してきた。
そんな著者が自らの本棚を開放することで気づいた「図書館」の本質的な効用。
精神疾患を抱える「支えられる立場」から、司書という「人を支える立場」になりえた体験を通じて、司書の仕事の豊かさ、奥深さ、そして本という「窓」の持つ力が伝わってくる。
読むと訪れてみたくなる、ある個性的な図書館の物語。

「不完全な司書」(著:青木海青子)/晶文社
公式サイトより引用
https://www.shobunsha.co.jp/?p=7921


一度だけ行ったことがあるルチャ・リブロを思い出しながら読む。
私設図書館とありながら、本棚いっぱいに並んだ本を見て驚きと、わくわくを覚えたのが懐かしい。
少しの時間しかいられなかったけど、本を読むのに集中できた時間で、その場に居合わせた人たちもみんな本が好きな人で、居心地のいい空間だった。

あの場所の裏側というか、意味みたいなものを考えながら読んでいる。

2024/4/13

起きた時から調子が悪くて、季節の変わり目になると体調を崩すのは子どもの時から変わらない。

ほんのりとしんどく、身体のだるさに反して集中力はいつもより何故かあって仕事が進んだ。

帰宅して葛根湯。のど飴。

帰りに柿の種を買って晩ごはんにする。

春ってこんなに夏日みたいな気温を出していたんだろうか。昼間は暑くて、夜と朝は若干寒い。適応できていない気がする春。

頭がぼーっとしてくる。春の思い出が頭によぎる。お花見、春の公園。お酒を飲みながら本を読みたい。

熱っぽくなる体を自覚して、自分の輪郭がぼやけてくるのおもろい。

2024/4/14

体調を崩したときはYouTubeでガーリィレコードチャンネルを見ている。
体がしんどい時に見ると元気が出てめちゃくちゃいい。雨ちゃんが復帰していて嬉しい。

朝から換気のために窓を全部開けて、ついでに洗濯物を干していて人間らしい生活。
気持ちのいい晴れ模様で、窓から入って来る風と光が春、昼に連れて暑さが運ばれてきて夏。


常備していたおかゆとかレトルト食品に助けられながら、徐々に回復しているのを感じる。

洗濯物が風に揺られているのを窓越しに眺めながら昼寝。

夕方起き、ちょっとだけ本を読みたくて「不完全な司書」の続きを読む。

読んでいるけど、なんだか読めていない気がして少しだけ読んでやめる。元気になったら読む。

寝ねがら超相対性理論を聞き、ぼやけた頭でおもしれーと聞きながら、このポッドキャストを聞くと仕事をやる上で集中力が上がる気がする。

深井さんが「対話の中で刺激を受けながらだと思考がまわるタイプ」みたいなお話をされていて、それな〜と思いながら聞いてる。

晩ごはんにたこ焼きを食べて、VCRRustを観る。ストリーマーの人たちの共同生活というか、一つのゲームで繰り広げられるシーンがどれも面白い。

2024/4/15

夢うつつになって、夜中に起きて、寝苦しさに襲われて「うううーーんんんん」とか唸りながら寝たのを覚えてる。

最近結婚のことが話題にされたり、したりみたいなことが多かったのでなぜか自分が結婚しているシーンを夢に見て、え、僕結婚してる?と思った次の瞬間には誰かの結婚を祝っているパーティー会場に出席していて、なんだこの夢と思って目が覚めた。

夢を見ると目覚めが良かった試しがないし、だいたい眠りが浅いので寝不足だった。眠い。

今日は仕事で、昼前に職場に行く。職場に行く道中の日差しがもはや夏のようにぎらぎらとしていて、さらには前からすれ違う自転車に乗ったおっちゃんも半袖短パンでもう夏じゃん、となった。暑い。

夜まで働き。
帰り道に超相対性理論。
「セルフブランディング」の話。自分を記号化するとわかりやすく伝わるけど、解像度が荒いままでのコミュニケーションだったりビジネスになるので危ない面もあるみたいなお話で、自分がフリーランスで働いていた時に、最初それでめちゃくちゃ失敗したのを思い出した。苦しい。

苦い記憶を味わいながら帰宅。

晩ごはん食べて「不完全な司書」を読む。
ルチャ・リブロで出会う人の言葉や、気にかけてもらうこと、本で出会うことを灯りと例えられていて、夜の海に出ている中で灯りと出会うみたいな話をされていて、いい表現だと思った。

前も見えない、時には雨も嵐も来るし、どこまで進んだのかわからない夜の海を進む船頭であることが避けられない中で、それでも時折灯る光に希望を見出して、生きていくのだと、思って風呂へ。

お風呂では「未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために―」(著:ドミニク・チェン)が久しぶりに読まれた。全然わからん!と最初の話でつまずいてからもう一度読むと、知識不足で読み進められなかったものを時折素通りしながら、自分の理解につながるところを見つけて一旦お休み。

2024/4/16

体調がちょっと回復していて気分がいい。
朝から仕事に出て、相変わらず春っぽい暖かさを通り越して暑い。

1日通して暑く。上着もいらないぐらいの気温でまいってしまう。

まだ春の気分でいたい。

仕事でやり取りしている人が、連絡をくれるたびに周りの景色とか季節のことを伝えてくれて嬉しい。

帰り道。
遠くの雲が黒くなっていて、雨の気配。
そこから雨の匂いがする。

風呂から上がると気分が悪くなって、無理やりご飯を食べて布団で寝る。しばらくしてまた復活して、春と夏を行き来している代償を払ってる。

花見がしたかったのに、もう桜もほとんど散ってしまって緑色になった。

桜を見ながら本が読みたい。

2024/4/17

久しぶりにLINEが来た友達から「back numberみたいな恋愛をする青春をしたかった」と言われ、そんな青春を過ごしたら過去に囚われすぎて2度と恋愛できなくなるぞと言っておいた。

知らんけど。

仕事して、帰宅。

自分が企画するイベントに向けて知り合いの方にお願いをしたところ快く引き受けてくださり、世界の優しさを知る気分になる。思わず規模感の言葉が大きくなるほど嬉しい。

本を読むには家の中が暑いので扇風機を出した。回すとちょっと寒い。世の中が難しい。

今日だけで世界の優しさと難しさを知ったので、暑いので、この前買ったアイスモナカを食べる。バニラのやつ。美味しい。

超相対性理論を聞いたり、コンテクストデザインのことを書いたnoteを読んだり、ファシリテーションの本を読んだりしているうちにこれからのキャリアのことがなんとなくぼんやり見えてきた気がしなくもなくもなくもない。

相変わらず本が読めていないが、明日は休みなので読みたい。

2024/4/18

午前中は残っていたアイスモナカを食べてご機嫌。
なんとなく動く気になれなくて気づいたら午後。

5月にやるイベントのお知らせのために、大好きなお店に広報用のポストカードを配りに行く。

どのお店も快諾してくださって嬉しい。

いろんな人とお話ししていると、自分を実像より大きく見せたがるというか、言葉を選んで少しでもよく思ってもらおうみたいな意識が働いて息切れする。

そういう時は大抵、心臓が早く動いているのを感じて苦しくなる。

でもこういう背伸びもたまには筋トレになっていいのかもしれない。苦しいのでたまにでいいが。

お店巡りの間にスタバによって読書。
「不完全な司書」を読み終える。

呪いの言葉についての話があって、他者を縛る言葉は自分を同時にも縛っていて、いつかがんじがらめになって動けなくなるという。

心当たりがあって苦しい。

ルチャ・リブロにまたいきたくなった。


帰り、いつもお酒を飲む店にもポストカードを設置しにもらいに行き、ついでにお酒も飲む。日本酒が美味しい。

お客さんが来るのをあんまり想像していないので、意外と人が来てくれるんじゃないかとお店の人と話していると思えてきて若干怖い。お客さんが来てくれない怖さというよりかは、もしいっぱい来てくれた時に今回の目的に沿った場にできるのだろうかという不安。

どんな状態になっても対応できるようにしたい。

今日お願いしに行った本屋さんで買った「読書の日記 皮算用 ストレッチ 屋上」(著:阿久津隆)を、帰りの電車で読む。

読書の日記シリーズでは購入するのが2冊目。

前回購入した作品の続きになっていて楽しみ。

スタバから遠くに見えた山が灰色に覆われて、先まで見通せない景色が頭に残っている。その景色だけが冬の気配が残っていて冷たく、暑くなった今日の気温にちょうどよくて名残惜しい。

お酒を久しぶりに飲んだせいで眠気がすごい。
寝過ごさないように電車の走る音に意識を向ける。余計に寝そうになる。

2024/4/19

昨日は結局酔っ払いながらなんとか最寄り駅に辿り着き、帰宅途中にあるセブンでリゾットの冷食を買って晩ごはんにした。やはりセブンのリゾットは美味しい。チーズの味がする。

というところまでは覚えていて、それからはどう寝たのかうろ覚えで、予定より遅い起床で慌てる。

明らかにお酒の酔いが残った頭でぼやけたまま朝ごはん作り、仕事に行く時間まで少し余裕があったので掃除。

アルコールの影響があるとかないとか以前に、最近は体がかちこちになっている気がする。そろそろよい寝具とかにお金を使うべきなのかもしれない。

とかそんなことを友達に会った時に話していたら、整体を勧められた。
でも一度整体をしてしまうと、整体がない生活には戻れないというか、身体の不調があったら整体に行こうちたいな選択肢が出るともう戻れないみたいな謎の危機感がある。呪術廻戦にも似たような葛藤があったはず。

仕事終えて帰宅。

超相対性理論で知ったネガティヴケイパビリティについてもう少し知りたいと思って図書館で借りた「ネガティヴ・ケイパビリティで生きる
答えを急がず立ち止まる力」を読む。

スピードが要求される加速社会を生きる私たちは、日々、即断即決をよしとする世界に暮らしている。物事を性急に理解し、早々に結論を出し、なんでも迅速に解決しようとする。しかし、それだけでいいのだろうか。
「ネガティヴ・ケイパビリティ」とは謎や不可解な物事、問題に直面したときに、簡単に解決したり安易に納得したりしない能力のこと。即断せずわからないままに留めながら、揺れながら考え続ける力とも言える。先行き不透明で変化に満ちたこの世界を生きるためには、「これで大丈夫なのだろうか」と自分を疑い、不確実性や謎にまみれつつ、より深く本質に迫ろうとする姿勢が必要だ。
新進気鋭の哲学者・谷川嘉浩、哲学・倫理学とビジネスを架橋する哲学者・朱喜哲、エビデンスに基づく政策を研究する公共政策学者・杉谷和哉の3人の対話によって、データビジネス、アテンションエコノミー、SNS、倫理・哲学、教育、政治、陰謀論、アニメなど、さまざまな切り口から現代社会を読み解き、ネガティヴ・ケイパビリティの実現可能性を描き出していく知の饗宴!

「ネガティヴ・ケイパビリティで生きる
答えを急がず立ち止まる力」
(著: 谷川嘉浩、朱喜哲、杉谷和哉)
さくら舎公式サイトより引用
http://sakurasha.com/2023/02/ネガティヴ・ケイパビリティで生きる/

ネガティヴケイパビリティが正しいとか間違っているとかそういう視点に立つつもりはないけれど、仕事をしていると育っていくポジティブケイパビリティの価値観とは別のものも知っておきたいなとは思う。

読むのが楽しみ。

風呂に入って「未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために―」の続きを読む。

良き先生に会うことは、人の人生にとって幸せなことだよなと思いながら読んでいる。

夜になると最近気分が悪くなって落ち着かない。仕事中に飲むコーヒーがよくないのかもしれない。カフェインから離れた人生を送りたい。

2024/4/20

4月も3分の2が過ぎていて、時、あまりにも早すぎでは?と疑う。

仕事とかイベントの準備とか、プライベートが諸々今年一慌ただしくって1人でウケてる。ゴールデンウィークを抜ければ忙しさが落ち着くの、完全にスケジュールをミスっている。苦しい。

ネガティヴケイパビリティの本を読み、こういうような、物語というか描写がない文章が続いていくような本は読むのに時間がかかる。

途中で超相対性理論の続きを聞く。答えがない問い(あるいはより議論されることを望んでいる)を元にして、パーソナリティーの3人がさまさな視点や、知識をもって議論するのめちゃくちゃ好き。毎回問いがたのしくて、効いているだけで面白い。

毎年この時期になると黄砂の影響を受けていて、途端に体調が悪くなったのを思い出す。最近しんどかったりしたのは黄砂が原因かもしれない。海を渡って砂が飛んでくるって地球すげえなと感心はするけれど。

超相対性理論で聞いていて面白かったのは、考えることを考えるというテーマの話で、どういう状態が考えていると言えるのだろうかという話題。

考える、ということとか、仕事において判断することとか、良いアイデアってどういう要素なんだろうかと、ポッドキャストを聞きながらうんうんと考えていた。

特に考えていたのは、フレームワークだったり、後輩とか部下に対してマニュアル的な方法や思考プロセスを教えることが塗り絵のようになってしまって、考える行為とは言えないんじゃないかとかいう話で、確かに〜と思いながら気づいたら布団に入って寝かけていた。

体調不良が続くと、元気な時の感覚が薄れていって、万全の自分とか記憶にあるんだろうか。

わかりやすくHPが全回復する薬とか食べ物が欲しい。

2024/4/21

職場裏にある桜がもうほとんど緑色になっていて、もう春は終わっていってしまったんだろうかと悲しい。春ってこんな短いのか。

朝から仕事でイベントをやっていて、今度プライベートでもイベントをすることになっていてもうイベント屋さんみたいになっている。イベント屋さんなのかもしれない。

もう全く本が読めない日で、ずっと動き回っていた。帰って一回泥のように眠り、泥になって、体をなんとか保って風呂。

最近イベントの告知用というか、アカウントを見た人がこんな人なんだなと思ってもらう用に今年に入って読んだ本を投稿している。

1月、2月、3月と読んだ本を日記を読み返しながら思い出して、またいろいろ読みたくなってきた。

諸々返信していて、眠気がまた瞼に乗っかってきて日記を書いていて限界。

明日こそ本の続きを読む。

2024/4/22

今日は1日休みで、昨日のイベントの疲労が抜けておらずで外に出る気が全く起きない。布団からも起きれる気がしなかった。

朝はなんとか起きて、洗濯機の掃除。今更になって洗濯機が動いている様子をまじまじと見ていておもろい。

朝ごはんを食べて洗濯物を干そうと思ったら窓から見える景色が明らかに曇りで、曇天だった。窓を開けたら雨が降った後によく聞く鳥の鳴き声が聞こえてきた。

カーテンを膨らませる風が入る。少しだけ土の匂いが混じっている。

午前中は掃除して、本をちょっとだけ読む。
「ネガティヴ・ケイパビリティで生きる: 答えを急がず立ち止まる力」の続き。

ちょうどこの前聞いていた超相対性理論の話と重なっていて、自分の思考は結果にすぐ結びつけたがるからそれを我慢して、論理と自分の感情とか経験を辛抱強く結果を待つという姿勢も大事だよなと思う。

続いて「読書の日記: 皮算用/ストレッチ/屋上」もちょっとだけ読む。前作に引き続き、また読書の日記が読めるの嬉しい。

午後からも外に出る気が起きずでずっと寝ている。「宝石の国」が無料公開中だったので一気読みして、前見た時よりは感情が落ち込んだりはしなかったけど、どんどんスケールが大きくなっていって、フォス…となった。

いろいろ一気に読んだせいか頭が痛くなってきて、さすがに外に出て歩いたほうがいいかと思い散歩。朝には止んでいた雨が、夕方にはまた降り出してきて、予期していなかった雨にいきなり降られている人も多かった。
頭痛が始まったのは低気圧のせいだったのかもしれない。

帰り、晩御飯食べて、日記を書いているとやっぱり眠くなる。珍しく明日も休みの日だったので、2日連続でゆっくり眠れるのが嬉しい。

疲労感が抜けてない感じがして、全身が怠い。マッサージチェアが欲しい。

2024/4/23

サブスクの音楽アプリで曲を聴くとき、候補に上がってきた知らない曲を削除して、俺は良い出会いを自分から消しているのかもしれないと思い至り落ち込む。自分の好きなもので囲まれたい時だってあるだろうと無理やり納得させて落ち着く。

休みだけど朝から打ち合わせで、シャワーで無理やり眠っていた頭を起こして出かける。

ちょっとだけ心配していたのだけど、めちゃくちゃ良いお話が出来たので嬉しい。打ち合わせ相手の方々のおかげ。現実に起こしていく時に、どこまでこのワクワクを形にできるのかが楽しみ。

そこから美容院に行って整えてもらい、美容師さんとのやりとりで行きたかったフェスのチケットを取り忘れたことを思い出して落ち込む。落ち込んでばっかりな日だった。

帰りにギャラリーというかカフェというか難しい場所で本読み、クラフトビールもいただく。
夕方ぐらいからお酒飲むの楽しい、お酒美味しいとかご機嫌になりながら「大阪」を読んでいた。

そこには紛れもなく「大阪」があって、生活があって、歴史があって、人の記憶だった。街と共に生きた人との生活、今との距離感が書かれていてとても楽しい。
今の自分が、生まれ育った街を書いたらどうなるのか、そういう気持ちも芽生える。

良い気分になりながら帰り、曇り空の下で色濃く緑を生やしている山々を窓から眺める。夜に差し掛かって、影が濃くなっていく山たちを子どもの頃から変わらないものとして嬉しく思うし、この山の向こうに何があるんだろうかとかそんな冒険心みたいものが無くなって、ただ山向こうの地域と、こちら側を分けるものみたいな感じで単なる壁のようなものとして感じだ時はいつだっただろうか。

ちょっとまた落ち込み、酔いと眠気に任せて布団に入る。
良い出会いもあったし、よく本も読めた。
今日はいい日。言い聞かせる。

2024/4/24

車窓から見た海を夢に見ていた。
電車の中から眺める海からは潮の匂いも、波の音も届かずに、ただ光を浴びてきらきらとする水面だった。
ガタンゴトンと走るたびに音を出す電車に身を委ねている。もっとずっと眺めていたいというのに、現実の電車と同じように何も気にせず走ってゆく。そうして電車がトンネルに入った後、ようやく海の、波の音がしたような気がして目が覚めた。

やっぱりお酒を飲んだ翌日は決まって夢をみる。が、今日は珍しくいい夢だった。
この前東京に行った時に、道中で眺めた海がまだ目に焼きついている。
熱海を超えて、横浜へ向かう道中の根府川駅。海が綺麗に見える旅は何度やってもいい。


そんなこんなで海を見たいと思っていたら朝がどんどんと過ぎていくので慌てて準備する。

仕事、ほどほどに頑張り帰宅。

帰って「大阪」が読まれる。
土地に根付いた書き手たちの記憶。住む場所は時折脆くて、何か大きな力であっという間に無くなることもあるんだろうなと思わずにはいられない話。

なんだか色んなことが、色んな進み具合で動き出していておもろい。仕事も、イベントも、読書も、人間関係も、なんにもコントロールできておらずで、気の向くままに、風の吹くままに進んでいる。どこに辿り着くのかたのしみだなという心持ちになってきて、春の穏やかさがなんとなく心身に追いついた感じがする。

眠気に耐えかねて22時過ぎには布団の上で眠気と戦っている。自分がもうすぐ眠気に負けてしまうという感覚。経験則。悔しいぜ。

2024/4/25

目が覚めて、天気予報を見て今日は晴れじゃんね!とか思いながら窓を開けたら全然曇っていて一気に下降する。今日はなんかそんなテンションになりそうな初動だった。

布団にそのまま突っ伏してしまいそうな気持ちになって、突っ伏していたら急に風呂掃除がしたくなって掃除する。水回りの掃除は終わった後ピカピカな景色が見れるので好き。

yutaka hirasakaの「eau」が聞きたくなって聞き、仕事の支度。

窓から明かりが差してきて、家から出る時にちょうど晴れ模様になってきた。朝が晴れだと気分が良い。テンションが持ち直した気がする。

打ち合わせとか作業とかやっている時に、今日は集中できているなと自覚するタイミングがあって、もりもりと仕事が進んだと思いきや夕方からまた下降気味になって、集中力の持続が短い。

自分の気分が上がってくる仕事の進め方を最近試しているのだけど、一定にはなるけどそれ以上はいかないみたいな再現性があんまりなくて難しい。

とか考えて帰宅。「大阪」の続きを読んで、自分も生まれ育った街を書いてみたいなと思う。

noteの創作大賞みたいなのをお知らせで見た。作品を作ってみたいという欲望はあんまりないけれど、こういうのに応募してみたいという気持ちは微かにあって、それは昔よく見ていた登竜門みたいな作品を思い出すようなそんな感じなのかもしれない。

何か、書きたいみたいなそんな欲。それでいて、どこかに向けて書きたいみたいなそんな気持ち。

ちょっとずつなんか書いてみたい。

2024/4/26

サブスクの音楽アプリを適当に聞いていたら「アストロシー」(ワニとコウモリ, YACA IN DA HOUSE, 高坂はしやん)という曲に出会って、ちょっと元気が出た。サブスクの偶然の出会い、何も意識していない時に、知らぬ間に聞き入っている曲があって、それが好みの曲だと意識できた時の嬉しさがある。

朝から暑い。昼間はもっと暑い。みたいな夏の日で、4月だよ??と何回もカレンダーを見たくなるほど4月っぽくない。
これからは4月になったらもう夏服を用意しておかないとなみたいになるんだろうか。勘弁してほしい。

今日も働き、帰宅。結局ネガティヴケイパビリティの本も「大阪」も読みきれずで「不完全な司書」と一緒に返却。
次は「冬の本」(出版社:夏葉社)を借りた。

冬に読んだ本や、冬になったら思い出す本。冬に出会った本や、冬のような本。冬と一冊の本をめぐる書き下ろしエッセイ集。

「冬の本」(出版社:夏葉社)
夏葉社公式サイトより引用
https://natsuhasha.com/book/9784904816073/

夏葉社さんの本を読むのは初めてで、しかもそれがたびたびタイトルだけは島田潤一郎さんの本に出てきた「冬の本」というのが嬉しい。

冬はもう過ぎてしまったけれど、次の冬がたのしみになるような本だったらよいな。

最近夜になると気分が悪くなるので不調。よくないものでも食べたのか、ゴールデンウィーク前のストレスなのかもしれない。今年もゴールデンウィークはないけれど、ちょこちょこ休みが取れたのでゆっくり休みたい。

あともうちょっと、ここを越えれば休めるはず。

2024/4/27

昼を過ぎたあたりから急激に眠気がきて、お昼ご飯を食べて血糖値が上がったから?とか、眠りこける手前で考えていたら、雨の音が聞こえてきてすべては低気圧が原因だった。

コーヒーを飲んで眠気を紛らわして、カフェインが切れたら眠気がぶり返して夜ご飯を食べたらもう眠いみたいなそんな日だった。

世間はゴールデンウィークで、SNSもなんだかそんな様子で、ゴールデンウィークの波に乗りたくなってきた。やっぱり10連休ぐらい欲しい。半分ぐらいは読書に使いたい。

読書に適した場というのはどこまでいっても1人を集中して過ごせる場というように思う。今度やるイベントも、どこまで整えられるかわからないけどそんな感じにできたらいい。

眠気と疲労に負けて本が読めない。明日こそは読みたい。

threadsを眺めてたら岸井ゆきのが出ている自主映画のリンクが流れてきて、あまりにも良くて布団で笑ってた。

奥山由之さんが監督の作品。こういうリアルな描写っていうか、徐々に演者たちの気持ちとか動向に共感だったり、ちょっとした気まずさみたいなのを感じる時リアルだなって思ってしまう。

「愛がなんだ」の映画を見た時に、岸井ゆきのの演技を初めて見たけれど強く印象に残っている。アンバランスで、でも何か際立つようなそんな演技だった。

こういう作品を見ると映画を見たいなあと思う。本もいいけど、映画も見たい。

2024/4/28

朝起きて窓を開けて、日の光を浴びることの気持ちよさは人間特有のものなんだろうと思う。規則正しい生活を心がけたいと毎日考えているのに、休みの日は寝過ごしてしまうこの葛藤。

春になったと思ったら夏の気温になっていて、暦の上ではまだまだ春の時期だと思っていたけどそうではないらしい。
そうなると植物が異常なぐらいの生命力を見せてくるので庭の草引きから1日を始めた。暑い。

草引きを終えたことで1日のノルマを終えた気分になって読書。図書館で借りてきた「他者といる技法─コミュニケーションの社会学」(著:奥村隆)を読む。

わたしたちが日々意識せずにおこなう「他者といる技法」。そのすばらしさや正しさだけでなく、苦しみや悪も含めて、できるかぎり透明に描くにはどうしたらよいか―。思いやりとかげぐち、親と子のコミュニケーション、「外国人」の語られ方、マナーを守ることといった様々な技法から浮かび上がるのは、“承認と葛藤の体系としての社会”と“私”との間の、複雑な相互関係だ。ときに危険で不気味な存在にもなる他者とともにいる、そうした社会と私自身を問いつづけるための、数々の道具を提供する書。

「他者といる技法─コミュニケーションの社会学」
(著:奥村隆)/筑摩書房公式サイトより引用
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480512222/

序章からすでに面白く、無意識的に使用し、磨かれてきた「他者といる技法」。微笑みや頷き、視線などについて。社会学の視点から、コミュニケーションの素晴らしさと苦しさをなぞる。みたいな書き出しでテンションが上がる。

序章を読み、ゆっくり読もうと思ったので本を置く。どうにも眠たくなって昼寝。

起きてご飯食べ、夕涼み。
窓から入ってくる風が涼しい。

「平穏世代の韋駄天達」を見終わった。キタニタツヤのかっこよさを「聖者の行進」を聞いて再確認する。

流石に1日のうち一度も外に出てないのはまずいのではないかと思い至り夜の散歩。こっちの家に引っ越してからはあんまり夜に散歩はしていなかったので、新鮮。夜に歩くと季節が変わったことが昼間より感じやすい気がする。

近くのスーパーに寄って、抹茶オレのインスタント?手軽に作れる粉のやつを買う。暑い時には牛乳で割るドリンクが欲しい。

今日はどうにも眠気が終わらない。昨日からのやつを引きずっているのかもしれない。

帰宅し、明日のやることをいくつか頭に浮かべて片付ける方法を考える。ゴールデンウィークの休み初日としては歩数が少なすぎる。満足。

2024/4/29

「正反対な君と僕」が少年ジャンプ+で更新されたのでいい日。ジャンプはもう長いこと買ってないけれど、好きな漫画が更新される喜びは無くならない。

こういう面白い作品を毎週だったり、隔週だっりで作れるのがすごい。子どもの頃は面白い作品が毎週見れるのを当たり前のように享受してきたけど、今思うと想像を絶する。ありがたい。けど、休んで欲しい。


とてもしょうもない理由で半年に一度たばこを吸うことを自分に課している。1mgのやつ。コンビニでたばこを買おうと思っていたのだけど、目が悪くてレジの前で止まらないと欲しい柄が何番かわからないし、店員さんに声をかけて取ってもらうのも申し訳ないしといった理由でこれまで50回ぐらいは買うことをやめている。この手間なシステムのおかげで僕の健康は守られているのかもしれない。お酒とかと同じように棚に陳列されていたら買いやすくて困る。

朝からよく働いて、イラレをひたすら触ってデザイン仕事。ようやくイラレの機能がちょっとずつ理解され、できることが増えてたのしい。

夜、この前買った抹茶味のバームクーヘンを、昨日買った抹茶オレと一緒に食べる。口の中がお茶。緑。

風呂に入って筋肉をほぐして、ストレッチする。最近の習慣。部屋に戻って「冬の本」を読む。冬に読んだ本、冬を思い出す本、冬に読みたい本。色んな冬の本が読まれていてたのしい。もうすっかり冬は明けてしまったのに、冬の景色や匂いが思い起こされるよう。あたたかい本。

2024/4/30

4月も終わる。年度が明けて最初の月。
春の始まりの月があっという間に終わる。もう少し春っぽい気分を味わいたかった。明日から5月病が始まるかもしれない。ゴールデンウィーク明けが怖い。

朝から休日出勤して事務系の仕事とかを片付けに行く。ひと段落してイラレを触ろうとして、これは楽しくなったらずっと続けてしまうと思って帰る。

ちょっとだけ雨に降られつつ、帰りに久しぶりに弁当を買って帰る、回鍋肉弁当。

久しぶりに回鍋肉を食べたら思ったより味付けが濃くて苦しい。美味しいけど、あんまり多くは食べれないなと思った。
抹茶オレを飲んで落ち着く。

空いた時間で「未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために―」を読む。

サピア=ウォーフの仮説が紹介されていて、使用する言語によって人間は思考の形成や世界の見方が異なるという話を聞いて、ちょうど今日読んでいた「読書日記」を思い出していた。

翻訳の必要性。言葉の意味や発音だけではなく、文化や価値観の感覚をチューニングさせないと誤った相互理解に発展する危険。
ここからこの分かり合えなさをどうつないでいくことができるのか、読み進めながら考えたい。

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