無難なお土産の話。

テーマパークなどでお土産を買おうとした時、
なかなか選べないことがある。

というか、私はほぼ毎回選ぶのに苦労している。

それはなぜかというと、「お土産を選ぶ基準に『実用的か否か』を加えて考えてしまう」からだ。

私は毎回この観点を持ってお土産チョイスに臨んでしまう。それゆえ、「買っても絶対使わないだろ」と思うようなオモチャやキーホルダーをお土産に買うことができないでいる。

それは、オモチャ系だけでなく、お菓子を選ぶ際にも適用される。「これ買って帰ってもすぐ食べ飽きるだろうな」とか、誰か知り合いに配る目的であったとしても「こんなお菓子は好き嫌いが分かれそうだ」とか思ってしまうと買えない。

要するに、冒険ができない。ちょっぴり欲しい気持ちがあったとしても、尖った指向のものを買えない。最終的に、すごく無難なお土産しか選ぶことができないのだ。

昔はそうではなかった。絶対家では遊ばないようなオモチャも平気で買ったし、ちょっと試してみたかっただけで明らかに美味しくなさそうなお菓子も躊躇なく買っていた。以前のほうが容赦なく散財していたし、そのたびに「何でこんなの買っちゃったんだろう」と後悔していた。

僅かではあるが、今のほうがもしかしたら自由に使えるお金は多いかもしれない。しかし、そのような使い方に抵抗感を覚えるようになってしまった。

とにかく無難に。誰でも食べられるように、大体みんな好きそうなチョコ系だったりクッキー系のお菓子を。普段の生活でも実用可能なように、メモ帳やペンなどの文房具系を。

大人になって、社会に出て働くようになって自分でお金を稼ぎ、何社か転職をして給料が当たり前に出るわけではない現実を痛感し、結婚して家庭を持ってから、子どもや一家を運営するためのお金の多さに愕然とし、それと同時に徐々に自分の使えるお金がどんどんと少なくなっていく。

それが意味するところは「お金は大切に使わないといけない」という価値観の形成だ。

結果、すごく無難な、言ってみれば「つまらない」ものしかお土産に買えなくなった。

ただ、お金の使い方としてはつまらないかもしれないが、ケチケチして使わないわけではないと自負している。使う時は使う。必要なものなら惜しまない。自分ではそう思っている。

こと「お土産」ということになるとそういう観点を持ってしまうというだけだ。

そもそも、お土産というのが苦手だ。自分のためであっても誰かのためであっても。

お土産を買うという行為自体が非日常を持ち帰るということをすることになるので、それが自分や誰かの日常と溶け込むのかどうか不安になる。いや、そもそも日常と調和させる必要がないのかもしれない。そういうことを考えているから、実用的かどうかを気にしてしまう。

本当は、他人にあげるものなら「おお!」と嬉しい意表をついたものがベストではある。ただ、限られた予算内で相手の好みのポイントを押さえるという難易度はなかなか高い。センスの問題もある。

だったらせめて、使うか使えないか、気にいるか気に入らないから、便利か便利ではないか、喜ぶか喜ばれるか、そんなことを気にせず持って帰りたい(誰かにあげたい)と思ったお土産を買うのが一番楽しいに決まっている。

そういう素直な気持ちを置き忘れて、ありもしないケースや問答を想定した結果、無難なお土産に行き着く。うーむ。

だからもし、誰かが無難なお土産をくれたとしても温かい目で見てほしい。それは何周もまわって葛藤の末に悩んで買ってきたものかもしれないから。言い訳。つづく。

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