2024/1/1~1/31
2024/1/1
年越しうどんを食べている。
我が家では年越しそば用と、年越しうどん用のカップ麺を買う習慣があるので、今年はうどんにした。
年越しといえば、そばなのだとは思うけれど、個人的にはうどんが好きなのでここ数年はうどんしか食べていない。年越しそばには「細く、長く」という縁起担ぎの意味があるらしいけれど、「太く、長い」うどんのほうがもちもちして美味しいのでうどんがいい。どん兵衛美味しい。
新年早々に風邪を引いてしまったので、ぼーっとする頭で「プルーストを読む生活」を読み進めている。haruka nakamuraさんの蔦屋書店のアルバムを聞いていると、読書に集中できるので好き。
新年の食で1番好きなものは何かと聞かれたら間違いなくぜんざいと答える。
小豆とお餅。日本人が積み重ねてきた食の歴史の中でも、最良の組み合わせの一つと言っても過言ではない食べ物。それがぜんざいなので。
いつもは年明けに小豆を煮て一から作ったりするのだけど、外に出る気も体力もない状態なので、念のためと買っておいたインスタントのぜんざいで我慢する。餅は幸い前から飼っているものがあるので、ぎりぎりセーフだと思いたい。
今年は初詣にも参りたいので、早めに体調を直さねば。本をゆっくり読みながら、ぜんざいを食べて寝よう。
2024/1/2
元旦に続いて風邪が身体から出て行かずに辛い。風邪特有の頭がぼーっとする感覚は嫌いではないけれど、タイミングは考えて欲しいなと思う。仕事が始まるまでには治したい。
1/1のこと、いろいろなことが起きていてぼーっとした頭で考えても何一つ消化できていなくて、1日明けた今でもどうしていいかわからない。学生時代に行った場所、大切な人と一緒に歩いた海辺が、今どうなっているのか。
自然というのは美しくて、それは人の手の届かないところにあるからで、そしてそれは美しさ以外のものを時にもたらすということを、できれば忘れている生活を享受したい。
日常を自ら手放すことなく、心を保って必要な時に必要なことができる準備をしておく。
三ヶ日も明日で終わり、仕事の記憶がどうしても思い起こされる。まだこの休みに甘えて過ごしたい。
風邪の時に食べるアイスクリームは格別で、熱さをもった身体に溶けるように冷たさと甘さが染み込んでいく。
風邪が治ったら、スパイスカレーを作ろう。
無性にカレーが食べたい。CoCo壱っぽいのじゃなくて、スパイス系。
2024/1/3
「プルーストを読む生活」を読み終わった。
ルチャ・リブロさんで出会って勢いで購入した本。この本のおかげで素晴らしい本と出会えたし、本を読むことに対して自由に考えることができるようになった。
本を通して、読者は著者を見るのではなく、自分を見る。というようなことが書いてあって、本当にその通りだと頷く。
「古くてあたらしい仕事」を読んでいても考えていたけれど、知識の習得だけではない、本を読むことで自分の思考や経験が新たな視点で捉え直すような感覚があって、本の内容を読みながら自分を見ている。
それが読書の心地よさの一つだと思う。たのしい。
「プルーストを読む生活」を読みながら、著者の方が時折書いている「家族」や「家」のことについて考えている。29年も生きていると否応なしに周りが結婚していく機会に出会うのだけど、その度に自分の望む関係性について思いを巡らせる。結婚関係や家族になることを目的にする関係性はどこか苦しくて、共通の目的はなくても、なんとなく居心地が良かったり、お互いにいい影響を及ぼす関係性としての結婚があればいいなと思う。「婚姻関係」というものに縛られたくないだけかもしれない。
もうちょっと、このあたりについて暮らしと一緒に考えたい。ZINEとかで作りながら考えたいな。
いつかこの日記を見返す時、今起こっていることはどうなっていて、どんなことを思うんだろうと思う。自分の想像を超えた出来事が起こった時、その現在には正確な捉え方をすることは難しく、過去になった出来事だからこそ自分との関係性をようやく気づくことができるのだろうと思う。
2024/1/4
仕事を始めてから連休のタイミングで体調を崩すことが多くなった。体調管理ができていない証拠でもあるのだけど、気を張っている時と、そうでない時の免疫力にそもそも差があるのではないかと疑っている。久しぶりにちゃんと風邪を引いて、人間の身体からはここまで鼻水が出るのかと感心する。水分の半分ぐらいが鼻から出ていると言っても過言。
「死ぬまで生きる日記」(著:土門 蘭)を読み始めた。
なんだかうっすらとした「死にたさ」が物心ついた時からある。自分を見つめるきっかけになるのではないかと思って買った本。
カウンセラーとの対話を通して自分の「死にたさ」に向き合っていく著者の文章を読みながら、読者である自分の気持ちについても考える時間となった。
「関係性の終わり」についても作中では触れられていて、人と人との関係性が終わること、その後に残るものについてのお話も面白かった。
周りにいる人たちとの関係は確実にいつか終わりを迎えることになる。それが死別なのか、環境の変化なのか、仲違いしてしまうことなのかはわからないけれど、永遠はない。
それでも関係性の中で得たものは忘れなければ積み上がっていくもので、その時交わされた感情のやり取りは確かに時間の経過で無かったものにはならない。
そういうことを思って、過去の出来事がなんとなくネガティブに思えてしまう自分にとっては温かさを取り戻せたように感じた。
新年の抱負をSNSに投稿して、今年は「暮らしと働く」をテーマにZINEをつくると決めた。
内容もどんなものにしようとかも全く決まっていないけれど。テーマについてお話を伺いたい方は何人か頭に浮かんだので、これをきっかけに連絡してみたい。
この制作を通して、自分の生き方についても考える1年にしたい。
2024/1/5
最近の読書時間には、haruaka nakamuraさんと青葉市子さんの音楽が流れている。どちらも自分にとっては風景のような音楽で、美しく、心地よくて好き。
読書タイムのプレイリストを作ろうかと悩む。
音についても興味はあるのだけど、昔の歌は今とは違う発音で詠まれていたというようなことを聞いた(あやふやなのでここ何かの本で読みたい)。
奈良県明日香村にある万葉人の発音、発声が体感できる施設に行った時、言葉の意味だけではなく音の美しさ、リズムを表現しようとする昔の人に感動したことを覚えている。ありきたりだけも、感情を表現する美しい言葉を探そうとするその心が美しい。
ホットケーキがどうしても食べたくなって、用事の帰りに成城石井で買ってしまった。
ホットケーキとパンケーキの違いがいまだにわからず、検索するほどの興味もなくてそのままになっている。
正しいことを知る機会がすぐそこにあるのに、日常の中で流されていくのは、正しさがなくても生活には支障もないし、必要とされていないから。とか当たり前のことを小難しく言葉にして、ホットケーキの美味しさを台無しにしている気がする。
数年ぶりに食べたホットケーキは記憶の中の味と変わらなくて、自分でホットケーキミックスから作らなくてもいいことに感動する。
「死ぬまで生きる日記」を引き続き読んでいる。作中で触れられている熊谷晋一郎さんの言葉が頭に残っている。
絶望を分かち合うことの先に、希望がある。というのは救いがあると思う。絶望が起こることは避けられず、ただその絶望を1人だけで受け止めるのではなく、分け合うことができる。
分け合う先がいることが、もう既にとても幸せなことだと思ってしまうけれど。
2024/1/6
ヨルシカの新曲「晴る」がとてもいいです。
ボーカルのsuisさんがめちゃくちゃ好きなので、この人の歌声を聞けるだけで生きていてよかったと思う。あとこの方の文章も好き。
表現されるものがとても素敵なので。
葬送のフリーレンもよい。
「死ぬまで生きる日記」を読み終えた。
ページを捲るたびに、自分もケアされているような感覚になる。
読めてよかった。
暮らしの要素はどのように構成されているのだろうか。ということを最近考えている。
お金とか、衣食住、その他生活に必要なものとか。そういうのを資源とか生産物の関係で見た時、どのような構造になって、自分としてはどんなバランスが望ましいのかもうちょっと考えたい。
『「待つ」ということ』をなんとか読み進めている。エッセイの文章に慣れていると、こういう本の文章を考えながら読むと頭が疲れる感覚がすごい。
「待つ」ことは期待を含んでいるものだけではなく、最初から「待機」するように待つこと自体が目的になっているものもあるのではないかという話をたぶんしている。「待つ」ことが人には難しくなっているという話からスタートしたはずなのに、色んな「待つ」の意味合いや、捉え方の話になっていって、最終的にどんな結論になるのかわくわくする。
2024/1/7
あまりにもぬるっと仕事が始まったので、もう休みが明けて3日目になるのに現実感がない。
風邪はある程度治ってきて熱も無くなったのに、これが正月ボケなのかもしれないと呆れる。
本を読んでもなかなか頭に入ってこない。
インスタで見かけた「おとしだま」と書かれた袋を、「おとしだよ」に見間違えるぐらいなので、疲れてるかもしれない。誰にあげるんだその袋は。
先日、本を買うために降りた駅ではミスタードーナツがあり、改札を出ると甘い匂いが待ち構えていた。
お正月だったこともあってミスドの箱を持っている人が多く、家族や友達とかと食べるんだろうなとほっこりする。
甘いものを囲んでいる時にはどう頑張っても顔はほころぶし、剣呑な雰囲気にならないので甘味は偉大。
でもミスドは飲茶も美味しいんだよ。無敵だね。
「プラネタリウムの疑問50 みんなが知りたいシリーズ⑳」(編:五藤光学研究所)を読んでいる。子どもの頃から星を見上げるのが好きで、学生時代は天文部に入っていたこともある(1年も経たずに辞めてしまったけれど)ぐらいには天体とか宇宙に興味がある。
プラネタリウムは数えるぐらいしか行けていないけれど、こういう本を読むと過去に行ったプラネタリウムってめちゃくちゃすごいのでは…?と感じられて良い。
50もある疑問のうち、興味があるのは半分ぐらいかな〜とか思っていたら今の所ページを飛ばすことなく読んでいて、プラネタリウムおもしろすぎると喜んでいる。
いつも行っていた中之島の大阪市立科学館が休館しているので、プラネタリウムを体験できないのが悲しい。
これを機に、他の地域のプラネタリウムにでも行こうか。コニカミノルタのやつが見てみたい。
2024/1/8
今日は成人の日らしい。
SNSでは、新成人を迎えた人に向けたメッセージを送っている人もいて、自分が成人した時にこんなメッセージもらったら嬉しいなと思って眺めていた。もう10年近く前のことなので、当時はどうだったか覚えていないけれど。
成人式(今は20歳の集い?そもそも同じものとして見ていいのかわからないけれど)には行っていないので、どんなものかは想像するしかないのだけれど、「大人とは」なんだろうみたいな話がされるんだろうか。
成人してからそれなりの年月が経つし、折に触れて考えるテーマではあったけれど、どれもなんだかしっくりこない。「大人」ってなんなんだろうか。年を経るごとにわからなくなっていく気がする。
ちょうど成人したてぐらいの時に読んでいた、伊坂幸太郎の「砂漠」を思い出す。詳細はあまり覚えていないけれど、大人って色々なことに巻き込まれつつ、時には巻き込みつつ、自分でその責任を取らないといけないものなんだろうかとか、若い頭でなんとなく考えていたように思う。
『「待つ」ということ』を読み終えた。
「待つ」ことに対しての結論は最後まで語られなかったのだけれど、現代では「待つ」ことが難しくなったのは「結果」と「その後」が早く求められるようになったからなのかと思う。
狂おしいほど待ち焦がれることはなくなり、忙しない社会の中で、あらゆる場面で「待つ」ことの解消が図られた結果、「結果」はすぐに訪れることになった。
「待つ」ことによって得られるものもほとんどなくなって、期待も不安も取り除かれていく。
あるのは結果に対する期待だけで、その過程にはただ結果を待機する時間が存在するのみ。
「待つ」ことは期待を含みながらも、その終盤には諦めがあり、「待つ」ことの忘却のような状態がかつてはあったのだけれど、それらのほとんどが「待機」に変わり、結果を「待つ」だけの過程が当たり前になった。
書いていてよくわからなくなったけれど、この本って「「聴く」ことの力: 臨床哲学試論」(著:鷲田 清一)が前段?らしいので完全に読む順番を間違えた気がする。
こちらも読んでみたい。
2024/1/9
気づいたら2024年になってから1週間も経っていて、1月の前半での密度ではない。
全部、何事も起きない正月にしてやり直してほしい。
自分、まだ正月やれます。
仕事が始まっているのかもしれない。
ようやく実感が2割ぐらいは出てきていて、今日は珍しくずっとパソコンと向き合って、たまに打ち合わせして、いろいろ動いていった日だった。このままでは仕事に向き合う日々が戻ってくる、いっそそのほうが気持ち的には楽かもしれない。休みすぎは仕事に毒だし、仕事が毒になると生活が難しくなるので、休みすぎは考えもの。
「転職ばっかりうまくなる」(著:ひらい めぐみ)を買って机の上に置いている。職場に持って行って、転職するんじゃないかと思われても嫌なのでなんとなく仕事用のカバンに入れられない。
もう絶対に面白いのに、まだ読めないでいる。
昨日本を読んでいたら謎のいらいらが襲ってきたので、多分疲れている。疲れている時に本を読むのは、自分も本も嫌いになりそうになるのでよくない。距離を置くほうがきっといいと思って、本を読まない選択肢を取る苦渋の決断。
いらいらは誰も幸せにしないので、体から出ていくのを待っている。
2024/1/10
ここ数日、本が読めない頭になっているので、よくわからない妄想ばかり頭に浮かんでは消えていく。
人をダメにする家具をそろえた部屋で人は何日人間を保っていられるのか実験とかしたいな〜とか仕事中に考えているので、もう手遅れかもしれない。
そういう部屋で暮らしたい。
「暮らしている街が、本当の意味で自分の街になるためには、比較対象が必要かもしれませんね」みたいな話を仕事中にしていた。
当たり前の風景が、この街にしかないこと。いつも歩いている道が、なぜか安心すること。
そういう違いが、自分がここに暮らしているという実感をもたらすのかもしれないなと思う。
人間関係の清算について、思い出している。
あの時喧嘩してしまった人、別れてしまった人、疎遠になってしまった人。
思い返すと数えきれないほどの人と出会っている。いろんな関係性の中で、意図しない終わりを迎えてしまった人たちもいる。
大抵は自分の至らなさが原因で、だからそれは本当に申し訳なさでいっぱいなのだけれど、それを今後の人生に引きづらないように清算したいという感情が若い頃はあった。
あの時のことを謝りたいとか、あなたのことはもう忘れるとか、そういうもの。
忘れると言って、忘れることができれば苦労はしないし、なんならふとしたことで思い出す。
本当の意味で清算されるのは、きっとお互いが忘れた時にしかやってこないんだろうなと思う。
2024/1/11
fuzkueさんの読書の日記をWEB上で読んでいて、ビールを飲みながら本を読んでいる描写が良すぎて羨ましい。
本を読む時は自宅以外で読むようにしているので、今度は居酒屋とかバーとかで静かに本を読むことを決める。お酒と一緒に読みたい本って、何があるだろう。
「プルーストを読む生活」を読んでから、読書をする人の日記が楽しい。
全人類日記を書いて公開してほしい。
正月を過ぎて、冬の寒さが覆ることはたぶんなさそうで、朝起きて冷たいのだけはいつもの冬通りでなくてもいいのにと思う。
年がもう明けるぞ!という非日常が終わって10日も経つことがもっと驚かれてもいいと思う。
やばいよ、もう新年も10日経っちゃったよ!ってあわあわしながら仕事していたい。
2024/1/12
年始からずっと体調を崩していたので今更初詣(この時期に行くのが初詣と呼べるのかわからないけれど)に行ってきた。
朝の早い時間に通勤・通学する人たちとすれ違いながら、初詣におれは行くんだぜというご機嫌な気持ちで電車に乗って神社へ向かう。
まあまあ大きい神社だったので、まだ正月飾りが残っていて、まばらに人もお参りに来ていた。朝の参道は空気が澄んでいて、とても気持ちいい。
初詣を終えて、その足で近くの本屋さんへ向かう。買いたい本を決めて行ったはずなのに、気づいたら追加で本も買っていて、本屋に行くと財布の紐がゆるくなる癖を治したい。
「パリのガイドブックで東京の町を闊歩する第2号 2: 読めないガイドブック」(著:友田とん)、「会社員の哲学」(著:柿内正午)、「山と言葉のあいだ」(著:石川美子)を買って、店主さんからいいお話を聞いてほくほくで帰る。
初詣の行き帰りの電車で、「転職ばっかりうまくなる」を読み終えた。
終始さくさくと読み進め、お話の内容は著者の方にとって切実なものだとは思うのだけど、めちゃくちゃ面白い。
当たり前にある美しいものを共有できる人と働きたいな。
これからの働き方とか前向きに考える時間になって読んでよかった。
初詣で行った神社でおみくじを引いたら大吉だったので、2024年を生きるモチベが上がってきた。
でも明後日の文学フリマ京都は行けないので苦しい…。次は絶対に休みを取る。
2024/1/13
「会社員の哲学」を読んでいる。
今のところ面白く読めていた面白い。
経済とか社会とか、そこまできちんと読み解く努力をしてこなかったので、切実な問いをもらっている気がする。
もっと、こういうことを考えたかったのに忙しいことを言い訳にして考えていなかった、難しい。読むぞ。
10年ぶりに会う友達とご飯に行く。
きっかけがなんなのかも覚えていないほど適当に行くことを決めた気がする。
大学生に入りたての頃、お互いどういう印象を抱いていたかを聞いて羞恥心で悶絶しそうになる。
10年も経てばあの時とは変わっているところがあると思って緊張していたけれど、ほとんど変わっていなくて安心した。単純に、10年前のみんなを覚えていないだけかもしれない。
あの時の関係性ではないからこそ話せることもあって、面白い。
久しぶりに外でお酒を飲んで危うい。明日も仕事だということを言い訳に早く帰ろうとしたら思いの外楽しくて、終電手前で帰ることになって焦る。
今年は日を跨いで帰るような日はなるべく過ごしたくない。早足で家へ帰る。
2024/1/14
二日酔いの一歩手前みたいなだるさと、単なる寝不足の結果の眠気がミックスされている気分。年末年始お酒を飲まなかった分、アルコールに対しての抵抗度が上がっている気がする。知らないけど。
ほろ酔いの中で、10年ぶりに会った友達と「大人になってから友達が欲しい!」みたいな欲望が強くなったよねという話をした。
寂しんぼうになったということもあるかもしれないけれど、大人と言われても当たり前になった年齢になって、これまでの領域とは別のことを話せる関係性が欲しいとかそういうことなのかもしれない。もっと深く一つのことを話し合える人が、自分の周りにいてくれたらいいなみたいな。
いつも以上にどんよりとした頭で、「試行錯誤に漂う」(著:保坂和志)を読んでいる。
本の始まりから、うーーんわからん!となりながら、知らない言葉を調べたりして読み進めている。これはこれでたのしい。
日記をこうして書くようになってから、今日はどんなことを書こうかなとかを全く考えずにスマホで文字を打っている。
noteの編集ページを開いてようやく、思考に身を任せて今日あったこととか、いつあったことかも忘れてしまったぐらいのことを今日のことように書いている。もっと校正した方がいいんだろうか。
でも義務感とか、もっとうまく書きたいと思った瞬間に日記はぼくから離れていきそうなので、頭によぎるぐらいですぐに忘れた方がいいかもしれない。
なんか、そういうことの方が長く続く気がする。
知らないけど。
2024/1/15
1月も半ばになったことを受け入れなければならない。15日という日付には重みがあるよなと思いながら、職場までの道を歩く。
今日は入社してから1番忙しいと感じるぐらい目まぐるしい日で、忙しさの原因を解決していったらいつのまにか残業していて、これはいかん!と思って明日やることだけをメモした紙をデスクにポンと置いて帰ることにした。明日やれることは、明日やればいいので。
勢いで仕事を終えて、そのまま帰宅して「パリのガイドブックで東京の町を闊歩する第2号 2: 読めないガイドブック」を読み終えた。
もう前巻に続いてめちゃくちゃ面白くて、次巻が待ち遠しい。タイトルが面白いと感じる本は、だいたい面白いのでタイトル買いは信じられる。友田とんさんが素晴らしいのがいちばんの理由なのだけど。
冬になると体調を崩しやすいので、体調管理という言葉がよく耳にされる。
体調、管理できるものなんだろうか。
体調を崩さない努力はできるけど、ウィルスはよくわからないうちに感染するし、ストレスは災害のように突然降ってくるし、無理をしないといけない時もあるし、全部を管理することなんて難しいなあと思う。
体調管理みたいな言葉を使うと、自分の身体は管理できるものみたいに思えるけど多分そんなことはなくて。
突然の外部要因に振り回されることもあるし、身体の不調は気づかないうちに進行してしまうこともあるので休みが必要な時は休むぐらいのゆるさがいいね。
fuzkueさんの読書日記を購読した。
WEB上でちょこちょこ読んでいたのだけど、フルバージョンで読みたいなと思い購入。
これから毎週メールで日記が届くのかと思うとわくわくする。定期的なたのしみを作るためにお金を使うことは精神上良い気持ちになれるので。
2024/1/16
お酒を飲むと決まって悪夢を見る。
ここ数年ずっとそうで、だからといって夢は忘れるものなので連日で飲む時以外はそんなこと気にせずお酒を楽しむのだけど、今日(昨日?)見た夢は人生で一番目覚めの悪い夢だった。
これが現実でなかったらいいのにと諦めながら目をつむって、目を開けたら真っ暗な自分の部屋で安堵する。
日記を書いている段階では夢の内容もほとんど思い出せなくて、気持ち悪かったという感覚だけ明確に覚えている。
夢占いでは、悪夢ほど良いことの兆しみたいなことを聞いたことがある。
夢占い師の人は悪夢を覚えて占っているのだろうか、辛い仕事だと思う。
「試行錯誤に漂う」を読みながら、人格の一貫性について考える。
西尾維新の戯言シリーズでもそんな話があったような、なかったような気もする。
人間は12ぐらいのタイプに分けられるみたいな。
同じような感覚の話ではないにしても、人はそこまで一貫性のある、完成した生き物ではないし(そうであることが人間の魅力の一つだと思うので)、そもそも変化しないことが良いとされる価値観はどこまで通用するものなんだろうと思う。
fuzkueさんの読書日記が届いて、一気に3ヶ月分のメールが受信されたのでついに!と嬉しくなった。
出勤前の時間にちょっとだけ読もうかなと思っていたら、あっという間に時間が過ぎていて全然ちょっと読むどころじゃなかった。
もう買ってよかったなと思うので、こういう時代に生まれてよかったなという思いを積み重ねている。
2024/1/17
久しぶりの休みなので朝はゆっくり寝るはずだったのに5時半ぐらいに起きて、そこから2度寝ができずに諦めてスマホでfuzkueさんの読書日記を読んでいれば寝れないのは当たり前だった。
昼から予定があったのでこの眠気ではいけないぞと思い、なんとか寝ないとと布団に入ったらたぶん30秒後ぐらいには寝ていてあっという間だった。
予定を終えて家に帰って、ちょっとだけ仕事のことを整理して音楽を聞く。
岡山のカフェ、belkさんのYouTubeチャンネルにある橋本秀幸さんのプレイリストがとても良い。
音楽によって自分の好きな空間を作り出すことに救われている。いつかはお気に入りのスピーカーとか買ったり、部屋自体を自分で設計して最強の音環境を整えたい。
年末年始用に買っておいたお酒が、体調を崩していたためにほとんど手をつけられていない状態で残っている。
今年はお酒を控えようと思っていたのに、余っているからしょうがないかという理由で最近飲んでいてよくない。
残っているお酒が空いたらしばらくは禁酒したい。できるのか。
2024/1/18
昨日の酔った頭で今日の朝からの最高プランを考えていたのだけど、低気圧の影響を受けた頭では何もかも面倒くさく、何もせずに家で本を読むのがいいのではないかと考える。
怠惰な読書もよさそう〜と思いながらも、何に対しても消極的な頭と体を無理やり動かして支度をし、なんとか外に出る。
こうして昨日の自分に(しかも酔っ払いの自分)動かされる自分でいいのか?うん?とか頭の中で意味のわからない自問自答を繰り返す休日の朝。雨が降っている日は移動がしんどいけど、建物の中で感じる雨は好きなので我慢。
お気に入りの場所にあるスタバを目指して雨の中を歩く。朝のスタバは人がほとんどいなくて、窓から景色がいい感じに見える席はまだ空いているので座る。
新作のフラペチーノは美味しいけど、冬にフラペチーノはやばかった。身体が寒い。
寒さでなんとなく冴えた気がする頭で「試行錯誤に漂う」を読む。
保坂和志さんの本はこのタイトルが初めて読む本で、だから最初は難しい本なのかなと思っていたけれど、読み進めていくたびに面白さが更新されていくので不思議な気分になっている。
一緒に考えながら読んでいく感じになるので、スピードはめっちゃ遅いが。図書館で借りている本なので期限までに読み終えられるかが不安だ。
もう一つ、「山と言葉のあいだ」(著:石川美子)を読んで、無性にシャモニーへ行きたくなってくる。
これもじっくり読み進めたい本。
fuzkueさんの読書日記を読んでいて気になっていた「正反対な君と僕」という少年ジャンプ+の漫画を読んでみたらあまりにも良すぎてまた楽しみが増えてしまった。
まだ20話ぐらいしか読めていないが鈴木と谷が純粋でいいし、山田と西さんの関係が個人的には1番好き。1番好きなキャラは平。
2日ともいい休日だったし、良い作品に巡り会えた充実感がすごい。
最近、「怒り」は「諦め」とは少し遠い位置にある行為なんじゃないかと考えている。
2024/1/19
町中華に行きたい欲が増してきている。
地元には家族でよく通っていた中華屋さんがあって、子どもの頃は決まってそこでエビの唐揚げと麻婆豆腐を食べていた。
中国人の人が店主さんで、わりと本格的な中華をたのしめた記憶がある。たまに厨房から聞こえてくる中国語みたいな言語に怖さを感じていたような。懐かしい。
地元にある町中華もいいのだけど、よく知らない地域にある中華屋さんにふらっと入って、美味しいチャーハンと餃子を食べたい。
何の気なしに入ったお店がめちゃくちゃ当たりだったみたいな体験を求めている。
おみくじが大吉だった今年の自分ならいけるかもしれないと、町中華探しに出かける日を密かに狙っている。
冬のせいか部屋が暖かくなるとすぐに眠気が来てしまうので、家に帰る前に本を読もうと思って「試行錯誤に漂う」を昼休みに職場で。
読み進めていたら「ゴドーを待ちながら」について触れられていて、『「待つ」ということ』にも出てきたなと思い出して嬉しくなる。
こういう、別の本で出てきた内容が今読んでいるもの繋がった時、この本の構成要素の中には自分と近しいものがあるのかもしれないと喜ばしい。
このペースで読んでいると図書館の返却期間には間に合わないけれど、そうなったらまた借り直せばいいかと自分のペースで読んでいる。
ヨルシカのYouTubeラジオをアーカイブで聞く(見る?)。YouTubeでのラジオに対する適切な動詞がいまだにわからない。
n-bunaさんとsuisさんの2人が喋っている時間がファンとしてはとても嬉しくい。
こういう、共感だけではなくて受け入れつつも話を展開していくコミュニケーションが好き。
仕事をしていると正解を出すことを求められたり、あたかも正解があるかのようにそれを探るコミュニケーションが多くなってきう〜んと思っていたので、このラジオがめちゃくちゃ面白い。そういう対話をする時間をとりたい。
来週、いい感じにそういう予定があるのでたのしみ。
たのしみを自分で作り出して生きる欲望を上げていきたいよ。
2024/1/20
雨の日だったので自転車で職場へ向かおうか、それとも歩こうか悩んでいる間に雨は上がっていて、だけど帰りは雨かもしれないと思って歩いていくことにした。
自転車で行くと楽だけれど、職場へ向かうまでの気分を整えるには適していないのであんまりしたくない。ただ行くために自転車を漕ぐのは楽しくないので、音楽を聞きながら職場へ向かう方がマシだ。
「試行錯誤に漂う」を読んでいたら、「山と言葉のあいだ」に出てきたセザンヌの話が出てきて、「ゴドーを待ちながら」に続いてまた前に読んでいた本の中でつながった!という感覚が出てきて嬉しい。
本をたくさん読んでいる人は、こういう感覚が当たり前のように毎回感じるのだろうか。羨ましい。
「山と言葉のあいだ」の表紙はセザンヌが描いたものが使われているのだけれど、見れば見るほど美しくて素敵。
今日はお仕事で「花びら餅」をいただく機会があって、最初聞いた時は桜みたいなお餅なのかと思っていたら中にごぼうが入っていて二度見してしまった。
元になったお菓子は平安時代からあると言われていたりして、今目の前にあるお菓子が1000年以上前からあった(原形はほとんど違う食べ物らしいけど)と思うと、歴史を感じる気がしないでもない。
いただいた花びら餅はとても美味しく、お抹茶と一緒に食べることができて満足。
日本で生きて30年を迎えようとしているのに、まだまだ知らないことがあって楽しい。
2024/1/21
昨日の日記の下書きに、「CDの価値は今どこにあるのか」みたいな知ったかぶった考えを書いていたのだけど、市場価値を個々人の価値に適用して語るなんてしたくないな〜と思って全部消した。
価値はその人が感じるものであれと思っているので、自分だけが気持ちよくなるために書くものは潔く捨てたい(日記だからそういうものでもいいのかもしれない)。
朝からまた雨が降っていて、近くの山を見ると(この表現ができる時点でかなり田舎だ)霧が深くかかっていてわくわくする。
霧で隠される日常に恐ろしさと、高揚を覚える。
台風の時になぜか気分が高まるあの感じ。
ツイッターで流れていた投稿を思い出すと、危機を感じる人間の感覚が起こすもの?らしい。
恐怖で動けなくなることより、無理矢理にでも体を動かせる精神状態にする脳の進化の結果なのかもしれない。
人間の感情の由来を学ぶと面白いのかな。
本が読めない日でも、fuzkueの読書の日記だけは読めて救われている。
前からカレーをずっと作りたいと思っていて行動に移せていなかったけど、今日読んだ読書の日記にカレーのことが書いてあったので明日は絶対に作ることを誓う。
2024/1/22
朝からスパイスカレーを作るためにスーパーへ買い出しに行く。
徒歩圏内にもスーパーはあるけれど、品揃えが少ないので自転車を走らせて少し大きいスーパーへ。
一通りのスパイスと、玉ねぎ、トマト缶、ヨーグルト、鶏肉とかを買って店を出る。
いつもは肉を炒める工程がめんどくさいのでひき肉でキーマカレーにするけど、久しぶりに作るのでせっかくだしチキンカレーにした。
スパイスカレーを作るの、数年ぶりなのだけれどスパイスを買う時この一回のためにこの量を買うのかと最初躊躇する。一度買ってしまえば何度も作れるし、他の料理にも使えるからいいのだけれど。最近はあんまり自炊しないので余計に悩む。思い切って買う。
ターメリックライスも仕込んで、カレー作りに入る。
レシピをネットでなんとなく流し読みしながら、記憶を頼りになんとか作る。
玉ねぎが多すぎてペーストとしては不完全だし、味付けも十分じゃなくて不味くはないけど失敗。スパイスカレーのレシピ本とか買うのもいいなと思いながら食べる。
カレーを片付けてから、読書の日記を読む。
最初の支払いタイミングで送ってもらった過去3ヶ月分の日記がまだ全然読み終わらなくて、Gmailにしおり機能を実装してくれとGoogleに頼みたい。
メールにしおりが必要な時代、なんか嫌なのでやっぱりなくてもいいかもしれん。
図書館で借りていた「52ヘルツのクジラたち」(著:町田そのこ)を一気に読む。
借りてからなかなか手がつけられなくて、期限が迫ってきたからそろそろ読まなきゃなと思って読んだらあっという間に読み終わった。
人に支えられて、支えて、暖かく、時に残酷な関係性の中で生きること。
見たいと思っている現実から離れることの難しさ。
愛と呼んでいいのかわからない自分の感情に、それでも信じて相手に伝えること。
久しぶりに読んだ小説は自分がなんとなく恐れていたよりは面白くて、でもその分感情も引っ張られてちょっと疲れた。
それだけいい本だったんだろうなと思う。読めて良かった。
2024/1/23
朝からfuzkueさんの読書の日記を読んで泣いてしまい、泣いているのに気づいたのは目を涙が覆ってぼやけてからで、驚いて手の甲で目をぬぐう。
今の仕事とか、暮らし方とか、これからのこととか、いろいろ悩んでいたことが一瞬頭から消えた気分になって晴れやかになる。
前を向いていなくても、たのしく生きていこうと思う。
初詣で春日大社に行った時のことをふと思い出して、連鎖的に記憶に出てきたのがどんぐりのおじさんだった。
学生時代に、奈良へ遊びに行ったことがないという人と奈良に遊びに行って、東大寺とかに行く前に名物の鹿とのふれあいをしてもらおうと思って奈良公園へ寄った。
いつもなら観光客向けに公園の至る所で鹿せんべいを売っている人たちがなぜかその日はどこにもいなくて、鹿だけがいつも鹿せんべいのお店があるところにたむろしていた。
タイミングが悪いなと思って、「鹿せんべいはまた今度来た時にしようか。ごめんね」と一緒にいた人に詫びて公園を出ようとしたら「鹿はどんぐりも食べるよ」と声をかけられた。
声をかけてきたのは60〜70代ぐらいの地元の人のようなおじさんで、正直ちょっと警戒していたのだけど、距離を急に詰めてくるとか、怪しい感じもなく「鹿はどんぐりも食べるからな、これあげてみい」と言って公園内に落ちているらしいどんぐりをくれた。
鹿には鹿せんべいか、子どもの頃無理やり食べられた遠足のお弁当しかあげたことがなかったので、おそるおそるあげると心なしか鹿せんべいより美味しく食べてくれた気がする。
どんぐりおじさんは公園内にあるどんぐりを拾っては、他の観光客の人たちにも声をかけてどんぐりを配っているみたいだった。
ボランティアだったのか、地元の人なのかはわからなかったけど、あの時のどんぐりのおかげで一緒にいた人と思い出ができたので嬉しかった。ことを思い出す。今はどこにいるのかわからないけど、ありがとうどんぐりおじさん。
今日は昨日の残りのカレーをリゾットにして食べる。残っていたターメリックライスを入れて作ったのだけど、思ったより多くて食べ終わって胃袋が爆発したらどうしようとかいうぐらい食べた。いつも適当にご飯を作っているので、多いか少ないかも目視であんまり判断できない。胃袋が爆発したらどうしよう。
風が誇張なしにびゅうびゅう吹いている。
仕事から帰る時も、昨日とは全く違う寒さで凍える。明日は雪が降るほど寒いらしい。
積もったらどうしよう。とか、考えられるほどに冬がやってきている。
寒さは困るけど、冬はやっぱり味わいたい。
2024/1/24
あんな黒い雲から白い雪が降ってくるの、未だにわからん。
職場への道を歩きながらそんなことを考えているともう着いているので、家から職場が近いのはやはり最高と言わざるをえない。
朝から当たり前のように寒く、雪がちらほらと降っている。
強い寒波が来るとは聞いていたけれど、思ったほど凍えるほどではないし、雪も職場について仕事の準備をしていたらいつのまにか止んでいるしで大したことはなかった。
SNSをちらっと見てたら他の地域では雪が積もっている写真が見えたので、やはり地域によっては厳しい寒さになっているようだった。
暑さ寒さも彼岸までみたいな言い回しがあるけれど、寒さの彼岸は3月ぐらいまでらしく、だったらまだまだ続きそうでつらい。
本を読んでいるのに、頭に入っていない感覚がある。年明けに買った本と、図書館で借りた本を交互に読んでいるのだけど、図書館で借りた本は期限があってそれがどうにも落ち着かないので集中できていないっぽい。
昔から人のものを借りたり、なおかつそれが期限付きだとなんとなく居心地が悪くてあんまり好きではなかった。
公共のものだからといってもそれは同じらしい。
1週間前から左手首に違和感があり、ネットで検索していたら整形外科に行った方がよさそうな症状だったのだけど、その情報を確認したら急に痛みが出てきてなんでやねんとなっている。
自覚すると増す感覚というのは痛覚以外にもまあまあある気がするけれど、こうなるとわざわざ自分から感覚の原因を探らずに解決してくれるところにさっと行ったほうがいいのかもしれないと思う。
2024/1/25
雪が溶けた後の空気がすき。
いつもより透き通っていて、先まで見える透明さをくれる。
雪が積もらないので今年は見れるだろうか。2月に期待したい。
昨日に引き続き左手が痛みを発していて、常に痛いのでもはや痛みがあるのかどうかもわからなくなってきた。
いや、やっぱり痛い。痛いのはきらいだ。
左手が使いづらいというのはイメージしていたより日常生活を送りづらい。
着替えとか食事もそうだし、何よりキーボードが両手打ちできないのがかなりストレス。
いつもは画面を見ながら文字が打てるのに、右手だけで打たないといけない状況では画面とキーボードを交互に見ないと確認できないので。
なかなか読書に集中しづらい状況だけど、最果タヒさんのエッセイが投稿されたので読んだ。
35歳が想像できないというほど若くはないし、むしろ目の前にあることなのだけど具体的に描けているかと言われれば首を振る。
社会人としてもそこそこ経って、これからもっと働いていくというような年齢になって思うのは、働く事と生きること・暮らすことをもっと繋げたいという欲。生きるために働くというよりは、生きる=働くみたいなイメージ。
この辺りを考えるZINEを作っていみたい。
明日は朝一で病院へ行くぞ。
2024/1/26
朝から病院に行く。
病院に行くと体調が悪くなくても、体調が悪いんじゃないかと錯覚してしまう。病院に診察に行く時点で体調は悪いのかもしれないが。
院内は暖房が効きすぎるぐらいで、汗はかかないけど少し暑い。
待っている時間に「会社員の哲学」(著:柿内正午)を読む。「プルーストを読む生活」の時とはまた違った文体だし、テーマが違うので当たり前だが勢いも違うので新鮮で面白い。
まだ読み進めたばかりだけど、働きながら対価としてお金をもらい暮らしを成り立たせている自分を問う内容で清々しい。良いです。
検査やらなんやらをすることになって結局午前中はほとんど病院で過ごすことになった。
血の検査もしますね〜と明るく看護師さんに言われて、なんともないような顔をして「あ、はーい」とやり過ごす。
採血をすることがこの年になると慣れては来るのだけど、血を見ると力が抜けるのはいくつになっても改善される気配がない。
血を抜かれたという事実だけでもう疲労している。
結局明確な原因は検査結果待ちとなって、午後から仕事へ。
相変わらずキーボードが打ちづらい。
今年度最後の仕事の過程がうまくいっているようでほっとする。調整をしてくれた方々に感謝。
「試行錯誤に漂う」は返却期限になってしまったので図書館に返却。期限付きで読むには時間が足りない本だった。また借りよう。
最近小説がまた読めるようになっていることを確認できたので、小説もっと読みたい。
滝口悠生さんのことを書いている本ばかり最近読んでいるので、滝口悠生さんの本も読みたい。
2024/1/27
久しぶりに予定があり、新年1回目の梅田へと電車で。
昨日あんなに痛かった手首、嘘のように痛みがなくなっていてビビる。
痛み止めが効いているのか炎症が治ったのかわからないので気は抜けないけど、日常生活が戻ってきた感じがして感動。
梅田、土曜日の人の多さに驚き、朝から落ち着かない。
予定を終えて本屋へ行こうと思ったけど、梅田の本屋は行くまでに人が多すぎて無理を感じ、踵を返す。
普段目にする人の往来の、誇張なしで10倍ぐらいの量の人を感じ、すれ違うだけで確実に何かがすり減っていく。
わかりやすく体を動かした際に消費するカロリーとは別の、身体を支えるために必要な精神に由来する何かがすり減っている。
とは言え月末なので、来月読む本を買うために本は選んでおきたかったし、好きな本屋へ向かう。電車を乗り継ぎ、地上から地下へ、地下から地上へ。
地上は寒いし、地下の電車は暖房が少し聞いていて体温がおかしくなりそう。
本屋では「わたしを空腹にしないほうがいい」(著:くどうれいん)と「こころはひとりぼっち」(著:植本一子)を買った。
ずっと読みたかったくどうさんの本、タイトルからしてわくわくする。
植本さんの本はタイトルと帯に惹かれて、日記であることも理由の一つで読んでみたくなった。
さびしさによる行動が言葉にされた時、日記となって読んだ自分はどんな感情になるのだろう。
ここ数日どうしてもチャイが飲みたい欲が消えなくて、コンビニで買ったチャイも美味しいのだけど、もう少しチャイ感が欲しいとなって「チャイ、チャイをくれ…」と頭の中でリフレインしていた。
本屋の帰りに成城石井に寄って、はちみつチャイを購入。
甘さがあってめっちゃ美味しい。毎日飲んでも1ヶ月弱は持ちそうなので、チャイ欲が治るまではこれに頼ることになりそう。
fuzkueの読書の日記を読んでいて気になった漫画part2である「氷の城壁」(作者: 阿賀沢紅茶)を読む。
恋愛を始まりとした人間関係模様も好きだけれど、それぞれが抱える傷が痛みながらもケアされ、ケアしていく中で育まれる関係性がとても好きなのでたのしい。
こういう人に踏み込むか、踏み込まないかの選択肢が出るのってすごいよなと思いながら読む。
「正反対な君と僕」とはまた違った様相で、どちらも同じ作者さんというのがすごい。
また更新が楽しみな漫画ができてしまった。
こういう作品に出会えるから、本を読む人の日記は面白い。
2024/1/28
午後から黒く重々しい雲が空いっぱいに流れていて、いやな雲だなと思っていたら雲の隙間から光が差し込んできて職場の窓から眺めていた。
黒い雲の隙間から流れ込んでくる光は影を伴って地面に降りてくる。
空からの光が形になって見える瞬間をぼーっと眺めていて、光が消えるのを見守った。
雲の隙間は別の雲によって埋められて、どんよりとした黒はまた流れていく。
雨が降りそうだと思ってパソコンの画面に目線を戻して今日の仕事を終えられるようにキーボードを打つ。
なんとなく精神的な充電が切れかけているのを感じて、これはやばいぜとなって帰ってはちみつチャイを飲む。あったかくて甘いものを飲むと少し回復する。ちょっとだけ入れた牛乳がいい味出してる。おいしい。
くどうれいんさんの「私を空腹にしないほうがいい」を読んでいる。
読むリズムが合っていて、読み進めていくたびに試したい料理が増えていく。
食事には愛がある。食事は誰かとの記憶が思い出されてうれしい。美味しい料理を一緒に食べた人とは、なんとなく仲良くできそうな気がする。
全国高校生文芸文芸コンクール記念講演でくどうれいんさんがお話しされた内容の文章を読んだ。
そう言えば僕も一瞬だけ文芸部員だったことがあったなあと思い返す。
先輩や同級生の典型的なオタク気質のようなもの(当時はそういうものがなんとなく苦手だった)を感じて1ヶ月ぐらいで辞めてしまった。
1ヶ月の間にペンネームを決める会があって、それにはノリノリで参加して自分のペンネームを考えたりした。今書いていても黒歴史で恥ずかしくて暴れそうになる体を理性で抑えている。
やっぱり無理かもしれない。暴れそう。
書くことに限らず、自分が表現したものを肯定される場があることは大袈裟でなく人生の宝だと思う。馬鹿にされず、晒されず、大切にされることが、自分の思考を育てる。表現の豊かさを生む。と信じてる。その表現に意味を与えてくれる場所。意味を奪わないでいてくれる場所が増えるといい。
2024/1/29
「わたしを空腹にしないほうがいい」を読み終えた。
タイトルが秀逸で、それでいてちょっと怖くてたのしいので惹かれたけれど、買ってよかった。
食事を美味しそうに食べる人は素敵だし、料理が好きで自分からできる人はつよいなあと思う。
辛い時に食べるご飯というのは美味しいものであって欲しいと思うけど、何年か前に失恋した時に食べたご飯がめちゃくちゃ美味しくなくって、おいしくない〜とか言いながら泣き笑いしながら友達と食べてた。人と食べるご飯は美味しいほうがもちろんいいんだけど、辛い時には親しい人たちとなんでもいいから食卓を囲むことがいいよな〜と思い出す。
仕事を終えて帰宅したら、SNSに悲しいニュースが流れてきていて、色んな感情が湧き上がってきては「これは自分が背負うものじゃない」と言い聞かせて、無意識に足を叩いて落ち着かせようとしていた。
横になろうと思って布団に入ったら、涙が自然と落ちていって枕に届いた。
社会の中で生きるためのエネルギーが尽きかけている。
こういう時に、本が読みたくなるのはなんなのだろう。
2024/1/30
この前久しぶりに難波へ行ったら、高島屋の前にあった道路と信号がなくなっていて完全に歩行者専用の場所になっていた。
一緒に歩いていたら友達と、難波の景色の変わりように驚きながら、えええ?とか言いながら歩く。飲み会に行った帰りにふらふらと信号を渡る人もいない。危なくていい。
知っている景色が移り変わっていくのは若干の寂しさもあり、なんとなく取り残されている感もある。
でも、こういうのもいつか日常になって今日のような感覚も忘れるのだろう。
そうやって今は思い出せない風景を頑張って思い返そうとしていると、2軒目に行く?どうする?と友達に聞かれたので「今日は帰るわ。るまたご飯食べよう」と辞して帰った。
もう終電が近かったし、明日にお酒の影響を持ち越したくなかったから尾を引かれる思いで帰宅する。
ヨルシカの「月光浴」を聞いている。
月日と聞いて、暦の月と天体の月を一緒くたに表現してしまうこの「月」という言葉の綺麗さが好き。
「月」だけではなく、日本語においては同じ音、同じ漢字でも意味が異なるものが多くあって、一つの言葉で多くを内包している感じが好き。言葉の成り立ちを考えれば自然なことなのかもしれないけれど。
言葉に意味を載せて、音を読む歌が昔から心を揺さぶってきたのは、言葉の使い方という土地柄にもよるのかもしれない。
英語とかだとmoonとmonthで天体の月と、暦の月は分けられているし。でも似てるから語源を辿れば一緒なのか。わかんないけど。
ヨルシカは夜に聞くのが一番好き。
2024/1/31
1月があっという間に過ぎていった。
ついこの前に明けましておめでとうとか言っていたのに、もう2月になろうとしていて月日が明らかに自分の感覚とは違うスピードで流れている。
僕の感覚的には今ようやく1月半ばになったところぐらいなのだけど。
「こころはひとりぼっち」(著:植本一子)を読んだ。パートナーとの別れからの日常を描いた日記という紹介を見て、なんとなく今読んでおきたいと思って手に取った。
著者の方の人への関わり方にすごい憧れというか、自分には難しいなと思う羨ましさを覚えつつ、誰かと付き合うことは幾らかの依存を許してしまうものなんだろうと思う。
許すことや、許されることの心地よさと、距離が近い関係性だからこその見えにくさみたいなもの。
それが解消されたとき、寄りかかっていた分だけ空白が大きくなって、それ以外の支えてくれたものも巻き込んで自分が倒れてしまうこともある。
パートナーとの別れについて、日記を追いながら別れの傷が塞がったり、時には塞がったと思った傷が全然治っていなくてまた開いたりとか。そういうリアルな感じが、かつての自分と重ね合わせながら見ていて良い意味で苦しい。読めてよかった。
朝からお気に入りの本屋に行って、途中にあるお肉屋さんでコロッケを買って食べる。買い食いみたいなことを学生時代あんまりやってこなかったので、今更ながら若いことをしているなと思いながら熱々のコロッケを頬張りながら本屋への道を歩く。
寒いんだけれど、歩いていると、なおかつコロッケを食べていると体がホカホカして上着を脱ぐ。ここ最近の冷え込みが終わったように温かい日差しに照らされながら、家の周りとは違った風景が当たり前のように広がっていてたのしい。
コロッケを食べ終えて入った本屋では、新しく本を買った。「気がする朝」(著:伊藤紺)と、「どこでもいいからどこかへ行きたい」(著:pha)の2冊選んでお会計。
「どこでもいいからどこかへ行きたい」は、最近ずっと思っていたこともあったので家に帰ってお風呂に入っている間に読む。
これまでも青春18きっぷとか夜行バスとかで旅行に行ったことは何度かあるけど、他の人が同じような感じで日常から距離を置くための旅をしている人の話を聞くのは初めてだからたのしい。
そろそろ自分もどこかへ行ってみたい。
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