誰も彼もジグソーパズルの1ピースなのだという話。
今日の一文。
引用させていただいた本の中では、家庭内暴力などに触れたり、また、親が子供に対してあたかも「所有物」であるかのように振舞う様子について書かれ、それに疑問を呈し、例えた形で、これらの言葉が使われています。
この本では、つまるところ「子供や家族(そして自分までも)のいのちが、自分の所有物であること」と考えることは「誤解だ」と評しています。
子供などの、まだ小さく助けが必要な存在、一緒に居るのが当たり前と考えてしまいがちな配偶者のことを、もしかして自分の「所有物」として扱ってやしないか?それは誤解なのだ、と。
そして、それは、別に家庭内に留まるような話ではなくて、社会全体としてもそのような構造はあるのではないかと、私は思うわけです。
誰か他人と一緒に行動を共にしたり、協業して物事をなしたりする際には、必ずと言っていいほど、人と人との間に何かしらの影響があります。一緒に仕事をすれば、上司と部下なら当然、同じチームで立場も同じメンバーであっても、同じ作業をする中で相互に何かしらの影響が出ます。
物理的というか、表面的にはもちろんのこと、潜在的そして精神的に、影響が出てくるわけです。
ちょっと例を挙げただけでも、たくさん出てくるでしょう。もちろん、仕事上だけの話でもないと思います。
引用した本の中では「ジグソーパズル」と形容していましたが、所属する集団がそれだとして、やっぱり自分一人一人はピースなんですよね。そこにしかハマらない。ピッタリとハマっていると言うことができますが、言い方を変えてしまえば、周りからカチッとハメられているとも言えるのかなとも思います。個人が、窮屈なのか心地良いのかは別として、物理的に。
そして、自分の命は自分でその処分できるとか、自分の行動は自分で責任をとれるとか、そういうことを思いがちですけど、でも実際には、そうした後の結果は、所属している集団全体、そこに所属するほかのメンバーにも影響が及ぶことになるでしょう。
だからと言って、自分には何の決定権も無いとか、主体性とかそういうものが全く必要無いとか、そういうことが言いたいわけではないです。
あくまで、自分の人生は自分のもののように見えますけれど、実際は、深く固くキツく結ばれた縦と横の糸のように他人との人生とも絡みついてそれで一つの人生になっていると思うんですよね。
上司、部下、同僚、取引先、ご近所さん、友人、親、配偶者、子供。
そういった人たちと密接に関連したうえで「あなたの人生」と言いますか。
だからこそ、ジグソーパズルのように、色んな形のピースが組み合わさって、そうして一つの絵が出来上がっていると、私は思うわけです。決してそれは「単に一歯車に過ぎない」とかそう言うことではなくて、その「歯車」一つ欠けただけでも、全体としての機構が、機能しなくなる可能性があると。
さて、内容がとっ散らかってきたので、そろそろまとめにかかりますが、どうせ他人と影響をし合って生きていくのが「人生」であるのなら、少しでも「良い影響」を互いに及ぼしていければ、そうすればきっと生きやすくなるのかなと思います。
上司や部下にも、友人やご近所さんにも、妻や息子、娘に対しても、どうせ影響を与えるなら、良いものを。
ただしそれは、相手を喜ばすということに終始するだけではなくて。そのなかに、ぜひ「自分」も含めてあげたい。そう思うわけです。
自分にとっても、良い影響を。
口で言ったり文章で書くのは簡単ですけど、それを心に置いて、少しだけ勇気を出して、そうして実践してみる。そんな姿勢が大切なのかもしれないと思います。
上記の内容を書くに至った、つまり影響を受けたのは、こちらの記事を読ませていただいたからでした。
フォローさせていただいている あおたま さんのこちらの記事です。
https://note.com/aotama1/n/n5c7b5d27dadf
この記事の中では、「あなたの子供は、あなたのものではない」という趣旨の詩が紹介されていました。
この詩を読んで、そして「今日の一文」に引用した文章を読み比べることで、思いがまるで一つの糸に繋がるような感覚をおぼえました。日頃、子供と接する中で自分の言動に対して抱いてしまっているモヤモヤが、少しだけ晴れたような瞬間でした。
また、あおたまさんの記事の中では「何かしらを誰かに「贈与」しようとしている」という文章が書かれています。
私の勝手な解釈ですが、その「贈与」こそが、今回の記事で言いたかった「影響」の話に、まさに通ずるものでした。
こういう「良い影響」を、私は、実社会でも実践できたらいいなと思っているわけです。
まずは、妻と子供に対して。文句言っているより、楽しそうにしている方がいいですしね。なかなか難しいですが、まずはヘラヘラ能天気に笑ってみようと思います。そこから見えてくる景色もきっと変わってくるはず、と信じて。私の人生は、私だけのものではないですから。おしまい。
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