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ぐっと立ち止まって「いらんことしい」にならないようにしてみている話。

たとえば、妻が席を立ったテーブルの上に、さっき食べたおでんにつけるのに使ったであろう練り辛子のチューブが置いたままになっていたら。

そんな時に「出しっぱなしになってるよ!」と言うのは簡単だ。
でも、それを言うことでどんなメリットがある?
きっと何のメリットも無い。それを言うことで、次からは、完全にきちんと冷蔵庫に片付けるようになるだろうか。人間なので、しまい忘れることもあるに違いない。では、何のために言うのか。

結論、そんなものは言う必要がない。いくら優しく「次から気を付けてね」なんて言いながらチューブを渡したりなんてするのも、まったく不要な、お節介な行為である。これぞ「いらんことしい」だ。
もし指摘したならば「あぁごめんごめん」と言ってくれるくらい妻は優しい。だけど、そのような余計な一言を放つことで、普段は優しい彼女の逆鱗に触れることも有り得る。そのような言葉を伝えることで、良いことなんてない、むしろデメリットやリスクのほうが大きい。
だから、言いたい気持ちをグッとこらえて、黙って自分でチューブを冷蔵庫に戻せばいい。指摘したがりは、ただの自己満足なのだ。

そしてそれは、子どもに対しても適用できると思う。
もちろん躾という意味では、正すべき行動については注意をしたほうがいい。けれど、それで直るならまだよいが、やはり幾ら子供に言っても直らないことのほうが多い。そうしたら、声を荒げたとしても、きっと結果は同じだ。いや、経験上、むしろ事態は悪化することのほうが多い。
なので、ここでも、ひとまず立ち止まってみる。
トイレのドアが開けっぱなし、電気をつけっぱなし。だけど指摘はしない。黙って私がドアを閉め、電気を消せばいいだけのことだ。子供を怒って言っても、きっと聞かない。

これは、我慢ではない。また、無関心や放置の類でもない。
原因はきっと別にある。

今読んでいる本で「盗人にも五分の理を認める」ということについて書かれていた(有名な本なのでご存じの方も多いだろうと思う)。
個人的には、犯罪者を許すなどは考えられないが、そうではなく、相手は相手の立場に立って物事を考えているのだ、ということ。そう私は理解した。自分とあなたは異なる人間。だから動くエンジンもロジックも、きっと違うものだ。そのため、相手の論理をまず一回受け止めてみる。そこでは非難も批判も、指摘すらもしない。
また、少し前に読んだ雑誌にも、似たような話が載っていた。
それは、とある金融機関が新たな組織(部門)を設立するにあたって、人材育成のポイントを語っていたものだった。「多様な文化が融合するためには、それぞれが異なる価値観に対して、一度は全力で寄り添うこと」というのが大事だと書かれていた。私はこれも、上記の「盗人にも~」の話と同じように感じた。

誰かが誰かに対して不満や違和感を覚えるのであれば、もしかしたら原因はその人自身の中には無いかもしれない。

たとえば、辛子のチューブ。
これは、きっと単に片付け忘れだ。じゃあ何故片付け忘れたのか。それはテーブルの上が散らかっていたからかもしれない。不必要なものまで食卓に出ていた。もしテーブル上には、チューブ以外に、全く何も乗っていなかったら?きっと、そのようなチューブだけ残されているのは不自然だから、気づくだろう。そして自分で片付けるはずだ。多分。

たとえば、トイレの電気がつけっぱなしだったら。
我が家の構造にもよるが、うちのトイレの近くには、洗面所がある。洗面所の電気もつけっぱなしになっていることが多い。もしかしたら、洗面所の電気がつけっぱなしなことで、トイレの電気がついていることも目立たなかったのかもしれない。じゃあ、使っていない全ての部屋の電気をきちんと消すようにしよう。誰かに言うのではなく、まず自分がやればいい。もしかしたら子供たちは、電気つけっぱなしドア開けっぱなしの親を見て、無意識にまねをしているのかもしれない。いずれにせよ、親がきちんとすれば、子は見ている。

だから、原因はもしかすると「人」ではなく「環境」なのかもしれない。実際のところは分からない。だけど、そういう「いらんことしい」な行動で、家庭内の雰囲気を悪くするよりも、まず自分から気付いて動けばいい。
まぁもちろん、全部が全部できるわけじゃないけれど。実際、今朝も、登校時間が迫っているというのに学校へ行く準備を全くしようとしない息子に対して、厳しく言ってしまった。。反省。

というわけで、できるかぎり、少しずつ、グッとこらえて立ち止まって、冷静になってみる。最近は、そんなことを考えて過ごしている。

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