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愛社精神の話。

まーた仕事の話になってしまうけど、書きます。

仕事と言いますか会社の話。

※酔って書いているので多分支離滅裂です。



お休みを貰っていると、ふと思うことがあります。

「メール来てるかなぁ」

ということです。

つまり、自分が休んでいる間に仕事関係のメールとかが届いていたりしないかな、ということです。

気になってしまうんです。

休みなんだから見る必要はないと考えていますが、何気なく見てしまったりするんです。急ぎの依頼とかトラブルとか起きていないかなと。

で、見てしまうと、たしかにワチャワチャと困った状況になっていることもあるし、なんか焦ったような連絡が来ている時もある。

そうなると、休み気分はそこで終了して、ため息混じりで予定を塗り替えたり塗り替えなかったりするわけです。「はぁ…めんどくせぇこと言いやがって…」となります。気分どんよりです。自分から見たくせに。

反対に、特に何も起きていないこともあります。そういう時は「ああ良かった」と胸を撫で下ろし、その後の休み気分も継続できます。

どういう状況になっているか分からないのがポイントです。メールを見なければ分からないんです。

私の今の勤め先では、仕事関係の連絡が来るとしても、個人携帯の番号に着信がかかってくることはまず無いですし、そうなると、わざわざ自分から仕事のメーラーを起動してログインしてメールボックスを見る必要があります。(チャットツールの場合もあります)

何でそんなことをするんでしょう。

休みなのに。給料も出ないのに。
わざわざ休みを潰すようなことを。

その背景には、不安な気持ち、があるのかなと思います。

「自分が居ない間に問題が起きていたらどうしよう」

そういう思いがあって、不安になっています。

でも、よくよく考えてみると、

「だとしても、だから何?」

という思いもあります。

仮に問題が起きていても、私は休みです。休暇中なのに、どうして問題の対応をしなければならないのか。その働いた時間分の給料は出ないのに、どうして?と。

そもそも私が担当している仕事は私一人でやっているのではなく、チームでやっています。私一人の休みを潰してまで対応しなければならない仕事って何でしょう。

自分は毎月決まったお金をもらう単なるサラリーマンなわけです。それがどうして休み返上したりサービス残業をする必要があるでしょうか。自分が事業の責任者だとかで、そのビジネスについて四六時中考える必要があるわけでもないのに。

そんなことを考えると、

「やっぱり休み中にメールなんか見る必要無いな」

という結論に落ち着きます。

そうして、一度起動しようとしたメーラーのアプリを、ログイン画面の時点で終了させて、引き続き休みに浸ります。

ですが、それはそれで私の気持ちは落ち着きましたが、一つ疑問が浮かびました。

「じゃあ『不安』以外で休みを潰す理由は?」

責任感?

話は若干飛ぶかもしれませんが、10年近く前に、私は今のシステム開発業とは異なる仕事に就いていました。

それはニッチな手続関係の仕事を担当しており、勤め先も小さな事業者でした。ベンチャーと言っていいかもしれません。その経営者はギラギラしていて、設立してそこまで年数は経っていませんでした。

そこでは、定時後だろうが休暇中だろうが、お構いなしに仕事の連絡が入ってきました。社内のメンバーはもちろん、当時は私の個人携帯の番号を名刺に刷っていましたので、営業先のお客さんとか、取引先からもバンバン電話がかかってくるのです。

当時の私は、未経験の業種に飛び込んだという負い目があり「早く戦力になりたい」という思いから、朝から晩までガムシャラな毎日を過ごしていました。そのため、そういう状況に疑いもせず、休みも返上して対応に当たっていました。そういう状況に酔って浸っていたかもしれません。

もしかしたらそこに「責任感」というものを抱いていたかもしれません。

ですが、ある時ふと、気付いてしまいました。

「こんなに頑張って、何が残る?」
「そもそも、何のためにこんな頑張る?」

当時は、朝7時には出勤して、事務所で勉強をします。もちろん早出残業なんて言葉は存在しませんし、残業代も出ません。というか、その会社には就業規則すらありませんでしたので、何時に来ようが何時に帰ろうが、本来は関係ありません。

営業的な業務も担当していましたが、お客さんから嫌味なことを言われても通報されるギリギリの行動をさせられても、また、とんでもない金額の契約を結んで売上を上げることができても、歩合なんてものはありませんから基本的に雇用契約書に記載された給与以上のものは出ませんでした。

朝から晩までそうやって「社会を善くするために」みたいな使命感っぽいものを抱いて無茶な働き方をしていても、結局、手取りで20万も行かない状況です。

そんな時に「子供が体調を崩して吐いてしまった」と仕事中に妻から電話をもらって、タクシーで帰ろうと財布の中を見ると、なんと千円札が一枚しかありませんでした。

そこで気付きました。社会を善くする前に、自分の家族を守れなきゃダメだ、と。

そして、どれだけ売上を上げてもボーナスなど上がらず、その裏で経営者(兼、創業者)がしれっと高い車に乗り換えていたという事実を知り、そこでプツッと糸が切れたと言いますが、現実に引き戻される思いがしました。その翌日に「退職します」と申し出ました。

素晴らしい仕事だったかもしれませんが、私にはこの仕事を続けていくことはこれ以上できないと感じました。

責任感。

そんなことよりも、まずは自分や家族が幸せにならないのであれば、そんな仕事など私は必要ではない、と。

その気持ちは今の私も全く変わっていません。責任感だろうが何だろうが、仕事よりも家族の方が圧倒的に大事であって、家族を犠牲にする仕事などに価値は無いとさえ考えています。生きている方が大事なんです、仕事なんかより。そのくらい意識は低いわけです。申し訳ないですけど。

そうした時に、また一つ疑問が湧きます。

「どうしたら『仕事が大事』になるのだろう」

ということです。

つまり、休みを返上して、四六時中仕事のことを考えて、いついかなる時も「仕事」が脳みそのリソースを占めているという状況。

今の私にとっては有り得ないことですけど、そういう状況を考えてみることは大切なことのように思います。

私は先ほど「サラリーマンだから」とか「月給変わらないのに」とか「残業代出ないのに」とかを理由に、休み中に仕事のメールなど見なくたって良いと言いました。

全く私の中でその結論が間違っているとは思いませんが、じゃあ「個人事業主だったら」「経営者だったら」「インセンティブがあったら」「やったらやった分だけ残業代が出たら」と、その反対を考えてみると、どうなのだろうと思ったのです。

かのスティーブ・ジョブズの言葉で、「毎朝鏡の前に立って自分に『今日が人生の最後の日だったとして、今日これからやろうとしていることは、本当にやりたいことなのか』を問うてその答えが『No』という日が続くなら何かを変えなければならない」的なものがある。

これに照らし合わせれば、毎日私は仕事をするわけですけど、じゃあ、人生最後の日ならその仕事をしたいか?と問うわけです。そうすると答えは決まっているわけで、「No」なんです。

幾ら、今担当している仕事が嫌いじゃないとはいえ、自分の最後の日にまで、プログラムなんて書きたくないですし、ましてや、傲慢だったりワガママなユーザーが使うためのシステムの機能改善のために自分の最後の時間なんて使いたくないわけです。

でもだからと言って「じゃあ、もっと好きな仕事をやろう」「人生最後の日にもやりたいと思える仕事に就こう」という結論を導き出すのも、なんかちょっと違う気がします。

そうじゃないと思うんです。

そもそも私は、やっぱり本質的には仕事が嫌いなんですよね。

まず他人が嫌いです。家族以外の他人には、出来れば関わりたくなんてない。面倒くさい。利害関係のある人と関わるのは面倒くさくて嫌い。嫌いながらも、生活をしなければならない。自分と家族の生活を支えていかなければならない。生活のためにはお金が欲しい。お金を貰うためには仕事をしなければならない。仕事をするからにはせめて少しでも自分が向いていることや続けていて不快でないことを仕事にしたい。

というそれくらいのものなんです。

そんなくらいしか考えていない奴だから、「人生最後の日に」なんて考えることは出来ないんです。行動できないんです。好きな仕事を…なんて考えても無理です。多分そんな仕事は見つかりません。

ですから答えとしては結局、

「仕事を大事にするなんて無理」

です。今の私にとって。

ですが、これが、自分が始めた仕事で、それによって本気で世界を善くしたいと考えて、働けば働いた分だけお金が稼げて、という状況だったら。

そしたら、もしかしたら、「仕事のことが大事」と考えられるのかもしれません。

そういう状況を「仕事に愛着がある」とか「愛社精神がある」と呼ぶのかなと思うのです。

そういうわけで結論はこうです。

・私のような、仕事に愛着も無ければ愛社精神も無い奴にとって、別に大した仕事なんか出来るわけがないこと。

・そんな奴が、休みの日に仕事メールを見ることで何か変わることなんて無いということ。

・自分の機嫌が悪くなったり家族との関係が悪くなるなら、仕事のことなんか忘れるべきだということ。

つまり、

・そういう奴は責任感など捨てればいいということ。

です。

この記事は、休みの日にふと不安に駆られて仕事メールを見てしまいそうになった自分に歯止めをかけるために書いたと言っても、過言ではありません。

なんか、仕事万歳的な人とか、意識高い系の人には、本当に申し訳ないですけど、凡人の私はこうやって仕事との折り合いをつけて生きているわけなんです。

あーあ、仕事なんかしなくても(他人と関わり合いを持たなくても)お金が貰えるようになればなぁ。おわり。

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