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便利さという不便さの話。

通信制限にかかってしまいました。
スマホのパケット通信制限の話です。

最近、出先でネットを使ったり動画を観たりするためか、よく通信制限にかかってしまうのです。

そうすると思うのが、「如何に自分が外でスマホをいじっているか」ということです。

調べものとか、誰かに連絡しなくてはいけないとか、そういうことはあります。

でもそれって、わざわざモバイルデータ通信を使ってまでやらなきゃいけないことなのかと。そんなことを思うわけです。

実際そうしてしまっているので説得力とかは皆無ではあるんですけど、ただそれでもいざパケット制限にかかると思うわけですよね。

「手持ち無沙汰だから、触っていただけだよなあ」と。

現に、パケット制限にかかった状態で外出をすると、ネットも極力繋がないですし動画も観ようと思いません。

なぜか。

それは、通信制限がかかっていることで、ページ読み込みもめちゃくちゃ遅いですし、動画の再生にも鬼ほど時間がかかるからです。

自分が高校時代に、ガラケーで画像とかを見る時を思い出すレベルの遅さ。あの頃は、色んな画像(他人には言いにくいものもあったり、無かったり)を見たくて、でもやっぱり当時もパケット制限かかっちゃってて、読み込みが異様に遅かったんですよね。ずっと真っ白のページ。待ち時間のローディングだけがずっとクルクルしてて。

三十過ぎてもおんなじようなことをやってるわけなんですね。

でも、普通に考えると、「やらなくてもいいこと」をやっていることも多いわけです。実は。スマホでやることなんて、私にとっては、たかが知れていて。

仕事関係だったらパソコンの方が圧倒的にコミュニケーションや調査や報告がしやすいですし、調べ物であったとしてもそのソースを押さえておいたりすぐに実践したりするためにはどう考えてもスマホでは非効率なわけです。もちろん今の時代はスマホで何でもできちゃう人も居るでしょうが、スキルの低い私には無理。

そういうわけで、出先でスマホをいじれなくなったどうするかというと、私は3択。

  1. 本を読む。

  2. 景色を眺める。

  3. 寝る。

主に電車などで、一人手持ち無沙汰な時間を過ごすこと想定してます。

本は良いですね。スマホを触れないとなると、視覚はこっちでコントロールし放題。聴覚はスマホで音楽を聴くとしても、視覚がこっちの支配下にありますので、本を読むのが捗るわけです。思考もしやすいですね。集中力が切れても、暇な時間を潰せないですから。読書する以外に。

景色も良いです。実際には景色ではなくても、電車なら他の乗客を見るのも楽しいです。あんまりジロジロ見ると不審がられるのであくまでシレッと見る感じ。「この人はどこから来てどこへ行くのかな」「一緒に居る人との関係はなんなのかな」「子供の頃からこの人はこんな感じなのかな」とか色々なことを思いを馳せることができて楽しいです。

あとは、寝る。電車内に一人で居る乗客は、今の時代、大抵はスマホを触っているか寝ているかのどちらなように思えます。睡眠は大事ですもんね。私は海外生活なんてしたことないですけど、電車内でこうも無防備に眠ることができるって、やっぱり日本は安全な国なんだろうなとも思ったりします。電車内って何故か眠くなりますしね。

そうやって過ごしていると、なぜか「スマホをいじって過ごしていた時」に比べて若干の充実感みたいなものがあるんですよね。まあたかだか数十分くらいのアクションで、そこまで劇的に変わるものではないですけど、それでも「あっ、何か生きているなあ」という気になります。少なくとも私は。

そう考えると、もしかしたら、ある種の矛盾といいますか、「便利な社会」で生きるために、不便さに縛られているんじゃないかななんて思うわけです。

「こうしなきゃ」「ああしなきゃ」「この時間は無駄だからこれをやろう」

今話題の「タイパ」ってわけではないですけど、そんなにセカセカ生きても何だかなぁ、なんて思います。これは万人にオススメできるものではないですけど、その「便利な」ツールに支配されるんじゃなくて、たまにはボーッとしても良いのかなと思ったり。とかく忙しく生きる現代社会の中で、私のようにちょっとグータラな人は、そんなふうな視点を持てれば、多少は生きやすくなったり。

そんなことを思ったパケット通信制限中の出来事でした。おわり。

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