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失敗が許されている

ライフワークとして素描画を描き始めて、今年でちようど10年になりました。

手の素描画

素描画を描くことの魅力とはなんでしょうか。

ひと言でいえば、「失敗が許されている」ということではないかと思っています。

もちろん、どこでも手軽に描ける楽しさや、画力・観察力が向上するなど、その魅力というのは多々ありますが、自分がこの10年をふり返ってみていちばん大きな点は、その「失敗が許されている」ことだと思うのです。

違う言い方をすれば、失敗や成功という「評価」という軸から離れている、ということ。
素描画とは、絵としての完成度や作品としての価値よりも、描くという行為そのものに軸足が置かれています。

これは素描画の特長である、短い時間内に描くということも大きく関係しています。
水墨画や書道などと同じように、素描画を描くのは基本的に一発勝負です。消す・描き直す、ということがほぼありません。限られた時間の中で、ひたすら描き進めていきます。わたしたちの日々の営みや人生と同じように、巻き戻すことができません。そして行為そのもの、人生の只中にいる時、そこに「評価」は存在しません。行為はすべて等しい。振り返ったり、外から眺めた時、失敗・成功という「評価」がはじめて立ち現れます。

前提として失敗は許されており、恐れずに進みつづけること。
そして、行為に没入すること。

なぜ素描画を描くことが、古今東西ずっと画家の基礎、もしくは初心者の必須とされてきたのかは、こうしたことから分かるような気がするのです。

わたしの場合は、たまたま素描画を描く、ということでしたが、例えば釣りをしたり、散歩をしたり、料理をしたりすることとも同じだと思っています。そこではつねに「失敗が許されて」おり、むしろ失敗も楽しみ、明確な目標もありません。
その行為そのもの、外の世界に触れることに没頭し、悦び、充分に楽しむ、ということ。
なにかと不安が増しているように思える社会で、こうしたことはこれからも大切になっていくのではないでしょうか。


瞬く間に10年がすぎました。
これからも日々の営みとして、細々と素描画を描きつづけていきたいと思っています。

近所の猫たちの素描画



◇素描画の定義

人によって定義は様々ですが、わたし個人としては以下としています。
・対象を観察しての写生
・短時間の描画(10分以内程度)
・形、動き、諧調(光)の把握
・無彩色
・完成度を持った鉛筆画・細密画ではない
・クロッキー、スケッチ、デッサン、エスキース・・こうしたものを包括した総称

薔薇の素描画



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◇フリーペーパー

10周年記念としてつくりました。一部の取扱書店さんに置かせもらうつもりです。どこかで見かけましたら、ぜひ手に取ってみてください。


◇SNS
交流ではなく自分のモチベーションのために、日々の素描画をSNSにUPしつづけています。
始めた当初は、Google+でした。
数年前にGoogle+が消滅したため、Tumblrに移行しました。

・これまで https://drawing-project.tumblr.com/



10年の節目に、Instagramをはじめました。

・『寓話』 https://www.instagram.com/guwa.drawing/

家の猫

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